第38話 王都に潜む闇の淵――ハーブショップ・ハーメルン
石造りの王都の片隅にあるハーブショップで、1人の男が朝から慎重に薬を調合していた――。
年季の入った木製のカウンターで作業していたのは短い黒髪の中年男性だった。カウンターの上には粉末状のハーブが入ったガラスビンがいくつも並び、男の手元には小さな正方形の紙が何枚も重ねて置いてある。
黒縁メガネをかけた男は各種のハーブを小さじで順番にすくい、手元の小さな正方形の紙の上に慎重に落としていく。そのレンズの奥の黒い瞳は、細かい粉の一粒ひとつぶを確実にとらえて数えている。そして1つの調合が終わると紙を三角に折りたたんで丁寧に包み、さらに同じ薬をいくつも作っていく――。
すると不意に、男の耳に鈴の音が聞こえた。
「……いらっしゃい。どんな薬をお探しで?」
男は低い声でそう言いながら顔を上げた。しかし店の入口を見たとたん、思わず小首をかしげてしまった。ドアチャイムがついた扉が開いていなかったからだ。
男はガラスの窓の外にも目を向けたが、石畳の細い通りには朝の明るい光が射すだけで人影はどこにも見当たらない。それなのに、再び澄んだ鈴の音が男の耳に静かに響いた。
「ああ、なんだ。頭の中か……」
男は軽く自嘲するように顔を歪めて呟いた。それから首に下げている金属片を手に取った。それは手のひらに収まるサイズの薄い銀色のプレートで、表にも裏にも文字や飾りは一切ない。その鏡のように滑らかな表面を見下ろしながら、男はわずかに口を動かす。
「ステータス・オン……」
その直後、プレートの上の空間に、男にだけ見える画面が現れた。その空中に表示された画面にはいくつかの文章が書いてあり、男は黙々と目を通す。そしてすべて読み終えると小さな息を一つ吐き出し、ネックレスのプレートを襟元からシャツの中に突っ込んだ。
「やれやれ……。前置きなしの指令だけとは、うちの女神様は相変わらずドライだな……」
男は軽く呆れ顔でハーブのビンにふたをして、既に作った大量の薬の中から28包だけ紙袋に放り込む。それから背後を振り返り、棚に置いてあった小さな革袋に手を伸ばす。その革袋の中味をカウンターの上に出してみると、白銀のコインが9枚だけ入っていた。
「この前あいつに1枚渡したから、あとで追加しておかないとな……」
男は呟きながらコインを2枚だけつまみ、ズボンのポケットに突っ込んだ。それから残りのコインを革袋に戻して棚の中に放り投げる。そして薬を入れた紙袋を片手につかみ、店の外に出た。
「……さてと、久しぶりの本業だが、ご所望の素材は金色か。やれやれ。色の指定があるとけっこう面倒なんだよな……。それにもう1つは、あいつの安否確認か。まったく。アホなガキってのは、いくつになっても成長しないな……」
男は入口の扉に鍵をかけ、面倒くさそうに呟いた。それから大きなあくびをしながら近くの広場へと足を向ける。すると広場に着いたとたん、角の屋台から明るい声が飛んできた。
「――あっ! ザジさん! おはようございます!」
その元気な声の主は若い女性だった。声をかけられた男はゆっくりと顔を向け、それから女性の小さな屋台へと近づいていく。
「……おはよう、モリー。相変わらず元気だな」
「それはもう。元気だけが取り柄ですから」
若い女性は黒縁メガネをかけたザジに向かって、健康そうな笑みを浮かべながらさらに言う。
「それでザジさん。今朝もいつもと同じでいいですか?」
「ああ。1つもらおうか」
「はーい。まいどありがとうございまーす」
ザジの注文を受けて、モリーはすぐに長細いパンを手に取った。さらに縦に入ったパンの切れ目に刻んだタマネギを軽く詰めて、焼いたソーセージを1本挟み、ケチャップとマスタードソースをかけてザジに手渡す。
「はーい、お待たせしましたー」
「お、サンキュー。朝はやっぱりコレを食べないと始まらないからな」
ザジは口を大きく開けてパンを食べて、咀嚼しながら何度もうなずく。その満足そうな顔を見ながら、モリーは嬉しそうに微笑んだ。
「ザジさんに教えていただいたこのホットドッグのおかげで、常連さんがいっぱい増えましたからねぇ。もうザジさんのお店に足を向けて寝られませんよぉ」
「ん? 別に気にしなくていいぞ。これは俺が食べたかっただけだからな」
ザジは淡々と答えながら振り返り、広場の中をざっと見渡す。中央に小さな噴水のある広場には露店や屋台がいくつも軒を連ね、四方に伸びる通りから多くの人が続々と集まってくる。
人々の半分近くはザジと同じようにあちらこちらの屋台で、パンやスープや炙り焼き肉を買って立ち食いしている。残りの半分は大きめの露店に並ぶ新鮮な野菜や果物、肉や川魚などを買い求めて帰っていく。モリーの屋台にも客が続々と足を運び、ホットドッグを買ってはザジのようにその場でかじりついている。
