06 難航
◆ガスタークの港町
ソニアはラインからの報告を聞き、眉をひそめる。
「リンドバーク帝国の使者がまだ来ていない? どういうことなのですか、ライン?」
「おれも、詳しくはわからない。ユーイ、お前の口から見てきたことを話してもらえるか?」
襲撃を受けたときとはまた違った緊張感が、その場に流れる。
野営で夜を明かした一斗達は、ユーイを先遣隊として港口に派遣した。
リンドバーク帝国からの使者と合流ができた上で、ソニアを船に招き入れ交渉の場まで移動する手はずになっていた。
ところが、いつまで経っても船は港に入港する気配はない。
そこで、ユーイは港口周辺を念のため調査したが、こちらまで辿り着いた様子も、何か耕作されている様子もなかったのである。
「現状については以上じゃ。考えられるのは、最初から交渉するつもりがなかったか、船が何らかのトラブルに巻き込まれたか、それとも――」
「前者はとても考えにくいです。現に、元親衛隊長であり現宰相でもあるガジルが一足先に向かっています。彼からの直筆の手紙と共に、リンドバーク帝国の国王からの書状も届いています」
今回の同盟交渉にあたり、ソニアは本気度を相手に伝えるために王国No.2のガジルをリンドバーク帝国に派遣していたのである。
状況によっては命を落としかねない任務であったが、「フィオリーナ王家のためならば、命などを惜しくはございません」と逆に自ら志願してのことだった。
「リンドバーク帝国としても、無闇に人間同士で争い合い、鬼人族に漁夫の利をもっていかれるのは避けたいと思っているはずです。それに、未だに連絡がつかないアウリムリアとのこともあります……」
「だったら、選択肢は限られるでしょう。一つは、このまましばらくここで待機して様子を伺う。もう一つは、こちらから出向く。いかがなさいますか、女王様?」
「それは……(昨晩の件もそうですが、判断するには情報が足りなすぎます。かといって、このまま何も行動を起こさぬのも愚策)」
レオナルドは率先して伺いを立てるが、ソニアは判断しかねていた。
「……三つ目の、このまま引き返すっていう選択はないのか?」
一斗は静まり返った場に、もう一つの選択肢を提示する。
「女王様の身の安全を最優先にするのであれば、一斗殿の選択がベストでしょう。しかし――」
「今回の同盟交渉には人類の存亡がかかっています。迂闊な行動は我が国の信頼を大きく損ないかねません。さらに言えば、時間は一日でも無駄にはできないのです。つまり、我々が今とれる選択は……一つなのです」
ソニアの決意に満ちた表情から、彼女の下す結論が一斗でもわかった。
その後、一斗の予想通りソニアは『こちらから出向く』という道を選んだ。
王国専用の船が生憎出払っていたため、街の人が所有している船を借りることにした。
「とはいえ……こんな命懸けの船旅になるとはな」
一斗は激しく波に揺れる船に乗りながら、悪態をつく。
そう思うのも仕方がない。
一斗が元いた世界でいう江戸時代以前の木造船に、今乗っている。
動力は人力。
つまり、人の力量・経験に大きく左右されるわけである。
一方、船乗りの力量は長年アルクエードに頼りきっていたせいか、たかが知れている程度。
「前途多難だな」
「まぁ、そう言うなよ。それより一斗、今回の件をお前はどう考えているんだ?」
「どうって……気になる点が多すぎる。一言でいえば、何者かの思惑に嵌っている感がする」
「なぜそう考えているんですか?」
レオナルドも一斗とラインの話し合いに加わった。
「なぜって、そりゃあすべて後手に回っているからに決まってるだろ。しかも、それが何者の仕業なのかを知る手掛かりがまったくない、わけではないが――いや、なんでもねぇ(下手なこと言って事を荒立てたくないからな)」
一斗はあることを言いかけてやめた。
「それでも同盟を成功させる。サクヤの願いを叶えるためにも」
「そうだな。ラインの恋する相手のためにもな」
「はぁ〜!? 何言ってやがるんだ! 誰があんな暴力女のことなんか――」
慌てて一斗の発言を否定するライン。
「誰が暴力女ですって?」
すかさず女が抑揚のない声で問いかける。
