第77話 優雅なる魔女の狂想曲――ザ・デイ・オブ・パーフェクト その2
「さて、どう出てくるか……」
広大なオルトリンの森を一気に駆け抜け、大きな館の前で足を止めた黒髪の少年がポツリと呟いた。澄んだ朱色の炎が揺れる封印水晶を首から下げたネインだ。唯一の武器であるナイフを捨てたネインは、石の床にワインを置いて少し下がり、荒い呼吸を整えながら目の前に建つ瀟洒な館に目を向けた。
「ここが雨の魔女の館か……。そして――」
ネインは額の汗を拭いながら首だけで振り返った。すると背後の森から、女性型の人形が大量に飛び出してくる光景が見えた。
「戦闘従者――魔女が操る魔法人形がもう追いついてきたか。話に聞いていたより足が速いな……」
続々と森から湧き出してくる無数の従者を見て、ネインは瞳に緊張の色を浮かべた。武器を手放したこの状況で、一斉に攻撃されたらさすがに厳しいからだ。しかし人形どもは、ネインから距離を取ったまま左右に展開して動きを止めた。
「どうやら、こちらの意図が魔女に伝わったようだな……」
ネインはわずかに安堵の息を漏らし、再び館に顔を向けた。魔女の館の前で武器を捨てて、手土産の高級ワインを差し出す――。そうすることで戦う意思がないことを示したつもりだったが、どうやら気づいてもらえたらしい。
なにしろ『雨の魔女が隠れ住むオルトリンの森に入った者は、問答無用で殺される』という噂を、ネインは途中の村々で耳にしていた。そしてジャコン・イグバの『森の西から突入しろ』という助言の意味を推測し、もっとも効率のよい方法を考えた結果、ネインは魔女が繰り出してくる魔法人形の気配を読み取り、その配置状況から魔女の館の位置を割り出す方法を思いついた。それでこうして、何とか魔女の館までたどり着くことができたのだが――。
「ここまではうまくいったけど、魔女が会ってくれるかどうかは、また別の問題なんだよな……」
魔法人形たちが攻撃してこないということは、魔女は間違いなく自分の存在に気づいている――。ネインはそう判断した。しかし、魔女がネインに会ってくれるという確信はないし、いつ顔を出してくれるのか予測もつかない。だからネインは呼吸が整い次第、切り札である『カエンドラの瞳』を出して、魔女に呼びかけようと考えていた。
しかし次の瞬間、不意に館の正面ドアがゆっくりと開き、1人の男が姿を現した。上等な執事服をきっちりと着こなした、背の高い男だ。その黒髪の男はネインの手前で足を止めると、丁寧に頭を下げて口を開いた。
「私はこの館の主人に仕える執事でございます。そちら様はご来訪者様とお見受け致しましたが、お名前とご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「……突然押しかけてすいません」
ネインも黒髪の執事に軽く頭を下げた。
「オレはネイン・スラートと言います。今日は雨の魔女に頼みがあって会いに来ました」
「雨の魔女……で、ございますか」
執事の男はわざとらしくクスリと笑った。明らかにネインの物言いを小馬鹿にした態度だ。しかしネインはその皮肉な笑みを軽く受け流し、真面目な顔で言葉を続ける。
「はい。オレは雨の魔女と魔女契約を交わしたいと考えています。そのために、雨の魔女が求めているものを持ってきました」
「ほう……。それはなかなか興味深いお話です」
執事は軽く驚いた表情を浮かべ、ネインの全身を値踏みするように眺めた。
「それでは、本日は何をお持ちになられたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「それは雨の魔女に直接会って話します。今は、雨の魔女がのどから手が出るほどほしがっているものを持ってきたとだけ伝えてください。それと、そこのワインは挨拶代わりの手土産です」
「さようでございますか」
