06 交差する想い
◆エルピス郊外某所
薄暗い部屋で二人の人物が正座している。
そのうちの一人の足元には、小さなビー玉くらいの大きさの結晶が光り輝いて並んでいる。
――パリーン
「!?」
「キール、どうかしたかのう?」
並んでいた水晶の一つが静かに砕け散り、跡形もなく消滅していった。
「手駒の一人が、あの侵入者たちに無力化されました……おそらくはもう――」
「まぁ、平和の礎として死ねたのなら、あやつも本望であろう」
どこか悲観に暮れるキールに対して、バスカルは何事もなかったかのようなーーむしろ、死んで当然のようなそぶりで答えた。
「……そうですね。栄光の涙へのマナの供給が途絶えないように、替えの傀儡は用意いたします。
では、我々の計画の邪魔になりそうなあいつらはいかがなさいますか? 決起隊と同様、囲い込んで捕獲いたしましょうか?」
「そうさのう……まぁ、ほかっておいても問題なかろう」
“何も支障がない”と言わんばかりの表情でバスカルは答える。
「し、しかし――」
「まぁ、お主が懸念することもようわかる。しかし、彼奴らはこちらから何もまたあそこにやってくるじゃろう。こちらから出向くよりもその方がこちらに都合良かろう? カッ、カッ、カッ」
「……はっ、承知いたしました」
自分の計画に狂いはないことに自信を持っているバスカルに対して、キールに異論を唱えるという選択肢はなかった。
(こやつは頭は切れるが、情に厚すぎるわい。そろそろ見切りをつけるときかのう……なぁに、替えはいくらでもおるわい)
じっと消滅した結晶の辺りを深刻そうな顔付きで見ているキールを見て、バスカルはほくそ笑んだ。
しかし、このときの判断をバスカルは後に悔やむことになろうとは、思いもよらなかったのである。
◆ケインの家 一階リビング
ヘッケルが倒れてから三日後。
容態は安定してきて、もうすぐ目を覚ますだろうとマイが診断すると、ケインは飛び跳ねて喜びまくり、マイに何度も何度も感謝した。
「本当にケインはお父さんのことが好きみたいだね」
「えぇ、容姿は変わってしまったけど、引っ越す前の雰囲気に似てきた気がするわ。それに……まさか彼が人を、お父様を殴るとは思ってもみなかったし」
「そういえば、ケインくんはまったく喧嘩はしたことなかったんだっけ?」
夕食後に食器を洗いながら、マイとティスティは会話を進める。
夕食は、一斗がまちで買い物して入手した食材をマイが料理した。
父親が無事とわかってから活き活きしだしたケインは、これまで食欲がなかったがたくさん食べるようになった。そして、食べ終わったらすぐに退出した。おそらくまた父親のところに看病にいくのだろう。
「ええ。喧嘩はもちろんだけど、これまで拳を握りしめているところすら見たことなかったもの。『ぶつかるのはよくない』って……でも、今回のことで、彼の中で何かが変わったみたい」
「何かって?」
「良くないと言われてきたことをやってみたことで、自分が大切にしたいことがわかってスッキリしたそうよ。
お互いのことを理解し合うために、時には本気で想いをぶつけ合うことも必要なんだって。
何かや誰かに願ってばかりじゃなくって、自ら働きかけることをせず、嘆いてばかりでは何も変わらないって」
「そうね。そういえば、ティスが旅に出るって両親に話をしたときには、ティスもお父様とガチ喧嘩したそうじゃない?」
マイは左肘でティスティの右腕を軽く突いた。
「あははは、そうだったわね。ずっとそうすることを避けてきたけど、私はやれて良かったと思うわ。だって……あの人とも和解できたんだもの――」
ティスティはアイルクーダを出発する前夜のことを思い返してみた。
***
「――なんだって……もう一度言ってみなさい、ティスティ」
「何度でも言うわ。私は明日このまちを出て、旅に出るの。あの人たちと一緒に」
明らかに反対する気満々の父と、自分の意見をひたすら言い続けている私の間での論争は、かれこれ三十分以上続いている。
お互い全く譲る気がないから、着地地点が見つかりそうもない。
「あいつに、あの男にたぶらかされているんじゃないのか?」
「……それって一斗のこと言ってるの?」
「そうだ。確かに外見は格好いいだろう。自分の意志も強く持っているだろう……だが、あいつは気に食わん。どうせいつも一緒にいるあの女性も――」
バチ〜ン
「一斗だけでなく、マイのことを悪く言うなんて……いくらお父様でも許さないわ!」
「よくも父に手をあげよって……この馬鹿娘が!」
その後は父と初めて取っ組み合いをした。
父は私に勝てると思っていたみたいだけれどーー私はこれ以降の一部記憶が残っていない。
「クッ、なぜ?」
「どう? いつまでも私はあなたの言う通りになるわけではないわ。さぁ、私のいうことを認めなさい。さぁ」
ティスティは冷たい目つきでオルトの肩を押さえ込み、固め技で動きを完全に封じた。
(このまま腕の一本くらい――!? あ、あれ?)