「それは決まってるだろ? 普段はお淑やかに振る舞っているようだが、誰よりも好戦的ですぐに手があがる――って、何でお前たち顔が引きつっているんだ?」
ラインはまだ気づいていない。
自分の背後に立っているものの存在を……。
しかし、数秒の間を置いて、ようやく自分の置かれている状況を把握し、顔面蒼白なライン。
「お前ら〜――」
「さらば、ライン」「申し訳ございません、隊長」
そんな哀れな男を前にして、一斗とレオナルドは巻き添いを食らう前に、早々とその場から立ち去ることにするのであった。
修羅場から離れたところで、しばらく海をぼ〜っと眺める。
(沈没する危険性だってあるのにな。なぜか大丈夫な気がするんだよな)
この世界に限らず、船旅をしたのは今回が初めてだったので、不謹慎かもしれないがワクワクしていた。
「今、いいか?」
「ん? ユーイか、別に構わないぞ」
のんびりしていた一斗に、ユーイが声を掛けた。
「……」
「どうした? 何か話があるんじゃないのか?」
「……すまぬ、妾がいながら。バスカル様の時も、今回も役に立たず……」
「ユーイ……」
心底悔しそうな、それでいてどこか怯えている表情なユーイを見て、何か胸の内に隠している何かがあると感じた。
「大丈夫だ。お前が何度失敗しても俺はお前を見捨てるつもりはないぞ。たとえ、お前が俺を見限ってもな」
元々戦力になると思ってユーイを引き入れたわけではない。
『鬼と友だちになってみたかった』
ただそれだけだったのである。
一斗にとっては些細なことであったが――
「ふふふ、やはり一斗は変わっておる。変態じゃな」
ユーイは心が救われた感じがして、安堵の笑みを浮かべた。
隠し事ができない一斗。
どれだけ平静を装っても、周りにはバレバレ。
本心の発言なのかどうかは、すぐにわかる。
だから、疑心暗鬼にならなくても済む。
どんな状況にいても、一緒にいるだけで安心できる存在。
これまで出逢ったことも聞いたこともないような稀有な存在である、という認識がユーイには出来上がっていた。
「それに、今回に限っていうと、ユーイのおかげで相手の今後の展開はだいたい予想できる」
「なぜじゃ?」
「よ〜く思い出してみろ。相手はユーイの存在を知っているだけではなく、その実力を認識していた節がある。おそらくお前を襲ったやつは、情報としてユーイを知っているのではなく――」
「……元フィダーイーの構成員の一人、もしくは関係者……ということじゃな。なるほど、それならば合点がいく。宿泊先内部の情報を事前に熟知していた点や、妾をどうすれば無効化できるのか知っていた点、それに襲撃ポイント。確かに、どれをとっても一斗の推測を裏付けるものじゃ」
ユーイは襲撃前後のことを思い出す。
相手を油断させる環境を作ったところで、最小人数で相手を奇襲し無力化する。
少数精鋭のフィダーイーが最も得意としていた作戦であった。
「思い当たる奴はいないか?」
「……実は、あの一年前の出来事の前後から行方がわからぬ隊員が数名いる。さらにその下位の者となると……妾も把握しきれておらぬ」
「そうか……だが、気にするな。今回の同盟は最初から失敗するように仕組まれていた……と考えてみると、今大事なのは女王様を何としても守り抜くことが、相手の思惑をぶっ壊すことにもなる」
一斗は両拳をぶつけ、気合を入れ直す。
「ならば、女王の護衛は妾が引き受けよう。借りは返さないと気が済まない」
「その意気だ」
「あっ……」
一斗はユーイの頭をポンポンッと叩くと、ユーイの横を通り過ぎる。
そして、未だに周囲のことをお構いなしに喧嘩を続けるラインとソニアの下に、ゆっくりと歩いていく。
ユーイは自分から離れていく姿を惚けた顔で見つめ、ふっと微笑んだ。
(妾にこんな親しい態度で接する者はあの二人――サイとトーマ叔父様以来だな。お主といるとあの幸せだった頃のことを思い出させる)
親しい友や家族と呼べる人と別れて100年以上経つ。
それ以降は生きる術をバスカルから教わり、これまで日の当たらない影の仕事に徹してきた。
多くの人を傷つけ、殺め、人生を狂わせてきた。
そんな自分は償いきれない罰を背負い、絶対に報われないと思った。
(けれど、お主は妾に新しく生きる場所を創ってくれた。今度は妾がお主の居場所を守る!)
