第88話 初めてのきらめき――グッドモーニング・プリンセス
■登場人物紹介
・カリーナ・ゲルテス 17歳
ソフィア・ミンス王立女学院の8年生。最上級生。
ソフィア寮の生徒を代表する寮長を務めている。
前国王サイラスの第3王妃カスネ・ゲルテスの親戚。
つんと澄ました顔で、上から目線の言葉づかいをするが
思いやりのある優しい少女。
・アンナ・タフト 16歳
ソフィア・ミンス王立女学院の7年生。
ソフィア寮の副寮長を務めている。
カリーナとは同室で、ルームメイト。
カリーナの1歳年下だが、大親友。
温厚な性格で、いつも優しい微笑みを浮かべている。
朝の静かな空気が漂う石造りの部屋の中で、金色の髪の少女がゆっくりと目を開いた。
それはベッドの中で体を丸めていたシャーロットだった。パジャマ姿のシャーロットは寝ぼけまなこで小さなあくびを1つ漏らしてから、ゆっくりと体を起こす。そして何気なく部屋の中を見渡したとたん、ビクリと体を震わせた。今は誰も使っていないはずの机の前に誰かが座っていたからだ。
(あ、そっかぁ……。ネインくんがいたんだっけ……)
それが昨日からルームメイトになったネインだと気づいたとたん、シャーロットは安堵の息を吐き出した。2年前にメナがこの部屋を去ってから、シャーロットはずっと1人で生活していた。そのため、寝起きに誰かの姿を見るのは本当に久しぶりだった。
「ネインくん、おはよぉ~」
「……ああ、おはよう」
シャーロットはネインに声をかけながら机の方に足を向けた。するとネインは、机の上で手を動かしながらボソリと応えた。
「もう魔法陣の続きを描いてたんだぁ。ネインくんって早起きなんだねぇ~」
「オレの村では、ほとんどの人が日の出と同時に目を覚ます。働けるのは日が出ているうちだけだからな」
ネインはやはり淡々と返事をして、手のひらサイズの紙に魔女の魔法陣を模写していく。昨日の夕方から描き始めたばかりなので、まっさらな紙はまだ200枚近くあり、魔法陣を描き終えた紙は20枚にも満たなかった。だからネインは時を惜しんで作業に取りかかったのだが、焦らずに一枚いちまい丁寧に描き込んでいる。精度の低い魔法陣だと、魔法が発動しないので使い物にならないからだ。
しかしシャーロットの目から見ると、ネインの筆の動きはかなり速いと感じられた。しかも魔法陣の原本とネインが模写した魔法陣は見分けがつかないほど瓜二つだったので、シャーロットは思わず感心した声を漏らした。
「昨日も思ったけど、ネインくんって絵が上手なんだねぇ~」
「オレの資質は探索者と魔法使いだからな。魔法使いスキルの製図を習得しているから、魔法陣の模写はそう難しいことではない」
「そうなんだぁ。でも、資質があっても、スキルを上手に使えるとは限らないんだよねぇ~。わたしなんか、ほんとになんにもできないし」
「そうなのか?」
その時初めて、ネインは手を止めて顔を上げた。それでネインと目が合ったシャーロットは、自嘲するような笑みを浮かべて肩をすくめた。
「わたしの資質は騎士と治癒師なんだけど、わたしって馬に乗るのも下手っぴだし、ヒールなんか、ほんとに小さなかすり傷を治すのがやっとだから」
「そうか。だけど、諦めるのはまだ早いと思うぞ」
「へ? どして?」
「シャーロットにはおそらく、何かすごい才能があるはずだからな」
「はいはい。なぐさめてくれてありがとね」
ネインは真面目な顔で言い切ったが、シャーロットは軽く受け流して微笑んだ。
「それで、魔法陣を描いた紙を、どうやって全部の部屋に配置するか考えついた?」
「いや。その方法はまだ思いつかないな」
「そっかぁ。ま、時間はあるんだから、そのうちいい方法が思いつくでしょ」
シャーロットはネインに軽い口調でそう言いながら、『わたしの方も、あと3日しかないけどね……』と心の中でため息まじりに呟いた。王位継承権者に名乗りを上げるかどうかについて、クレアに返事をする期限が目の前に迫っていたからだ。
