フクロウ夜間攻撃隊
「それでは参謀長、攻撃にフクロウを使いましょう!」
背筋を伸ばして元鳥類学者だった佐川大尉はそう伝えた。
「何?フクロウ?理由!」
「は、ご存知のように鳥は『鳥目』という言葉があるように夜間の行動は全く不得手であります。しかし逆にフクロウは夜行性なので夜目がよく効き、捕食活動も夜間に行う習性があります」
軍人と言うよりも科学者が話すような口調で佐川大尉はフクロウの習性を参謀たちに詳しく説明した。
「よし、フクロウの習性はよくわかった。それでそのフクロウを攻撃とは、一体どう使うと言うのか?」
満州軍総参謀長 児玉源太郎が質問する。
「は、長岡少将の発案で半年前から富士裾野の陸軍演習場において100羽以上のフクロウの調教をすでに終えてあります」
「ほう、長岡らしいのう」
児玉は同じ長州人の長岡の特徴である、あまりにも長いひげを思い出していた。
長岡外史少将
長州出身。
23センチの長さを誇る自称「世界で2番目に長いヒゲ」を持つ軍人で有名である。
彼はそのヒゲだけでなく、とにかく目新しいことが大好きな性格で陸軍で初めてスキーを導入したり、偵察用に軽気球を飛ばしたり、またできたばかりの飛行機にも着眼してのちに「陸軍航空隊生みの親」と呼ばれることになる。
長岡は日露の戦いに航空機の完成が間に合わないと知ると夜間飛行ができるフクロウの特性に着眼して「夜間フクロウ攻撃隊」を構想して全国から約100羽のフクロウを集めて訓練させていたのであった。
「佐川大尉、具体的にはこの戦闘でフクロウをどう使うのか?」
「は、目下第3軍は2回の旅順総攻撃が失敗して多数の兵士が死傷しております。この原因はご存知のようにべトンで囲まれた要塞に穿たれた銃眼からの機関銃薙射によって進軍が阻まれているからであります」
「そんなことは言われなくてもわかっている。で、肝心なフクロウの使い方は?」
「は、フクロウは先程説明したように夜間飛行が可能です。しかも彼らは巣を作るために木の穴を探して入っていく習性があります」
「なるほど木の穴と、ベトンの銃眼は似たようなものであるな・・・」
「はい、富士の演習場では夜間に打ち上げた照明弾に向かってフクロウを一斉に飛び立たせ、照明弾の下にある要塞を模した建物の銃眼に飛び込む調教をすでに終えています。しかもフクロウは縄張り意識が強く決して他のフクロウの巣に入りません。すなわち100羽いれば100の銃眼に1羽づつが入っていくのです」
「なるほど、そのフクロウに手榴弾か爆弾を持たせるのか・・・しかし重くはないのか」
「はい、フクロウの獲物を掴む握力は相当なものでネズミはおろか小さい猫ぐらいなら軽々と搬送します。しかも長岡少将は手榴弾ほどの大きさでさらに大きな爆破威力をもった小型爆弾を開発しました」
「フクロウか、大事なわが国の命運をまさかフクロウに託すことになろうとは・・・」
児玉は満州軍指令の大山巌にわざと聞こえるようにつぶやいた。
「児玉サン、死んでいくフクロウにはまっこと申し訳なかと思いますが、天皇陛下からお預かり申した赤子をこれ以上無駄死にさすことには変えられもはん。長岡どんのフクロウ作戦を了承するでごわす」
あばた顔の通称「ガマ」こと大山巌司令官が即座に裁決した。
ここに旅順要塞攻略のための「夜間フクロウ爆撃隊」は日本陸軍として正式に認可されたのであった。
「しかし佐川大尉、司令の決裁が降りたのはよいが作戦は首尾よく行くのであろうな?」
「大丈夫です。彼らフクロウなら必ずやってくれます」
※※※※
鳥類学者の佐川大尉がここ満州軍司令部にいるのは別の理由があった。