執事はもう1度クスリと笑った。今度は嫌味ではなく、感心した笑いだ。ネインの言葉づかいは稚拙で未熟だが、交渉のポイントはきっちり押さえている。だから執事は地面に置かれたワインを拾い上げて、ネインを見つめた。
「ネイン・スラート様のご要望はたしかに承りました。ですが、我が主に伝える前に、2点だけ確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「それでは――」
ネインが即座にうなずいたので、執事はネインのナイフの横に転がる青い仮面を指さした。
「この館に来るまでに、その仮面をつけていたのはなぜでしょうか」
「理由は2つあります。視界を狭めることで周囲のよけいな情報を遮断しました。意識を集中して前に進むことだけが唯一の活路だったからです。それともう1つは、単純に目を保護するためです」
「なるほど……。木の枝などから顔を守る動作で、走る速度を落とさないようにするためですか」
執事はほんの少しだけ考え込み、納得顔でうなずいた。
「それではもう1つの質問です。ネイン・スラート様が魔女契約を求める理由をお教えください」
「魔女の情報網と、魔女魔法による支援を受けるためです」
「その目的は?」
「自己満足と、復讐です」
「ほう、復讐ですか」
執事は瞳の中に鋭い光を宿らせながらネインを見つめた。ネインはその顔をまっすぐ見返しながら首を縦に振ってみせた。
「わかりました。質問にお答えいただき、まことにありがとうございました。それでは我が主にネイン・スラート様のご要望をお伝えしてまいりますので、しばしの間お待ちください。――ただし、ご要望のすべてが通るとは限りませんし、お時間の約束もできません。その点だけはご承知おきください」
「はい」
念を押すように口を開いた執事に、ネインはもう1度力強くうなずいた。そして執事が館の中に姿を消すと、長い息を吐き出した。
「今の執事が、雨の魔女の契約悪魔か……。あの隙のない動きから見ると、かなり手強いな……」
ネインは呟きながら、ふと振り返った。するとネインを遠巻きに囲んでいた魔法人形どもが、静かに森の中へと戻っていく姿が見えた。
「どうやら警戒は解かれたようだな」
ネインは地面に落としたナイフと仮面を拾い上げ、近くの花壇の縁石に腰を下ろした。顔を上げると、先ほどまで晴れていた空に灰色の雲が広がって、陽の光を遮っている。まるで自分の先行きを暗示しているような天気を見て、ネインは思わずため息を吐いた。
「さて……。敵ではないと伝わったはずだが、客として迎えてもらえるかどうか……」
ジャコン・イグバの話によると、雨の魔女はとにかくかなりの気分屋らしい。それに先ほどの執事の言葉を聞く限り、どれだけ待たされるのか見当もつかない。もしかしたら一晩中待たされる可能性もあるし、このままずっと放置されることも考えられる。
「まあ、その時はその時か……」
とりあえず、最初の難関であるオルトリンの森は突破して、訪問理由を伝えてもらうことには成功した。あとは雨の魔女の返事を待つだけだ。ネインはそう考えて腹をくくり、肩の力をそっと抜いた。そして灰色の空を眺めながら、魔女との交渉をどう進めるか練り始めた――。
「お待たせいたしました。……カルナ様?」
カルナの広い研究室に戻った執事は、ふと首をかしげた。カルナが鏡の画面を食い入るように見つめたまま完全に固まっていたからだ。しかも、もう1度声をかけてもうんともすんとも返事をしない。それで執事がそっと近づいてみると、カルナは何やらブツブツと呟いていた。
「……う~ん、やばいわね、この子。見れば見るほどかわいいじゃない……。どうしよう……。なんだかちょっと、辛抱たまんないんだけど……」
「カルナ様?」
「えっ!? ブリトラ!? いつの間に戻ってたの!?」
「ただいま戻りました」
ブリトラがすぐそばから声をかけると、カルナはようやく振り返った。そのちょっぴり慌てた表情のカルナにブリトラは頭を下げて、鏡の画面に映っているネインに片手を向けた。
