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「よう、宏衛」
「才人」
大学の授業が終わり、廊下を歩いていると、背後から才人が声をかけてきた。才人は僕の肩をぽんと叩くと、にっと笑った。
「今日、撮るんだろ、動画」
「うん。そのつもり」
「何やるんだ?」
「『Lucy, close to you』の追加DLC」
「もう配信始まったのか? 早いなー。どんなの?」
「ほら、待合室の受付にさ、家族写真があったでしょ。その家族の話なんだって。本編と比べて難易度が高いらしいよ」
「へー」
僕達はそこでエレベーターの前に着いた。既に他の学生が何人かいて、ゴンドラが来るのを待っていた。
「『Lucy, close to you』、おもしろかったよな」
「そうだね。ストーリーも作り込まれてた。色々な解釈ができるから、最終回のコメント欄は賑やかになったな」
「お前さあ、よく最後の最後までルーシーにつかまらずに行けたよなー。俺だって何度かゲームオーバーになってんのに」
「運がよかったんだよ」
「空間把握に運が味方したら、最強だな」
「僕も一度も捕まらずに行けたのは気持ちよかった」
「そりゃそうだろうとも」
そこでゴンドラが来たので、僕達はエレベーターに乗り込んだ。一階に下りて、校舎を出る。
外は綺麗に晴れていた。初夏の爽やかな太陽が地面に降り注いで、空気もさらりとしている。
梅雨が明けて、ひと月が経った。最近は晴れていることが多く、街中も何となく、夏に向けて陽気になっているような感じがした。
才人は歩きながら、鞄を持ち直した。その鞄や服のポケットの中には、もう煙草もジッポも入っていない。才人は煙草を吸うのをやめていた。理由を聞くと、もう必要がなくなったんだよな、と返ってきた。その後冗談めかして、「金かかるしな、煙草」と言って笑った。
才人は空を見上げた。
「俺もやろっかなー」
「何を?」
「追加DLC」
「いいんじゃない? やるといいよ」
「じゃ、勝負しようぜ」
「勝負?」
「ゲームオーバー回数競おうぜ。少ない方が勝ちだ」
「へえ。いいよ」
「ぜってー負けねー」
「僕も負ける気ないからね」
「強気だな」
「本編で無傷だったからね」
「自慢か?」
「自慢」
「こいつ」
才人は肘で僕を小突いた。僕達は戯れに笑って、校門で別れた。
「じゃあ、またな」
「うん。また明日」
僕は一人になると、家へ向かった。マンションに着くとエレベーターで四階へ行き、自分の部屋へ入る。玄関には、暫く開いていない傘が立てかけられていた。
ソファに荷物を置くと、鞄からスマホを取り出した。そのスマホには、両親が沖縄旅行のおみやげとして買ってきた、サメの歯のストラップがぶら下がっている。
スマホには母親からメールが届いていた。
『ひろえくん。
元気にしていますか。おみやげは大事にしてくれていますか?
今月から夏休みが始まりますね。ひろえくんが帰ってくるのを、おとうさんと一緒に、首をながーくして待っていますよ。今からとっても楽しみです。
今日は何を食べましたか? きちんと栄養を取ってくださいね。帰ってきたら、たくさんたくさん食べてくださいね。』
『メールありがとう。おみやげ大事にしてる。今はスマホにつけてるよ。夏休みまで本当にあともうすぐだ。僕も帰るの楽しみにしてる。今日は晩ご飯これからだよ。カレーにでもしようかな。手料理楽しみにしてる。』
返事を送信して、僕はキッチンに立った。冷蔵庫の中を確認して、メールに書いた通りカレーが作れるかどうか見回してみた。どうやら材料はあるようなので、カレーを作った。
早めの夕食が出来上がると、僕は机に座ってそれを食べた。そうしていると、LINEの通知があった。一瞬才人からかと思ったが、違った。
『ろえさん! 追加DLCが昨日から配信されました! 今度も私が声の出演をしています。実はフラジールのみんなも、ちょこっと声をあてています。ちょっと難しい難易度ですが、楽しんでくださいね!』
椎名琉宇、ルーシーからだった。
僕はいったんカレーを置いて、返事を書いた。
『配信日にダウンロードしたよ。みんなで声あてたんだね。何か楽しそう。友達とゲームオーバー回数を競うことになったよ。負けたくないから頑張るね笑』
『お友達と勝負ですか? おもしろそうですね! がんばってください!』
『ありがとう。これから早速プレイする。YouTubeにも動画上げるから、楽しみにしてて』
『それは楽しみです! wktkしながら待ってます!』
ルーシーはいつもこんな調子で、大抵元気だ。本来とても明るい性格をしているのだろう。
僕はカレーを食べ終えると、食器を片付けた。動画を撮る前に課題をやってしまいたかったので、鞄から資料を出して作業した。それが終わると、もう日が暮れていた。
僕は課題を片付けると、パソコンを立ち上げた。ゲームを開く前に、YouTubeに行く。すると、ルーシーの新しい動画の通知が来ていた。僕達はお互いチャンネル登録し合っているので、新着動画が上がるとすぐに分かる。ルーシーが今回歌ったのは、僕の知らないドイツ語の歌曲だった。
僕はその歌を聴いて、高評価ボタンを押した。ルーシーの声に合った、静かな綺麗な曲だった。
ついでに、自分の動画のコメントもチェックする。『追加DLCはやらないの?』とか、『やる前提で勝手に楽しみにしてます!』といったコメントがついていた。僕はそれらに返事を書いた。『やりますよ』『これから動画撮ります』。
コメントチェックを終えると、僕は動画の録画準備を始めた。ヘッドフォンを着けたり、ピンマイクを付ける。録画ソフトの準備を終え、部屋の電気を消すと、『Lucy, close to you』を立ち上げた。
天気雨の降る花畑に一本道が通っていて、その向こうに家屋がある、明るいスタート画面。『新しい物語』などの項目の下に、『ある家族の物語 I'm looking for...』というコンテンツが追加されている。これが、昨日配信された、高難易度の追加DLCだ。
天気雨の降る音、オルゴールのBGMを聴きながら、僕は口を開いた。プレイ動画を撮るときの第一声は、決まっている。
「皆さんこんばんは。カタロエです」