01 弱みと才能
◆エルピス郊外 ハイムの森
ザザッ!
バッ! バッ!
バッ! バッ!
森の中にリズムよく音が響き渡っている。
どうやらある男女が組み手をしているところから聞こえてくるようだ。
男は滑らかな足さばきで女との距離をつめ、無駄のない動きで突きや蹴りを繰り出していく。
それに対して、女は男の攻めに抵抗するのではなく、すべて受け流すことで攻撃を防ぐ。
「どうかしましたか、レオナルドさん?」
しばらく組み手を続けていたら、レオナルドが何かを気にしているような気がして、ティスティは尋ねてみた。
「いえ……さっきまであんなに響いていた叫び声が聞こえてこないと、逆に気になってきてしまいまして」
レオナルドは動きを止めて、苦笑しながら答えた。
「あははは、一斗は単純ですからね。レオナルドさんの一言がよほど響いたのでしょう」
「それは光栄ですね。それに、ケイン殿の才能が今後どのように開花するのか? とても楽しみです」
「ええ、そうですね(一斗、ケインのことよろしくね)」
ティスティとレオナルドは少し離れた先で静かに座禅している一斗とケインを、微笑ましく見守ることにした。
***
では、そもそもなぜハイムの森で一斗・ティスティ・ケイン・レオナルドがいるのか?
それは、あの一騎打ち後に、氣の修行をする約束を一斗がレオナルドに対してしたこと。
そして、キールとの一戦の前に書斎でケインが一斗に弟子入りを志願していたこと。
それらの要望を叶えるために、一騎打ちの翌日早朝から四人での修行が始まったのである。
氣を練る修行をする前に、まずは型を真似るところから始めた。
型を真似るときに必要なのは、動きを見極める集中力と、再現力が必要になる。
ティスティのようにすぐに真似ることができるのはごく稀で、武道の心得がある一斗だからこそ実践しながら身に付けていくことができたのである。
修行を始めた初日。
ケインもレオナルドも上手く型を表現できなかったが、レオナルドは三日後には型を完璧にマスターしていて、教えていない氣の練り方も自然と身に付けていた。
ところが、ケインは三日過ぎて、一週間過ぎても全然型を真似することができないでいた。
「ケイン! そこは上半身を反らしながら、右に体を回転させるんだよ!」
「ハ、ハイ! 先生!」
「あ〜、そこは左手を突き出すと同時に左足を大きく前に出す!」
「ハイ!」
「もう何度言えばわかるんだ、ケイン! 動きをただ真似ればいいんじゃない、自分のものに落とし込んでいく感覚でやるんだ!」
「ごめんなさい! もう一度やってみます!」
一斗は正直イライラが限界に達していた。
氣のコントロールはともかくとして、型を真似ることくらい毎日続けていれば少しは成長が見られるはず……と思っていた。
しかし、ケインは物覚えがかなり悪いのか、まったく成長が見られなかったのである。
「あ〜! なんで俺はあんな物覚えの悪いやつの面倒をみることを引き受けたんだ」
いつもの癖で両手で髪を掻きむしりながら、一斗は愚痴をこぼした。
「まぁまぁ、ケインも必死に頑張っているんだからもうちょっと面倒みてあげてよ、一斗」
ティスティは濡らしたタオルを一斗に手渡しながら、ケインを擁護した。
「センキュー、ティスティ。わーてるよ。自分で決めたことだからな、中途半端は有り得ねぇーからな。とはいえ……」
二百メートル離れたところで型の練習を不器用に続けているケインを見て、一斗はげんなりした。
「氣の使い手の一斗殿でも、苦手なことはあるのですね」
「レオナルド……苦手というか、こんなにみっちり教えることは初めてだから、どうやったらいいのか皆目見当もつかなくてな」
レオナルドは一斗の返答に驚きを隠せないでいた。
「で、では、一斗殿。ティスティ殿にはどのように教えたのですか?」
「あ〜、ティスティね。こいつは天才だよ。俺の動きを見て真似るだけで、ほとんど完璧に即マスターしていくからな」
「エヘヘヘ」
一斗はティスティの頭をポンポンと軽く叩きながら、誇らしげに答えた。
叩かれつつ褒められたティスティは満足そうだ。
「だから、ケインのやつにどう関わったらいいか、正直わからなくてな」
本音の言葉が出たと感じた一斗は、自身の発言に驚いた。
(まさか素で弱音が出せるとはな……会社の連中がきいたら絶対逆に警戒するだろうな)
これまで自分の力だけを信じ、誰にも頼らず強く押し通してきた一斗。
『弱音を見せたら負け組だ』
そう自分に言い聞かせてきたし、相手にも強要してきたのである。