かつて8月の第1次旅順総攻撃の時に第3軍が包囲した旅順市街からどのような方法かは分からないが、奉天にいる敵方の満州軍総司令部のクロパトキン大将に伝令が伝わっているという事実が発覚したのである。
この当時、無線機はすでに発明されていたが当時の性能では旅順-奉天間の遠距離では使えなかった。
とすればロシアの通信兵が日本軍の重包囲を突破して密書を伝達しているか、またはそれ以外の方法があるのかいずれにせよ謎であった。
しかしいずれにしても現実は旅順守備隊と奉天にあるクロパトキンの司令部が意思疎通しておりいわゆる「ツーカーの状態」であったのである。
乃木希典の第3軍が詳しくこれを調べると、どうやらロシア軍は通信に伝書鳩を使っているようであった。
つまり重要な情報は伝書鳩の脚にくくりつけて奉天方面に放っていたのである。
この報告を受けた児玉源太郎は急遽、宮中にある鷹匠を招聘して鷹を使ってロシアの伝書鳩を捕獲するよう命令した。
一般に鷹は飛行中の鳩を好んで捕食するという。
宮中から召し抱えられた鷹匠たちは5羽の鷹を引き連れて満州に到着した。
非軍属の彼らは軍に慣れないために仲介役として鳥類に詳しい佐川大尉が東京から同行して入ってきたのである。
史実ではこの5羽の鷹の導入によって、かなりの伝書鳩が餌食になって旅順からの通信を遮断したと伝えられている。
※※※※
「しかし鷹の次はフクロウか・・・国運を掛けた大事な日露の戦いが何やら『鳥まかせ』のような気がしてきたな」
源太郎は自慢の白い髭を触りながらそう呟いた。
「はっはっは、児玉さん!戦う相手も黒鳩(くろばと : 当時、敵将クロパトキン将軍を陸軍はそう呼んでいた)じゃっけん丁度よかたい!」
大山は豪快に大笑いした。
「ドーン ドーン」
遠くでまた遠雷のような重砲の音が間断なく聞こえる。
※※※※
1904年12月1日
旅順方面 第3軍司令部
児玉源太郎は調教された100羽のフクロウとともに満州の煙台の司令部から汽車で旅順に来ていた。
ロシア艦隊が停泊する旅順港が見える203高地を目指して攻撃を担当する第3軍・第9師団は今夜の突入を前にして参謀会議を開いていた。
「今夜、かねてからの海軍の要請により203高地を攻撃、これを落とす」
寡黙な乃木将軍が静かに言った。
ここを占拠することによって旅順港が一面に見渡せることができる。
すなわち203高地に観測所を作ることによって海軍の要求通りバルチック艦隊が日本海付近に来る前に旅順艦隊を陸上砲の関接射撃で撃滅することができるのだ。
なんとか夜間攻撃に乗じてこの山頂を落とす作戦であるが、今まで幾万の兵士を死に追いやった要塞と機関銃と対峙しなければならない。
しかし今日はその銃眼を黙らせる「最新兵器」を用意している。
「諸君、本日の夜間攻撃にフクロウを使う」
司令官乃木の横に立つ児玉が、居並ぶ参謀たちを前にしてこう言い放った。
「何ですと、フクロウ?児玉閣下、気は確かでごわすか?」
第3軍の参謀長伊地知幸助が児玉に尋ねた。
薩摩出身の伊地知は砲兵の専門家である。
「何だと?気がおかしいのはお前のほうだ!」
「児玉閣下、今まで数多くの兵が攻めても落とせなかった要塞をフクロウごときが攻撃するなんぞ聞いたことがないでごわす」
「伊地知それでは聞くが、同じ戦法で兵士をむざむざ犬死にさせているお前は他に打開する策があるのか?あるなら言ってみろ!」
児玉は激怒して、口答えする伊地知の参謀肩章を引きちぎった。
「伊地知さん、児玉参謀長の言うとおりここはフクロウを使おうじゃあないか」
ゆっくりとした口調で乃木が決断を下した。
「わ、わかりもした。乃木司令官がそうおっしゃるならしかたありもはん。今夜そのフクロウ部隊を使うことにしもうす」