「その者の名前はネイン・スラートと申します。彼の目的はカルナ様と魔女契約を交わすことです。念のため、私の大罪魔眼で確認したところ、嘘をついている気配はありませんでした」
「そう。この子はネインというのね。それで、年齢は?」
「今年で15歳です。しかし不思議なことに、大罪魔眼で見た彼の能力値と、先ほどの身体能力には大きな開きがあります。おそらく特殊な魔道具か何かで能力を向上させていたと推測されます」
「あら、そう。それで、ネインは結婚しているの?」
「……結婚、でございますか?」
訊かれたとたん、ブリトラは一瞬言葉に詰まった。その質問は完全に想定外だったからだ。
「だからそう言ったじゃない。ネインに決まった相手はいるの? 恋人は?」
「……申し訳ございません。そちらの項目については確認しておりません」
「えぇ~、なんでぇ~? それが一番大事じゃない。ほんともぉ、使えないわねぇ~」
わずかに戸惑いながら答えたブリトラに、カルナは呆れ果てた顔を向けた。それから赤毛の寝ぐせ頭をなでつけながら椅子に座り、再び鏡の中のネインを見つめた。
「まあ、いいわ。つまりネインは、わらわと魔女契約を交わすためにここまで来た。だからわらわの従者を1体も破壊することなく、森を一気に突っ切ってきたというわけね」
「おそらくそういうことだと思われます。それと、手土産にこちらのワインと、カルナ様がのどから手が出るほど欲しているモノを持参したと言っておりました」
「あら、これ、オルトリンのワインじゃない」
ブリトラからワインボトルを受け取ったカルナは、ラベルを見たとたん軽く目を見張った。
「わらわのために希少なワインを見繕ってくるなんて、ネインはなかなか気が利く子のようね。それで、わらわが欲しているモノというのは?」
「それはカルナ様に直接お話ししたいそうです。私が見たところ、相当自信がある様子でした。それと、魔女契約を望む理由は、カルナ様の情報網と魔法支援を受けるため。そしてその目的は、自己満足と復讐だそうです」
「気に入ったわ」
カルナは即座に指を鳴らした。
「わらわが復讐を誓って魔女の道を目指したのは17歳の年だった――。あの地獄の底にいたわらわよりも若い年齢で復讐を心に刻み、しかもすでにかなりの実力を身につけているところをみると、ネインの怒りは間違いなく本物ね。ならば、闇の道を歩いてきた先達として、若き同胞に庇護を与えるのはわらわの務めと言ってもいいでしょう」
「ですがカルナ様――」
力を込めた声で語ったカルナに、ブリトラがわずかに眉を寄せながら口を開いた。
「今はカルナ様にとって、これ以上ないほど大切な時期でございます。見知らぬ子どもの些事に関わるのは得策ではないと存じます」
「たしかに今は大事な時期だけど、些事かどうかの判断はネインの話を聞いてからね。それにわらわの準備はすでにすべて整った。あとはその日が来るのを待つだけよ。ならば、ネインの話はよい暇つぶしになるかもしれない。それにね、ブリトラ」
カルナはブリトラを見上げてニヤリと笑った。
「のどから手が出るほど欲しいモノを持ってきたと言われて、無視できる魔女がこの世にいると思う?」
「……かしこまりました」
カルナの瞳の中に揺るぎない光を見たブリトラは、うやうやしく頭を下げた。
「それでは直ちに、お客様をお迎えする準備を整えます」
「そうね。すべて完璧にしてちょうだい」
カルナは椅子から立ち上がり、白衣をひるがえしてドアに向かった。そのとたん、ブリトラはわずかに首をかしげてカルナの背中に声をかけた。
「お待ちください、カルナ様。どちらに行かれるのでしょうか?」
「そんなの、ロビーに決まってるじゃない。ホストとして、ゲストを出迎えるのは当然でしょ?」
「ですが、そのお姿のままでよろしいのでしょうか?」
「はい?」
ブリトラに言われた瞬間、カルナはキョトンとまばたいた。それから自分の姿を見下ろして、愕然と目を剥いた。
「えーっっ!? なにこれなにこれっ!?」