「……それじゃあ、モリー。これ、2週間分の薬な」
「あ! いつもありがとうございます!」
ホットドッグを食べ終えたザジは客の切れ目を見計らい、手に持っていた紙袋をモリーに渡した。モリーは薬を両手で大事そうに受け取ると、丁寧に頭を下げる。
「ほんと、こんな高いお薬をいつもいつもすみません」
「いや、こっちも毎日ホットドッグをタダで食わせてもらっているからな」
「でも、ホットドッグとお薬では、値段がぜんぜん違いますから」
「いやいや、原価はそう大して変わらないから」
ザジは思わず苦笑しながら、手を左右に振った。
「たぶん知らないと思うが、薬九層倍って言ってな、薬の売値ってのは原価の9倍なんだよ」
「ええっ!? 9倍っ!? お薬ってそうなんですかっ!?」
その言葉に、モリーは驚きのあまり目を剥いた。
「まあな。だから薬屋ってのは、どこもけっこう立派な店構えをしてるのさ。つまりうちのハーメルンは、例外中の例外ってわけだ」
「はぁ……お薬ってそんなにもうかる商売だったんですかぁ……」
モリーは思わず自分の屋台に並ぶパンとソーセージを呆然と見下ろした。しかしすぐに気を取り直し、ザジを見つめて目を細める。
「だけど、たしかにザジさんは商売に向いていないですよねぇ。おかげでうちは大助かりです」
「俺はこれでいいんだよ。いくら金を稼いだって、あの世には持っていけなかったからな」
「あはは。持っていけなかったって、死んだことがあるみたいな言い方しないでくださいよぉ。ザジさんはまだまだ若いじゃないですかぁ。……あ、そうだ。よかったら、かわいい女の子を紹介しますよ? その年でずっと独身なんて、ちょっともったいないですからねぇ」
「いやいや、俺はかなり気難しい男だからな。1人で生きて、1人で死んでいく方が性に合ってるんだ」
にこやかに微笑んでいるモリーに、ザジは軽く肩をすくめてみせる。それからふと、モリーに渡した紙袋を指さしながら言葉を続ける。
「それより、モリー。前にも少し話したが、薬ってのは毒を弱めたものだ。だから、できる限り薬は飲まない方がいい。変な話だが、それが健康になる秘訣だからな」
「ああ、そういえばそんなことを言ってましたねぇ。だけどうちのおじいちゃん、ザジさんのお薬を飲まないと体が痛くて仕方がないって言うんですよぉ」
モリーはやはりニコニコと微笑みながらザジに答え、新しい客にホットドッグを手渡した。その姿を横目で見ながらザジは淡々とさらに言う。
「ドーヤ爺さんには悪いが、体が痛むのにはそれなりの原因がある。そしてその原因を取り除かない限り、いくら薬を飲んだって体は絶対に治らない。薬屋の俺が言うのもなんなんだが、体を鍛えずに毎日酒を飲んで、健康管理もせずに文句を言うだけの老害なんか、さっさと死なせてやった方がいい。そしたらあんたの生活もずいぶん楽になるだろ」
「ほんと、そうなんですよねぇ~」
辛辣なザジの言葉に、モリーは明るい笑顔で返事をする。
「うちのおじいちゃん、一日中寝てるかお酒を飲んでるかのどちらかなんですよぉ。働こうと思えばまだまだ働ける年のくせに――体が痛くて動けない~――って言い訳ばっかりして、ほんとダメダメなおじいちゃんなんです。……でもねぇ、それでもやっぱりたった1人の家族ですからねぇ。あたしが面倒見てあげないとって、どうしても思っちゃうんですよねぇ」
「……そうか。そうやって自分から貧乏くじを引きにいく人間の気持ちってのは俺にはよくわからんが、誰だって自分の人生を、自分の好きなように生きる権利がある。つまり、あんたがどんな道を選択しても、それはすべて正しいってことだ」
「それはどうも、ありがとうございます。ザジさんはやっぱり優しいですねぇ」
「そう思うのはあんただけさ」
淡々としゃべったザジの顔を見つめながら、モリーは嬉しそうに微笑んだ。その笑みにザジは軽く肩をすくめてみせる。そしてすぐに背中を向けて、モリーの屋台をあとにした。
「やれやれ……。あの娘と話すと調子が狂うぜ……。だけど他の奴に1からホットドッグのレシピを教えるのも面倒だから仕方ないな……」
ザジは軽く頭をかきながら小さな噴水の横を通り抜けた。そして南に伸びる道にまっすぐ進む。
「……さてと。どっちの仕事から片付けるかねぇ」
黒縁メガネの奥の黒い瞳を素早く動かし、ザジはすれ違う人を1人残らず見渡しながら呟いた。そうして石畳の道をしばらく歩くと、王都でもっとも大きな中央広場が見えてきた。
ザジはそのまま人混みを避けて進み、建物の角で足を止めて石の壁に背中を預ける。そして広場の中を行き交う無数の人々を眺めながら、ぽつりと呟く。
「やはり、アーサー・ペンドラゴンの安否確認より、金色の素材を先に探すか……。それが俺たちゲームマスターにとって、最優先の仕事だからな」