「しかし児玉参謀長。そのフクロウを使って敵さんの難攻不落の要塞は本当に落とせるのかな?」
乃木が気心の知れた昵懇の児玉に問う。
「それが簡単にできれば苦労はせんのじゃがな・・・」
「閣下、ですからちゃんとフクロウ(不苦労)という名前になっております」
傍らで聞いていた佐川大尉が自信ありげに答えた。
「そうだな、その名前の通り上手くいくことを祈ろう・・・」
作戦会議は終了した。
※※※※
参謀本部の傍らにはフクロウの鳥かごが並んでいる。
「見張り番、ご苦労」
佐川大尉が挙手して番をしていた兵隊たちに敬礼をした。
「は、大尉。命令どおりフクロウには餌を与えていません」
「ご苦労。富士の調教所では腹を空かしたフクロウをエサの置いてある要塞を模した建物に突入するよう調教したのでな」
佐川大尉は鳥かごの中で腹を空かして、キョロキョロしている愛らしいフクロウたちに申し訳なさそうに言った。
「みんなすまんな、今日の目標には餌はない。・・・これも御国のためと思ってくれ」
※※※※
午後8時
第9師団が203高地の一方の山の頂にとりついた。
周りに配備してあるロシアの各砲台からは登ってくる日本兵士を狙った機銃掃射が雨のように降ってくる。
その玉を避けながらの決死の行軍であった。
先頭の指揮官が日本刀を抜刀した。
「突撃」の合図である。
児玉は8倍のカールツァイスの双眼鏡で戦の成り行きを凝視している。
「よし、頃合だな。照明弾用意。目標203高地頭上!」
「照明弾用意できました。照準よし!」
即時に復唱が返る。
「フクロウに手榴弾を装着したか?」
「はい、準備完了しています!」
「よし、照明弾発射!」
児玉の命令とともに203高地の頭上にまばゆい照明弾が上がった。
「よし、いよいよフクロウ殿の出番だ!」
と言うと源太郎は佐川大尉に鳥かごからフクロウを放つように命令した。
「よし、みんな行ってこい!」
闇の中を、明るく輝く照明弾を目指して空高く舞う100羽のフクロウは203高地方面に向かってまっしぐらに羽ばたいていった。
それはまるで後世の航空爆撃隊を思わすような壮観な眺めであった。
※
203高地の頂では弟9師団の香月中尉率いる香月隊が白刃を抜いてまさに鬼神のような白兵戦が行われていた。
そこに至るまでの山腹には日露両方の死体の山が累々と築かれている。
まるで「時刻絵図」であった。
ちなみに乃木希典の次男の保典もこの時に胸に銃弾を受けて死亡している。
「あともう一息、あともう一息で堡塁が抜ける」
山頂が見えるところまで来た全ての日本兵が迫り来るロシア兵との白兵戦の中でそう考えていた。
その時に白兵戦を戦う全ての兵士が見た。
闇の中を多くの鳥たちがなにかを抱えて要塞の銃眼めがけて突進していく風景を。
直後、203高地の各要塞の中では身を震わすような大爆発が随所で起こった。
と同時にそれまでは日本兵を一切寄せ付けなかった機関銃がすべて沈黙したのである。
それを見た敵将コンドラチェンコ少将は「新手の敵が地下道を通じて来た」と思い多くの兵をそちらに差し向けた。
地下の火薬庫が敵の手に落ちればこの戦いの帰趨は決っしてしまう。
その間隙を縫って第9師団は一気に前面の敵堡塁に突進していったのである。
砲と機関銃が沈黙し、さらに兵力が2分されたロシアの要塞は後はもう残敵掃討戦の様相を呈していた。
激しい戦いが終わり一夜が明けた。
「そこから旅順が見えるか!」
その言葉の後に源太郎は今は亡きフクロウのことを思い浮かべるのであった。
「見えます!艦隊が丸見えであります!」
日本はフクロウの決死隊によって救われたのであった。
切り札はフクロウであった。
現在203高地には人知れずこの戦いで散ったフクロウの霊を沈める忠魂碑が建立されている。