01 あれから1年
◆ハイムの森
「……」
ある日の早朝、巨大な岩に腰掛けながらボ〜っと空を眺めている男がいる。
空はどこまでも青く澄んでいて、気持ち良い空気が辺りを漂っている。
にもかかわらず、一斗の表情はどこか翳りがあるようだ。
「先生……先生……一斗先生!」
「お、おう! どうした、ケイン?」
「瞑想が終わりましたので……その――」
そんな一斗に遠慮がちに、ケインが声を掛ける。
「そうだな……じゃあ、久しぶりに組み手でもやるか!」
「まさか先生とですか!?」
「嫌か?」
「そんなことないです、物凄く嬉しいです! お願いします、一斗先生!」
ケインは嬉しさを全身で表現しつつ、構えをとった。
「よし! 日頃の修行の成果を見せてもらうぞ、ケイン」
「はい!」
ケインは心の中でホッと一息つき、一斗との組み手に集中することにした。
王都奪還作戦でバスカルが死去してから、一年の月日が経つ。
一斗たちはあの後すぐにエルピスに戻り、マイが目覚めるのを待ったが、未だにその気配がない。
薬や氣功などあらゆる手段を試したが、どれも有効な手段ではなかったことに一斗は内心激しく動揺した。
『このままマイが目覚めないのでは?』
という不安が何度も頭の中を過ったが、みんなの前では毅然と振る舞ってきた。
一方、アルクエードが使えなくなったことにより、アルクエードを使用してきた反動が王国中で懸念された。
アイルクーダやエルピスは他の街や村と比較して、アルクエードを使わない生活に切り換えていたので影響は少ないと考えられている。
それでも、王国中で不安が蔓延しているのはアルクエードが使えなくなった一件だけが原因ではなかった。
それ以上に、禁術を解除したことにより封印した結界が解け、鬼人族の復活が危惧されている。
もし仮に復活していた場合、一番問題なのは現在の王国に鬼人族と対抗する手立てがないことである。
300年前、鬼人族との大戦があったときは常に臨戦態勢を整えていた。それでも――ほとんどの戦線で負け続け、クレアシオン王国・リンドバーク帝国・アウリムリアの人間側連合軍は壊滅寸前まで追いやられたのだ。
事の重大さを誰よりも認識していたソニアは、問題を解決すべく王都奪還後すぐに動き始めたのだった――。
(どうする……俺はこれからどうすればいい? マイを助けることもできず、今後の動きに対しても何も力になれず……俺は!)
「ウァ!?」
「!?」
これまでのことを回想していた一斗だったが、突然聞こえたケインの驚いた声で正気を取り戻す――すると、ケインの顔面寸前で自分の拳を防いだ二本の剣が確認できた。
「ユーイ……」
「その攻撃は今のこやつには厳しいぞ、一斗よ」
二本の剣は<大喬・小喬>で、一斗の拳を防いだのは剣の持ち主であるユーイだった。
ユーイは一斗が正気に戻ったのを確認して、双剣を鞘におさめた。
「あっ……あっ……」
「悪い、ケイン! 怪我はなかったか?」
恐怖のあまり硬直してしまったケインの体を、一斗は大きく揺さぶった。
「は、はい。ユーイさんの、おかげで……」
「ホッ……それはよかった(無理もない、か。無意識に放ってしまった一撃とはいえ、ヴィクス相手に繰り出すような一撃を食らいそうになれば……)。サンキュー、ユーイ」
「ユーイさん、ありがとうございます」
「……うむ」
一斗とケインから真剣に感謝され、ユーイは照れ臭そうにスッポを向いた。
「それより今日はどうしたんだ、ユーイ? 確か他の街や村に調査に出掛けたはずではなかったか?」
「それは部下に任せ、妾はラインの命でいち早くこっちに戻ってきたところじゃ」
「ラインの命……ということは、女王様絡みの案件だな?」
「そうじゃ。お主に急ぎ伝えたいことがある」
現在、ユーイは諜報活動の一環として王国中の調査を行っている。
諜報活動はユーイが以前まで属していたフィダーイーが主となり行われているわけだが――なぜフィダーイーだった者たちがラインの命で動いているのか?