それで少し落ち込んだシャーロットは、気分転換に外の空気でも吸おうと思い、ベランダに足を向けた。するとガラスの扉を開けたとたん、1羽の小鳥が部屋の中に飛び込んできた。
「あ、小鳥だ……。へぇ、部屋に入ってくるなんて、珍しいこともあるんだねぇ――って、あっ」
シャーロットは部屋の中を飛び回る小鳥を何気なく目で追った。すると次の瞬間、小鳥はネインの机に着地して動き回り、インクのビンを横に倒した。そのせいで、ビンから流れ出した黒いインクが机の上に一気に広がり、ネインが描き上げたすべての魔法陣が黒一色に塗りつぶされた。
その直後、小鳥は再び飛び上がり、ガラスの扉から外に出ていった。しかし、一部始終を見ていたネインとシャーロットは完全に固まっていた。しかもネインの方は感情が死に絶えた目で、黒に染まった机の上を呆然と眺めている。そんなネインを、シャーロットはこれ以上ないほど気まずい表情を浮かべて見つめながら、おずおずと口を開いた。
「えっと……その……ごめん……」
「……この部屋は、小鳥がよく飛んでくるのか?」
「ううん……今日が初めてだけど……」
「そうか……」
ネインは淡々とインクのビンを立て直し、こぼれたインクを白紙の紙で拭き取った。それからおもむろに立ち上がると、自分のベッドに倒れ込んで動きを止めた。
「ネ……ネインくん? だいじょうぶ……?」
「ああ、問題ない……。少しだけ寝る……。今夜の飯は鳥の丸焼きだな……」
シャーロットがおそるおそる声をかけると、ネインは枯れた声で呟いた。
(あちゃぁ……。これはけっこう、ダメージ大きそうね……)
シャーロットはゴクリとつばをのみ込んで、ガラスの扉を静かに閉めた。そしてタオルを手に取ると、足音を立てずに部屋からそっと逃げ出した。
「あ~あ……。なんか悪いことしちゃったなぁ……」
廊下に出たシャーロットは、肩を落として歩きながら長い息を吐き出した。小鳥が飛んできたのは不可抗力なのでシャーロットに責任はないのだが、ガラスの扉を開けたのは間違いなくシャーロットだ。だからシャーロットは、ネインが時間をかけて描いた魔法陣がダメになった責任を少なからず感じてしまい、もう1度、憂鬱な息を吐き出した。
そうして重い足取りで洗面所に入ったシャーロットは、青いチャームがついたロケットペンダントを首から外し、洗面台の脇にそっと置いた。それから蛇口の栓をひねって水を出し、丁寧に顔を洗う。すると水が冷たかったせいか、急に気分がサッパリした。しかし、タオルで顔を拭いて鏡に映る自分を見ると、やはりどうしてもため息が出てしまう。
「はぁ……なにやってんだろ、わたし……」
シャーロットは鏡の中の自分を見つめてガックリと肩を落とした。思考が冴えてきたせいで、自分がネインに迷惑をかけたという思いが強くなってきたからだ。それで思わず鏡から目を逸らすと、洗面台に一輪挿しが置いてあることに気がついた。きれいな青い花が活けてあるので、きっと寮監のシスタールイズが飾ったのだろう。
「そうだ……。ポーラにお花を届けなくちゃ……」
シャーロットは花を呆然と眺めながらポツリと呟いた。すると不意に、誰かが洗面所に入ってきた。
「――あら。シャーロット」
「え?」
声をかけられたシャーロットは反射的に顔を向けた。すると、自分の方にゆっくりと近づいてくる2人の少女の姿が見えた。1人はゆるやかな金髪を肩まで伸ばした少女で、もう1人は優しそうな笑みを浮かべた茶色い髪の少女だ。
「あ、おはようございます、カリーナさん、アンナさん」
「はい、おはようございます」
「おはよぉ~」
金髪のカリーナはつんと澄ました顔で返事をして、シャーロットの隣で足を止めた。茶色い髪のアンナもカリーナの横に並び、シャーロットに顔を向けてにこやかに手を振った。
「そういえばシャーロット。あなたの部屋に新しい生徒が入ったんでしょ? どんな子だった?」
「あ、はい。えっと、その……ふつうの子だと思いますけど……」
不意にカリーナに質問されたシャーロットは、思わず目を逸らしながら返事をした。まさかその新入生が女装した男の子だったなんて、口が裂けても言えないからだ。しかしカリーナはシャーロットを見向きもせずに顔を洗う。それからタオルで顔を拭きながらさらに言った。
