第44話 犬耳少女と朱炎の少年――ボーイ・ミーツ・ドギアガール
そこは王都の中でも特に大きな建物の1つだった――。
1つの区画の半分を占めるその大きな石造りの建造物は4階建てで、大通りに面した石の壁には入口がいくつも設けられている。それらの入口はどこも石の庇が歩道に突き出したポーチになっていて、中央の一番大きな正面入口以外は両開きの扉が閉まっている。
その入口の1つ、一番端の扉から1人の若い男性が外に出てきた。黒のハーフマントを羽織ったネインだ。ネインは庇の影から1歩出たところで足を止めると、大通りを行き交う大勢の人たちを軽く見渡す。それから手の中に視線を落とし、赤銅の個人認識票を見つめながら言葉を漏らす。
「……ようやくランク2の赤銅か。父さんはランク5の灰銀で、母さんはランク6の明金だったから、先はまだまだ長いな……」
ネインは小さなため息を吐き、個人認識票を腰のベルト通しに括り付けた。それから青い空に目を向けて、これからの行動を思案する。
「さて……。とりあえず冒険職協会での用事は済んだし、掲示板にも特に気になる仕事はなかった。時間もちょうど昼時だし、食事を済ませてからカイヤさんのところに……」
「――ぎゃふん!」
ひとり言を呟いていたネインは、思わず半歩前に足を踏み出した。何かがいきなり背中にぶつかってきたからだ。しかも素っとん狂な声まで軽く響いた。
「ぎゃふん……?」
ネインは首をかしげながら振り返った。するとそこには背の低い少女がいた。茶色い髪を2つのお下げに結った女の子だ。ネインの胸ほどの身長しかないやせた女の子は、涙目で鼻の頭を押さえている。どうやらネインの背中に顔をぶつけてしまったらしい。
「おい、大丈夫か?」
「だっ! だいじょうぶじゃないですぅっ!」
ネインが声をかけたとたん、女の子は甲高い声を張り上げた。しかもいきなり小さな両手をあたふたと動かしながら、涙目でネインを見上げてさらに言う。
「たったったったっ! たすけてくださいっ! なんか変な人たちに追われてるんですぅっ!」
「変な人たち?」
女の子が慌てふためきながら背後の扉を指さしたので、ネインも反射的に顔を向けた。すると建物の中から何やら大きな音が聞こえてくる。複数の人間が走って近づいてくる足音だ。そうと悟った瞬間、ネインは口の中で魔法を唱えた。
「第1階梯電撃固有魔法――起電身体超加速」
その瞬間、青い電流がネインの全身を駆け巡った。同時にネインは女の子の体を両手で軽々と抱き上げて、そのまま石の庇の上に放り投げる。そして素早く両手を左右に振り払い、青い電流を大気に放出――。さらにそのまま振り返り、何気ない様子で大通りに目を向ける。その直後、建物の扉が勢いよく開き、5人の少年が飛び出してきた。
「――くそっ! あの超絶レアな錬金娘はどこ行った!」
5人のうち真っ先に飛び出してきた緑色の髪の少年が、大通りの左右を見渡しながら声を張り上げた。さらに短い赤髪と長い黒髪の少年、スキンヘッドと長い金髪の少年も歩道の左右に広がり、人混みの中に目を凝らし始める。
「おい! おまえ!」
不意に振り返った緑色の髪の少年がネインを指さした。
「いまそこから茶色い髪の女子が出てきただろ! どっちに行ったか教えろ!」
「……そいつなら、あっちに行ったぞ」
訊かれたとたん、ネインは淡々とした顔で左の方に顔を向けた。
「警備兵がどうのこうのと言ってたから、王都守備隊の詰め所に向かったんじゃないか」
「くそぉっ! 警備兵かっ! ちょっとみんなで囲んで手を引っ張っただけなのに、いきなり逃げ出すとか頭オカシイだろアノヤローっ!」
緑色の髪の少年は思いっきり地団駄を踏んだ。そして短い赤髪の少年に顔を向けて声を飛ばす。
「宮本パイセンっ! あのレア女子! 守備隊の詰め所に向かったそうっす! どうします!? 追っかけますか!?」
「おう! たりめーだっ! あの子はオレッチの好みど真ん中だからなっ! 塚原テメーっ! ゼッテーナンパを成功させろっ!」
「ウェアルォアッシャッシャーっ!」
緑色の髪の少年は訳のわからない言葉で返事をして、近くにいるスキンヘッドと長い金髪の少年を手招きする。
「バッキーっ! ムネっ! こっちだっ! あのレア女子追っかけて! 拉致して縛ってナンパすっぞっ!」