その理由は、フィダーイーの処分に関してひと悶着あったことに起因する。
バスカル直属の諜報部隊であったフィダーイーは、バスカル死去により解体。
指名手配は王都奪還後に取り下げられたが、「フィダーイーに属していた者たちを野放しにはできない」という意見が王族や貴族内で大多数を占めた。
そこでソニアは、ユーイとヴィクス、ナターシャが王都奪還作戦成功に尽力したことを加味し、フィダーイーに対して二つの条件を提示した。
一つは、王国の復興に貢献すること。
もう一つは、目付役を付けて常に監視下に置くこと。
目付役にはフィダーイーと敵対関係にあった決起隊隊長ラインと、エルピス・マーティカ・キーテジでの功労者であり、ラインからの信頼も厚い一斗の二人が選ばれた。
それらの条件をフィダーイー隊長であったユーイが承諾したことで、話がまとまったのである。
「……わかった。レオナルドにも訊いてもらいたいから、本題はエルピスで訊こう。――というわけで悪いな、ケイン。今日の朝練はここまでだ」
「いえ、問題ありません。むしろ、先生と久しぶりに手合わせできて光栄です! あやうく死にそうになりましたが……」
「その埋め合わせは必ずする。……じゃあ、気を取り直してひとまず街へ戻るとしようか」
「うむ」「はい!」
一斗たちはハイムの森を出て、急ぎエルピスに戻ることにした。
◆エルピスのまち
エルピスに着くと、街の人たちと話をしている背の高い男の姿を見つけた。
「よう、ヴィクス!」
「……一斗か。それに、ケインとユーイ殿も一緒か」
「ヴィクスよ。建物の立て直しや砦の補強はどれくらい終わっているのじゃ?」
ヴィクスはユーイとは異なり諜報部隊としてではなく、戦闘力や機動力を買われて街の治安維持や復興活動に努めている。
実際、巨体には似合わないくらいヴィクスは細かな作業も得意で、最初は街の人たちからは外見で避けられてきたが、今ではとても重宝される存在となっている。
「……現状、突貫工事でようやく50パーセントといったところだ」
「こんな大がかりに取り組んでも、まだ半分か……」
「仕方ないですよ、先生。人員はいても、建築に詳しい人材は限られていますので」
「……だな」
実際のところ、建築に詳しいのはアイルクーダにいるハルク親方と、親方から指南を受けた20名――それに、一斗を合わせたメンバーに限られているのだ。
「……いよいよか?」
「うむ……お主にはまた後でな」
「……承知した」
一斗たちはヴィクスと別れ、レオナルドがいるだろう建物に急いだ。
一斗は街の様子を伺いながら歩いてみると、以前と比べて活気があると思った。
(人形のように動いていたあのときとは大違いだな)
正直なところ不安は拭えきれないようだが、それでも人と人との交流に喜びを強く感じている人が多くいるように一斗は感じている。
だからこそ、これからの動きが重要になってくることは、誰もが察していた。
「着きましたね、レオナルドさんが滞在している自立型治安維持組織<サムソ>の本部が。先に中に入って、レオナルドさんに声を掛けてきます」
ケインはそう告げると、いち早く建物の中に入っていく。
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○自立型治安維持組織<サムソ>
決起隊の後継組織。
決起隊は王都奪還作戦で『アルクエードの源を破壊する』という目的を達成。そして、ラインが女王直属の親衛隊に任命されたのを機に、決起隊は解隊された。
しかし、隊員たちはそのまま街の治安に努めることを望んでいることを知ったレオナルドは、まちの長であるヘッケルに相談。
そこで、どこにも属さずに、国や街、村などからの依頼に対応する自立型治安維持組織<サムソ>を結成。元決起隊員を中心にして活動を開始した。
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「それにしても、死んだとはいえキールの屋敷を勝手に使ってもいいのか? まぁ、今更だが……」
一斗は敷地面積が広い屋敷の前に立ち、ボソっと呟いた。
<サムソ>の本部はキールの屋敷を使用している。キールが死んでからは決起隊が一時的な拠点にしていたが、<サムソ>が結成されてからは本格的に拠点として活用し始めたのである。
「いいのではないか? この土地は元々王国の所有地で、国のトップである女王が認めたのじゃからな」
「そうだけどよ……やっぱ権力の力はすげぇな」
「お主はその力に反逆したのじゃぞ?」
「俺は指図されたり、誰かの思い通りになるのが嫌いなんだよ」
「ふふふ、そういうことにしておこうかのう」
不貞腐れたように一斗が答え、建物の中に入っていくと、ユーイはそんな一斗の後ろ姿を見て安堵した表情を浮かべ――そっと笑みを浮かべながら一斗の後に続くのだった。
「……ということは、ついに隣国との同盟交渉を行う――そういうことですね?」
レオナルドはユーイからの報告を受け、念のための確認をとった。
「うむ、そうじゃ。アウリムリアとは連絡が取れなかったが、リンドバーク帝国とは交渉の準備ができた。今回の交渉はリンドバーク帝国との国境にあるブランチ島で行われ、その交渉にはソニア女王と親衛隊長、それに護衛数名が行くことに議会の決議で決まった。それで――」
「親衛隊長であるラインが選ばれたわけだな?」
コクン、と頷くことでユーイは肯定した。
ラインは王都奪還直後からソニアの護衛に当たっている。