「あらそう。だけどその子ってたしか、うちの生徒だったメナ・スミンズの親戚なんでしょ? だったら1度、きちんと顔を合わせて話をしたいわね。そういうわけで、シャーロット。その子に、寮長と副寮長のところまで顔を出すように伝えておいてちょうだい」
「わかりました。カリーナさんとアンナさんの部屋まで、挨拶に行くように伝えておきます」
「そうね。それじゃあ、今日の3時にしましょう。時間はちゃんと守るように言っておいてね」
カリーナはやはり澄ました顔でシャーロットを見つめながら念を押した。するとその隣に立つアンナが、ニコニコと微笑みながら口を開いた。
「つまりね、シャーロット。寮長はケーキとお茶を用意しておくから、ちゃんと来てね~って言ってるの」
「ちょっとアンナ。私はそんなこと一言も言ってないじゃない」
「だからわたしが補足したのぉ~。寮長は口下手だからねぇ~」
「だっ、誰が口下手なのよ。まったくもぉ。あんまり変なこと言わないでよねっ」
アンナにクスクスと笑われたカリーナは、ツンとあごを上げて顔を逸らした。そして少しだけ頬を赤くしながら、足早に廊下の方へと歩き出す。するとアンナも、もう1度シャーロットに手を振ってから、カリーナと一緒に姿を消した。
「……なるほどねぇ。つまりソフィア寮の寮長さんは、新しい仲間を歓迎する気マンマンってことね。ほんと、素直じゃないんだから」
シャーロットはカリーナとアンナが消えた方向に顔を向けて、思わずクスリと微笑んだ。それから、気合いを入れるためにもう1度顔を洗い、タオルで水滴をゆっくり拭き取る。そして洗面台に置いていた青いロケットペンダントに手を伸ばした瞬間――いきなり目の前が煌めいた。
「えっ!?」
シャーロットは思わずピタリと腕を止めて、息を鋭くのみ込んだ。その煌めきは本物の光ではなく、シャーロットの頭の中に突然湧き上がった一種の閃きだった。しかしそれがあまりにも鮮やかな思いつきだったので、まるで輝く光のように感じられたのだとシャーロットは即座に気づいた。
「なにこれ……? すごい……。なんでこんなこと思いついたんだろ……。でも――」
シャーロットは不意に頭に浮かんだそのアイデアをじっくりと検証した。
「うん、たぶん大丈夫……。この方法なら、何の問題もなくすべての部屋に魔法陣を配置できるはず……」
シャーロットは鏡に映る自分を見つめ、力強くうなずいた。そしてすぐに青いロケットを片手でつかみ、自分の部屋に駆け戻った。
「――ネインくん。起きてる……?」
「……ああ。いま起きる」
部屋に戻ったシャーロットは、ベッドで寝ているネインに小さな声で呼びかけた。もしも熟睡していたら、そのまま寝かせておこうと思ったからだ。しかしネインはすぐに返事をして体を起こした。
「ごめんね、急に起こしちゃって。でも、あの魔法陣をすべての部屋に設置する方法を思いついたの」
「そうか。それはどんな方法なんだ?」
ベッドに腰かけたネインは軽く頭を振って眠気を飛ばし、シャーロットに訊き返した。するとシャーロットは机に近づき、白紙の紙を1枚手に取ってネインに向けた。
「その前にちょっと確認なんだけど、あの魔法陣って、これよりもう少し小さな紙に描いてもいいの?」
「ああ。縮尺さえ正しければ、どれだけ小さくても問題はない」
「そっかぁ。それじゃあ、こういう方法はどうかな。えっとね――」
シャーロットは手のひらサイズの紙の四隅を折り曲げて、一回り小さな正方形を作った。そしてその紙をネインに渡し、思いついた方法を説明した――。
そしてその頃、隣の315号室では、1人の少女が石の床に正座して壁に耳を押し当てていた。それは桃色のパジャマを着たジャスミンだった。
ジャスミンは壁の細い穴に耳を当てて、聴覚に全神経を集中していた。そしてシャーロットとネインの会話をすべて聞き終えると、おもむろに立ち上がり、いつもの制服に素早く着替える。それからすぐにドアを開けて、どこかへと出かけていった――。