ユーイは心の中で一人強く決意するのだった。
◆ブランチ島
クレアシオン王国とリンドバーグ帝国の領域の境にある島――ブランチ島。
そこはかつて鬼人族との戦いの最前線基地として戦前は活用されていた。
しかし、戦後は軍事基地は解体され、この島はどこにも属さない場所として定めることを両国は取り決めた。
島の住人のほとんどは英雄のいるクレアシオン王国に身を置くことを決め、つい最近まで無人の島となっていた。
同盟の話が具体化していく中で、リンドバーク帝国側から交渉する場所としてブランチ島が指定された。
相手の提案をのんだソニアは、ブランチ島の安全面を確保することと、本気度を相手に伝える必要があると考える。
そこで、王国ナンバー2であるガジル宰相を交渉役兼会談の準備要員として島に派遣。
会談前日、ガスタークに女王一行を迎えに行く算段になっていたのである。
ところが――
「静かすぎますね……」
「あぁ、罠だな」
「罠か……でも、行くんだろ?」
一斗がソニアに確認を目線で促す。
「ここまできて引き返す、という選択肢はありません」
「だな。最大限警戒しながら、あの建物に近付くぞ」
ラインが指差す方向には、基地跡に整備した建物が立っていた。
慎重に近付いていくが、やはり周囲に動く気配はない。
「ん? この臭いは……血?」
「血……まさか!?」
「お、おい! 一人で行くな、ソニア!」
ソニアはラインの制止を振り切って、建物内に血相を変えて突入した。
「!?」
ソニアは建物内を見て絶句した。
部屋中におびただしい量の血が飛び散っていたのである。
「うっ!? (さすがに……これは……)」
血を見慣れていなかった一斗は堪えられなくなり、吐き気を抑えるのに精一杯だった。
「……おかしいですね」
それに対して、悲惨な状況にもかかわらず、レオナルドは冷静に周囲を分析する。
辺りを見渡すと、部屋には争った後のように荒れている。血は部屋中に飛び散っているのに、負傷者や死体の姿は一切見当たらない――にもかかわらず、武器や防具はそのまま残っている。
残っている物を確認する限りでは、クレアシオン王国とリンドバーク帝国の両国の物が存在する。
ということは――
「ガジル……」
ソニアは見知った剣を手に取り、その持ち主の名前を力なく呟く。剣にも大量の血が付着している。
「不可解な現場だが……とりあえず早くこの場から、離れた方が良さそうです。何者かが近付いてきています」
レオナルドが指摘するように、一斗も数人の気配がこちらに接近しているのを察知した。
「(やはり、俺が睨んだ通りだ)レオナルドの言ったように、一旦この場から離れた方が良さそうだ。それに、この大量の血は自作自演の可能性が高い」
「ど、どういうことだ、一斗!?」
ラインが詰め寄る。
「……お二人がおっしゃっているように、まずはこの場から退散しましょう。説明はその後にでも……よろしいでしょうか?」
「あぁ、それで構わない」
一斗は頷いて答えると、最初に外に出た。
氣を察知して、現状把握を試みる。
(三人……か。昨日のやつらでもなければ、知っているやつらでもない。警戒はしているようだが、気配を消していない。下手な行動は取れないが、それは相手も同じはず……ならば!)
ペンダントを取り出すと、ユーイとお揃いのペンダントに氣を送り込む。
(一斗……仕掛けるのじゃな。承知した)
一斗からのメッセージを受け取ったユーイは密かに行動を開始した。
「どうしたのです?」
「ライン、レオナルド。俺に作戦がある。耳を貸してくれ」
小声で話しかけてくる一斗から自信を感じた二人は、一斗に近付き耳をひそめた。
「手短に言うぞ。これからの作戦を」
悪巧みを考えている悪ガキのような顔をして、一斗は作戦を伝えた。
*
「ソニア様、こちらです」
「ありがとう」
ソニアは先導する親衛隊によって、森の奥地へと進んでいく。
「一斗様が申していた場所はこちらかと」
「そうですか。では、ここで待機しましょう」
森の奥地は大きな岩壁がそびえ立っていて、そこで背後からの奇襲を防ぐように陣取ることにした。
ソニアたちが一斗から聞いた作戦はこうだった。
まずは、ソニア達を森の奥地へと逃がし、安全を確保できるまで待機する。
その間、先行してユーイは船場に戻り、退路を確保する。
ラインを相手の交渉役として、レオナルドと一斗が同行している。
そして、ソニアは親衛隊二人と共に様子を伺うために、森の奥地に退避する。
この作戦に対して、最初ソニアは疑問に思ったが、ラインとレオナルドは不満そうな様子はないと感じ、作戦に従うことにした経緯がある。
(とはいえ、ここにいては私には何もできない……何も?)
「ソニア様」
「なんですか?」
ソニアは何か引っかかるのを感じ、思考を巡らせようとしたところで、親衛隊の一人に声を掛けられた。
「隊長は大丈夫でしょうか? それに襲撃者の件もありますし」
「大丈夫ですよ。彼にすべて一任してあります」
「……そうですか――」
ソニアはラインに対して全幅の信頼を置いており、安心しきった表情で岩に腰かけた。
キンッ!
「「「!?」」」
突然耳元で金属音が鳴り響くと、ナイフとクナイが地面に落ちた。
「チッ!」
「何をするの、エルネア!」
ソニアに最後に声を掛けた親衛隊の一人エルネアが、険しい顔をして後ろに飛びずさり、昨夜ソニアを庇ったもう一人はソニアの前に立ち剣を構え警戒した。
「やはりここで尻尾を出したな」
「ガハッ……なぜ、あなたが……ここに?」
ソニアを襲ったエルネアは、不意に現れたユーイの手刀によって気絶し、その場に倒れこんだ。