ライン、ソニア、ナターシャの三名はバスカルによって捕らえられていた王国の要人たちを解放――バスカルに操られていた兵士たちはしばらくして元通りに戻った。
緊急事態ということで、ソニアはこれまでの経緯をまずはフィレッセル城下町に住む者たちに伝えた。
禁術が解除されたことで、アルクエードが使用不可能になり、封印が解けて鬼人族との戦が始まる可能性が高いこと。
教団はアルクエードの力を悪用してきたこと。
そして、今回の王都占拠や指名手配の件も含めて、一連の事件の首謀者は教団トップのバスカルであること。
国民たちはまさか大戦時の英雄であるバスカルが、裏で悪事を働いていたことに驚きと怒りを隠せずにいた。
一方で、ソニアは別の意味で危機感を抱いている。
それは――
◇
「重症ね、これは……」
ソニアは深刻そうに呟いたその一言に、辺りは騒然とした。
騒然とした理由――フィオリーナ王家に古くから仕える家臣ガジルは、それにいち早く気が付いた。
そこでガジルは皆を代表して質問することにした。
「何がでしょうか、ソニア様?」
「アルクエードが使えなくなり、願いを自由に叶えることができなくなることへの不安や恐怖は……わからないでもないわ。けれど――戦に対する危機感が絶望的なまでに欠けているわ」
「戦――鬼人族との……ですね?」
ザワッとした不穏な空気が広がった。
「ただでさえ、我が国は今回の一件で大きな打撃を受けた。まだその影響は表面化していないけれど、時が過ぎて事の重大さに気付いても遅いのよ。
なにせ、軍事力はかつてと比べて皆無に等しいわ。それは我が国だけでなく、隣国であるリンドバーク帝国も同じこと……つまり、現時点で我々人間が鬼人族と対抗する手立てはない――と言っても過言ではないわ」
「それでは――」
一国のトップであるソニアが事実上「鬼人族に勝てる見込みがない」と認めるような発言に、家臣の一人が激しく動揺して声を上げた。
「女王様の発言を最後まで聴け! まだ我らが負けるとは一言もおっしゃってはいないのだぞ」
「し、失礼いたしました!」
声を上げた家臣は深々と頭を下げ、ソニアに対して必死に謝罪した。
「よいのです。身内で揉めている場合ではないのですから……さて、現時点では確かに勝ち目がないわけですが、私は望みが消えたとは思っておりません」
ソニアは語った。
王都奪還作戦の際に参加したメンバーの中に、300年前の大戦をよく知る人材が二名もいることを。
そのうちの一人は古代道具に宿っており、もう一人は意識を取り戻していない状況ではあるが――。
さらに、レクターと呼ばれる世界を創りしものの因子を強く受け継いだものが現存し、王国内で起きた事件を次々に解決してくれていること。
また、今までは敵対関係であった決起隊やフィダーイーの幹部が味方になってくれること。
そこで、ソニアはラインを家臣に紹介して、自分の親衛隊長に任命することを告げた。
ソニアの意図がわかるガジルを除き、他の家臣たちは異論を示そうとした。それでもそうできなかったのは、自分たちがあっけなく捕まってしまった負い目があったからだろう。
かくして、ラインはソニアの親衛隊長としてソニアの身辺警護を任され、その後の決議によりフィーダーの目付役にもなり、今まで以上に忙しい毎日を過ごしている。
◇
「とにかく、ソニア女王は同盟交渉のためにリンドバーク帝国まで護衛する人材の任命を、ラインに託した。ただし、その護衛には……」
「腕っぱしが強く、都合が付きやすくて、扱いやすい人材ってことだろ、どうせ」
「まあまあ、隊長も一斗殿を信頼してのことなんですから。それで、決行はいつですか?」
不服そうな一斗をレオナルドがなだめ、ユーイに問いかける。
「メンバーが集結次第、すぐに」
「おいおい、そんな急ぐのかよ……それより、ティスのやつはどうなんだ? 確かまだ故郷のアイルクーダに戻っているはずだが」
「ティスティにはすでに知らせてあり、明日には王都に到着予定じゃ」
ティスティは、王都奪還作戦後当初はマイの面倒をみていた。しかし、ナターシャがやろうとしているアルクエードの影響調査にはハルクの手助けが必要だと考え、家族の無事を確認するのも兼ねて帰郷することに決めたのだった。
「まぁ、ラインの頼みじゃあしゃーねーか」
そう言うと、一斗は突然立ち上がり部屋の外に出て行こうとする。
「どこに行くのじゃ?」
「……ちょっと準備してからすぐ戻る。ここで待っていてくれ」
ユーイの呼び止められた一斗は振り返ることなく答え、ゆっくりと部屋を出て行った。
「……あれからどうじゃ、一斗の様子は?」
「……今までと変わりませんね、普段は。見かけではわかりませんが、ティスティ殿の話を聴いてからは明らかに無理しているのがわかります」
「やはりそうか……さっきも一斗のやつ組み手の最中なのに、心はここにあらずといった感じだった。そのせいで、あやうくあの小僧を殺しかねない攻撃を仕掛けていたしのう……」
「これからのことを考えると、一斗殿の力は間違いなく必要になります。しかし、今のままでは……早く眠れる姫に目を覚ましてもらわなければなりません。それに――今のままでは正直こちらの調子が狂ってしまいます」
眠れる姫――つまり、マイのことである。
「確かにな……あやつは単純で、無鉄砲で……熱血バカなくらいでちょうど良い」
「ですね」
レオナルドとユーイは顔を合わせ、お互い貰い笑いするのだった。