「……ひょっとしたら、ケイン君は察知する能力に長けているのではないでしょうか?」
レオナルドは何かを思い出しかのような表情を浮かべた後に、一斗に話しかけた。
「察知する、能力?」
一斗はまったくピンっと来なかった。
そもそも、氣の扱い方としてはまず氣を練ることができるようになってから、初めて氣を感じることができるようになる。
そこから氣を体内で循環させる<発>や、氣を体外に飛ばす<散>などが扱えるようになって、初めて相手の氣を探知できるようになる。
自分自身の体感から、一斗はそう信じていた。
「ええ。察知するということに関しては、もしかしたら……一斗殿、あなたよりも優れているかもしれません」
「ば、バカな! 何を根拠に?」
一斗はレオナルドの発言が納得できず、思わず聞き返してしまった。
「物は試し。一斗殿、その位置からケイン君に向けて殺氣を放っていただけますか?」
「この位置からだと!?」
「ケインではまだ無理ですよ。一斗でも100メートル先がやっとな感じですよ?」
(そうだ。この距離で相手の位置がわかる……ということは!? いや、そんなことはありえないが)
これっぽっちもレオナルドの言っていることを一斗は認めるわけにはいかなかった……が。
「(やってやるさ!)ハッ!!」
一斗は思いっきり殺氣をケインに向かって叩き込んだ――瞬間。
「!?」
さっきまで真剣な顔で型の練習をしていたケインが、急に弾かれてようにその場から飛び上がって、怯えた顔でまっすぐ一斗の方に振り向き焦ってこちらに向かって走ってきた。
「……」
「……レオナルド」
開いた口が塞がらなかった一斗とティスティだったが、一斗はなんとか声を振り絞りレオナルドに話しかけた。
「なんでしょうか、一斗殿?」
「あんたはいつから気付いていたんだ?」
一斗は気になった。
自分では全然わからなかったことを、レオナルドはなぜ見破ったのか。
「実は……四日前にあなたとティスティ殿が模擬戦をやっている時、私とケイン君は離れていたところで型の練習をしていました。ところが、急にバッとあらぬ方を振り向いたのです。それでつられてそちらを見てみると……」
「ちょうど私と一斗が最大限氣を纏ったとき、だったのですね」
レオナルドの説明に補足を入れるようにティスティが割り込んだ。
「ええ、そうです。普段ならそこからのお二人の戦闘に見入るところですが……ケイン君の反応が気になりだし、それ以来彼の行動を目で追うようになったのです」
一斗とティスティはレオナルドの言葉をきき、押し黙ってしまった。
少なくてもレオナルドよりはケインとの付き合いが長いのにもかかわらず、ケインのことを見ているようで見ていなかったことに二人は改めて気づかされた。
特に一斗のショックは大きかった。
ケインの特徴とか癖とかそういったことを一切観察したり、確認したりせず、ただ自分のやってきたことを正として、ケインに一方的に課してきた。
生まれや環境、経験の違いだけではなく、体格や性格、癖、思考パターンなど心身面でも一斗とケインは違っている。
それなのに、自分で良かったことが相手にとっても良いと勝手に決めつけてしまっていたのだ。
「レオナルド、あんたはその洞察力をどうやって身につけたんだ?」
たまらず一斗はレオナルドに再度質問した。
「私は決起隊の副長ですから。隊長を含めて隊員全員の状態を把握しておくのが役目なのです。それを元に訓練メニューを考えるようにしていた経験が活きているのではないでしょうか?」
自慢するわけでもなく、謙遜するわけでもなく。
ただそれを自分の役割だと見定めて、何が必要で、何ができるのかを常に考え、実行している。
(だから、こんな誰に対しても誠実でいれるのか)
一斗はレオナルドに対してそのように感じた。
「か、一斗先生……僕、何か、また、やらかしましたでしょうか?」
ちょうど良いタイミングで息を切らしながら合流したケインは、恐る恐る一斗に話しかけた。
「ケイン、すまん! おれが間違ってた!」
「えっ!? 突然どうしたんですか、先生?」
一斗に怒られると思って話しかけたのに、逆に頭を下げて謝られてしまい、ケインはあたふたした。
「いや、俺が勝手に勘違いしてただけだ……よしっ! 修行メニューを大幅に変更するぞ、ケイン」
「ハイッ、先生!」
一斗はこれまでのことを反省し、ケインに合ったアプローチを考えることにした。
(ひとまず、今までの方法ではケインには合わないのはわかった。なら、どうする?)