その威勢のいい声と同時に、5人の少年は一斉に駆け出した。そしてネインが顔を向けた方向に怒涛のごとく走り去った。
「……もう降りてきていいぞ」
少年たちの背中が人混みに紛れて完全に見えなくなったあと、ネインは頭上の庇に声をかけた。すると茶色い髪の女の子がおそるおそる顔を出した。
「あの人たち、もう行っちゃいました……?」
「ああ。あいつらは北に向かったから、そっちに行かなければ大丈夫だろ」
「あ、あのぉ、たすけていただき、ありがとうございましたぁ」
庇の上にいる女の子はネインを見下ろし、ちょこんと頭を下げた。
「別に礼を言われるほどのことじゃない。それじゃ」
ネインは頭上の女の子に向かって軽く手を上げると、5人の少年たちが去っていった方向へと歩き出す。そのとたん、女の子が慌ててネインを呼び止めた。
「あっ! す、すいません!」
「うん?」
ネインが振り返ると、女の子は涙目で口を開く。
「あのぉ……ここから下ろしてもらえないでしょうかぁ……。わたし、高いところ苦手なんですぅ……」
「そうか。そいつは悪かったな」
言われたとたん、ネインは短い黒髪の頭をかいた。そしてすぐに魔法を唱えて全身に青い電気をまとい、庇の上に飛び上がる。それから素早く女の子を抱き上げて、地上に飛び降りた。
「あうあうあ~、ありがとうございますぅ~。うああああぁ~ん、こわかったですぅ~」
地面に立った女の子はやはり涙目のままネインに抱きつくと、いきなり声を上げて泣き始めた。すると突然、女の子の小さな頭に何かがひょこっと生えてきた。ネインは思わずパチパチとまばたきを繰り返す。そしてその茶色く盛り上がった2つのモノを呆然と見下ろしながら、女の子が泣き止むまで無言で突っ立っていた。
「あのぉ……いきなりいろいろご迷惑をおかけして、本当にすいませんでしたぁ……」
「ああ、いや、別に大したことはしてないから気にしないでくれ。それより――」
少しして、女の子はネインから離れて丁寧に頭を下げた。ネインはその小さな頭を見つめながら言葉を続ける。
「あんたは犬耳族、ドギアだったのか」
「はぁい、そうなんですぅ……」
女の子は両手で目元を拭いながらこくりとうなずく。その頭の上では柔らかそうな茶色い耳が力なく垂れている。
「さっきの人たちにもいきなり言われたんですぅ……。うひょー、こいつ犬っ娘だー、しかも錬金術師の合法ロリって設定盛りすぎだろー、まじやべぇ――って、なんだか訳のわからないことを言いながらわたしの腕を引っ張って、建物の奥に連れていこうとしたんですぅ……」
「それで慌てて逃げてきたのか」
「はぁい……。ほんとにもぉ、殺されちゃうかとおもいましたぁ……」
女の子はしゃべりながら小さな肩を震わせた。
「まあ、たしかにさっきの奴らは見るからにちょっと異常だったからな。もしもまた見かけたら、すぐに逃げた方がいい。それと冒険職協会にいたということは、奴らは冒険者に違いない。だったらここにはしばらく近寄らない方がいいだろ」
「そうですね……。ここでの用事も一応おわりましたから、しばらくは顔を出さないようにします……」
ネインの言葉に女の子は首を縦に振った。そしてネインを見上げて、もう一度礼を述べる。
「それでは、わたしはもう帰ります。今日はたすけていただいて、本当にありがとうございました」
「ああ、気をつけてな」
「はい」
女の子は胸の前で両手を組んで、大きく息を吐き出した。そしてネインに向かってにっこりと微笑んでから、大通りへと歩き出す。
その小さな背中が雑踏に紛れて見えなくなるまでネインは無言で見送った。それから首に提げていた水晶を片手でつかみ、目を落とす。
水晶の中ではいつもどおり、澄んだ朱色の炎が揺らめいている。しかし、5人の少年がネインの横を通りすぎた瞬間、炎が醜い灰色に染まったのをネインの目は見逃さなかった。
「……たしかに、さっきの奴らは異常だった」
ネインはゆっくりと顔を上げ、少年たちが走り去った方に目を凝らす。そして瞳の中に鋭い光を宿しながら、低い声で淡々と言葉をこぼす。
「異世界種、アナザーズ……。オレはおまえたちを絶対に許さない。オレたちの世界に土足で踏み込んできたその罪、おまえたちの血であがなってもらおう――」