カルナは壁まで全力ダッシュして、鏡に映った自分の姿をまじまじと見た。そしてさらに悲鳴を上げた。
「ぎゃああああああーっ! ムリムリムリムリっ! ぜったいムリっ! こんな寝ぐせボウボウで顔面アブラ浮きまくりで美少年に会えるわけないじゃないっ! なんなのこれっ!? どういうことっ!? なんでよりにもよってこんな日に美少年が来ちゃうわけっ!? いったいどういう星の巡り合わせよ――とかどうでもいいからっ! とにかくブリトラぁーっ!」
「はい、カルナ様」
カルナは素早く振り返り、ブリトラを指さした。
「まずはお風呂よっ! 大至急お風呂を用意してちょうだいっ! いますぐっ! 速攻っ! ジャストナウのASAPっ! それと新しい石けんねっ! 一番高級なヤツっ! あと髪用の花油っ! ついでに若い男の股間をダイレクトアタックするアロマも選んで持ってきてっ! それからとっておきの下着とドレスとピンヒールっ! ドレスは両肩もろだしのセクシーなヤツねっ! 社交パーティー用の化粧品も全部まとめて持ってきてっ! 久しぶりに全力全開の完全武装でいくわよっ!」
「かしこまりました。お食事の用意はいかが致しましょうか」
「そんなの当然っ! 相手は若い男子だからフルコースよっ! わらわがそんじょそこらの木っ端魔女どもとは圧倒的にレベルが違うことを見せつけなさいっ! 高級食材はそろってる!?」
「申し訳ございません。昨夜のシチューでほとんど使い切りました」
「ガッデムッッ!」
カルナは鏡にこぶしを叩きつけて地団太を踏んだ。
「なんてことっ!? この世で一番美しい優雅なわらわがまともな食事も用意できないなんて冗談じゃないわっ! ブリトラぁーっ! 今すぐ買い出しに行ってきなさいっ! ネインにバレないように裏口からこっそり出て! 近くの村まで全力ダッシュよっ! ありったけの食材を全部買い占めてきなさいっ!」
「かしこまりました。すぐに行ってまいります」
「いいこと!? ここが勝負の分かれ目よっ!」
なに一つ言い返すことなく従順に頭を下げたブリトラに、カルナはさらに怒鳴り散らした。
「人間ってのは第一印象がすべてなのっ! 最初の一目で評価が決まるのっ! だからネインには絶対に気づかれないように完璧に準備をなさいっ! そして優雅に! あくまでも洗練された雰囲気を演出するのっ!
わらわはこの世でもっとも美しいと評判の魔女よっ! 寝ぐせなんかつかないし! 目の下にクマなんかできないの! 24時間年中無休でかぐわしい花の香りをまとっているの! 汗なんかかかないし! トイレにだって行かないの!
いい!? わかる!? わらわはすべての男どもの理想なの! どんな美少女よりもかわいらしく! どんな女神よりも美しい! ネインにそう思わせるの! いかに男をだまくらかすかで女の価値は決まるのよ!
そう! これは戦争よ! 女の生き様を賭けた戦いなの! わらわが負けることなんてありえないし! 負けることは許されない! つまりっ! 今日というこの日! この時! この場所が! 時空を越えた大宇宙に刻まれる女の歴史のターニングポイントということよっっ!」
カルナは全身全霊でそう言い放ち、全力でこぶしを握りしめた。そしてすぐさま研究室を飛び出して、服を脱ぎ散らかしながら全速力で廊下を駆け抜けていく。
「ぃぃぃよっしゃぁーっ! 今日は7時間っ! いえっ! 6時間よっ! 6時間でパーフェクトなビューティフルボディに磨き上げるわっ! そしてネインのヤングタワーをビルドアップさせてっ! 全力で前かがみにさせてみせるっ! おーっほっほっほっほっほっ! おーっほっほっほっほっほっ!」
カルナは廊下中に高笑いを響かせながら、一直線に風呂場へと駆けていく。その後ろを早足で追いかけていたブリトラは、廊下に散乱した服を片っ端から拾い上げる。そして廊下に置かれていた置き時計をチラリと見てから、風呂場へと向かって行った。
その時の時計の針は、9時40分を過ぎたところだった――。