ケインが先ほどまでの表情とは一転して、羨望の眼差しを一斗に向けている。
「(えーい、考えていてもわからん!)ケイン、そこで座禅をしてみろ」
「ザゼン? ザゼンってなんですか?」
ケインの反応に、一斗は思わず軽くずっこけた。
クレアシオン王国では床に座るという習慣はなく、椅子に腰掛けるのが一般的である。
三大大国の一つであるアウリムリアでは、床に座る習慣があるというが、先の大戦以降交流が一切途切れたため真偽は不明である。
「まずは地面に座ってみろ。いいか、座禅っつーのはなー」
その場で急に説明が始まり、ケインは慌てて一斗につられて座って真似をしだした。
「そうだ。あとは左右に体を揺すって、ちょうど重心が安定する位置を見つける。どうだ?」
「……この位置が一番楽な感じがします」
「ほぅ、美しい佇まいですね」
ケインの姿勢はまさに座禅の見本のようで、座禅のことをよく知らないだろうレオナルドも感嘆の声をあげた。
「あとは、目は半分開いて、目線はこの辺り(1メートル先)で落とす……そうだ。あとはゆっくり息を吐いて……吸って。これを三回繰り返す」
(なんだろう? 今までにないくらい落ち着いてるぞ。これならもっと集中できそうだ)
ケインは心の中で確かな感触を得た気がした。
「いいぞ、ケイン。あとはそのまま吐く息と吸う息に意識を集中して、呼吸そのものになりきる感覚で……って、もうスイッチが入ったみたいだな」
一斗がアドバイスする前から、ケインは自分のリズムで呼吸をしており、三人からしてもケインはすでに自らの世界に入っている雰囲気が伝わってきた。
(一斗、わたしたちあっちの方で修行してくるわね)
(わりぃ―な、助かる)
ティスティはケインの邪魔にならないように、自分たちが場所を変わることを一斗に小声で提案。
一斗はその申し入れを有難く受け入れることにした。
「レオナルド」
ティスティが移動するのに合わせて移動するレオナルドを、一斗は引き止めた。
「なんでしょうか?」
「ありがとな」
「……こちらこそです、一斗殿。それでは」
まっすぐ自分の顔を見て、不器用ながらお礼を伝えてくる一斗に対して一瞬レオナルドは驚いたが、お礼の言葉を返してティスティの後についていった。
***
「結局、あれから二人して座禅をずっと続けていますね」
「ええ。それに一斗があの格好をしているのは、初めてです」
「初めてなのですか!?」
今度はレオナルドがティスティの発言にビックリした。
「一斗は唯一苦手な修行があるって言ってました。きっと座禅がそうなのでしょう」
笑いながら、ティスティはさらに言葉を紡いだ。
「なぜそう思うのです?」
「だって……彼がじっとしている姿なんて、いつもの彼から想像できないでしょう?」
「ふふふ。確かに、そうですね」
レオナルドはティスティにつられて一緒に笑った。
「さてと、わたしたちも修行を再開するとしましょうか?」
ティスティはレオナルドの方を向き、構えをとった。
「ええ、よろしくお願いします!」
レオナルドもティスティに対して構えをとり、組み手を再開するのだった。
◆ハイムの森 決起隊アジト跡
「いやぁ〜、まさかお前にあんな才能が眠っていたなんてな」
「イテテテッ! 痛いっすよ、先生!」
一斗はケインの肩を嬉しそうにバシバシ叩き、ケインは痛がりつつもどこか嬉しそうだ。
現在一斗たちがいる場所は、ラインやレオナルドたちが所属している決起隊の元アジトがあった場所だ。アジトは先日キールたちにバレてしまったので、教会や王都に知れ渡っている可能性が高い。そこで、アジトをハイムの森から一旦キール邸に移している。
一斗が「さすがにそれはバレるんじゃないのか?」とレオナルドに尋ねてみたら、
「逆にバレるくらいに振舞っていた方が、自然に見えることもあるんですよ」
と平然と答えを返してきたので素直に納得してしまったと、ティスティは一斗から聴いた。
アジトは洞窟を改造しており、出入口は一つ。外から一本の道を進んでいくと大空洞になっており、そこからさらに小道が六本分かれている。
一斗たちが今いる部屋は、その小道を進んだ先にある部屋の一つである作戦会議室だ。大きな机が一台、椅子が八脚あるだけの閉鎖的な部屋である。しかし、一斗は逆にその狭い感じが好きで、修行の合間はいつもこの部屋を利用している。
「ねぇねぇ、一斗」
「ん、どうした、ティスティ?」
ケインをいじっていた手をとめて、一斗はティスティに向き合った。
「ケインの眠っていた才能って、そういえばなんだったの?」
「あ〜、それはな……『集中力』さ」
「集中力?」
そう、一斗が見つけたケインの才能。それは『集中力』、その一言に尽きる。
特にその集中力が発揮されるのは、人の気配を察知するときだ。一斗が修行の最中に確認したところによると、三つのポイントがわかった。
一.察知範囲は最大で約300メートル
ニ.集中力は半日以上継続できる
三.認識している対象でないと察知力が著しく低下する
一の察知範囲も異常だが、二の継続力にも一斗は驚嘆した。
現状一斗の察知範囲はせいぜい100メートル程度な上に、集中できる時間は5分が限界だ。ティスティも一斗と同等程度であるがゆえに、驚きを隠せないでいる。
三についても明確にわかった。それは、ケインの話によると『人それぞれ固有の振動があって、そのリズムが個々で異なる』とのことだ。
それを一度認識している対象については、遠くにいても対象から発する振動を全身で感じることができるが、それ以外については素通りしてしまうことを一斗はさらに突き止めた。
たとえば、遠くから石を不意打ちで投げると反応できずにいたが、一度認識させた石は即座に反応してみせたのである。
「ってな感じでな。こいつは修行をしていないが、それでも他の人にはない才能を持っていたってわけだ……ん、ティスティ。なんか気付いたのか?」
一斗はティスティが何か閃いた顔をしたので確認してみた。
「そう、それ! 修行はしていないって一斗は言ったよね?」
「あ〜、言ったぞ。それが?」
「わたし、ケインに久しぶりに再会したときに、彼にヘッケルさんの場所を尋ねたんだ。そのときケインはこう答えたわ。
『おそらく今は二階の書斎にいると思うぞ』
とね」
ティスティの話をきいても、一斗はいまいちピンっとこなかった。
「それから何かわかるのか?」
「ええ。このときケインの中では、父親が書斎にいるのを本当は確信していたんじゃないかしら?」
ティスティはケインに目線で話を振ると、ケインは観念したかのように小さく頷いた。
「あぁ、ティスティの言うとおりだ」
ケインが肯定したことに、一斗はピクッと反応した。
「いつ頃からそう感じれるのようになったの?」
「いつから、か。正確には覚えていないけど、おそらく父がキールと関わるようになってからだから、四年くらい前からかな」
「なんでそう思うんだ?」
一斗はこの話の流れに興味を持ち、ケインに確認した。
「……あのときは本当に怖かったんです。うちはティスティのところと同じで母がいなくて、父がいなくなるといつも一人で。
街が異様な状態なのに、なぜだかそれが当たり前の感じでいるみんなが怖かった。
だから、毎日父を含めたみんなの行動にビクビク警戒するようになって」
当時のことを思い出しているのか、ケインは両膝を曲げて両手で抱え込み、見るからに怯えている。
「つまり、ケイン君の察知能力の異常さは、そういった日常生活の背景があるのですね」
「レオナルドさん……」
さっきまで姿が見えなかったレオナルドが、いつの間にか戻ってきていた。
「つまり……自分にとって弱みだったり、情けないと思って隠していることほど、そいつの個性が隠れているってわけ、か」
一斗は話を聴き感じたことをつぶやきながら、ティスティのことを考えた。
彼女は他人に見捨てられないようにするため、存在を認めてもらうために行動した。その結果として、真似る力が飛躍的に上昇していき、今の彼女に至っている。
そう考えると、何が良くて、何が悪いのか?
一概に言えない気がしてきたのだった。
(これまでの俺は弱点や弱みを見つけては、揚げ足を取ってばかりいた。もしかしたら、そこからこいつらみたいに才能が開花したかもしれないのに)
楽しそうに目の前で会話するティスティとケインを見て、俺は後悔の念に駆られた。
しかし――。
「どうしたの、一斗?」
「どうしたんですか、一斗先生?」
俺が急に黙って考え事をしていたら、二人が心配そうに声をかけてきた。
「(もう同じことを繰り返しはさせないさ、絶対にな)いや、何でもないさ!
それよりも、ケイン。明日はティスティやレオナルドたちと合流して、組み手を体験してみるか?」
「はい、是非!」
目を輝かせながら身を乗り出して答えるケインを見ていると、教えているはずの俺がとても大切なことを彼から教わっている。
そんな印象を強く感じて、明日からの時間がとても待ち遠しくなった。