最後に決めようと思った直後、ティスティは背中に軽くタッチされた感触がしたと思いきや急に力が抜けてしまい、技を解除してしまった。
(想定外のことが起きても、まずは体を動かせ)
一斗の教えをハッと思い出したティスティは、オルトを飛び越えて、背後をとった相手から距離をとった。
「あ、あなたは――」
「お嬢様、そこまでです」
オルトのそばにいつもいる自称ティスティの母親が、ティスティとオルトの間に割って入った。
「イテテテ、ティスティのやつ本気でやりやがって……まぁ、でもこれで形勢逆転だな。なんせマリィは精霊の加護を受けて生まれた希少種なんだから。さぁ、あいつを懲らしめてやりなさい!」
「クッ!(やばいわ……なんかこの人とはすごく相性が悪い気がする)」
ジリっと後ろに下がるティスティに対して、一歩ずつティスティに近付くマリィ。
もう二人の差が一メートルに達したとき、ティスティは恐怖のあまり体が固まってしまった。
すかさずマリィはティスティに向かって手を伸ばす――
(や、やられる!)
グッと目を瞑ったが、なにも衝撃はやってこなかった。
その代わり、ティスティの手を優しく包むマリィの姿が見えた。
「お嬢様、ここまでです。そして、旦那様も」
マリィはそう言って、今度はオルトと向き合った。
「ど、どういうことだ、マリィ? 私を裏切る気か!?」
怖れのある声でオルトはマリィに問い詰めるが、マリィはゆっくり首を振って裏切りを否定した。
「いいえ、私はあなたを裏切りません。そして……お嬢様も」
普段まったく見せないマリィの静かな気迫に、ティスティもオルトも逆に圧倒された。
「お嬢様、本当はもう旦那様はあなたが旅立つことを認めているのですよ」
「えっ、それはどういう意味?」「こ、こら! マリィ――」
「そのままの意味です。旦那様はもしあなたがあの若者について旅立つことをお嬢様の口から聴けたら、快く送り出すって話をしていたのです」
「お、お父様……本当?」
「…………」
バツが悪くなったのか、オルトは顔を背けてだんまりを決めた。
「快く送り出してあげましょう、私たちの娘を」
「……わかった。ちょっと顔を洗ってくる……」
オルトは真剣な顔をして、台所にゆっくりと歩いていった。
「あなたは……」
「ごめんなさい、お嬢様。出過ぎた真似をしてしまい申し訳ございません」
「……そんなことないわ。でも……なんでいつもあなたのことを煙たがっている私のことを――(大切に思ってくれているの?)」
最後の方は言葉にできなかったが、その点だけは前々から疑問に思っていた。
ただ、父の命令だから動いているわけではない何かをいつも私は感じていたのだ。
「お嬢様が察しておられているように、私はあなたの本当の母ではありません。
旦那様に命を救っていただき、今はあなたのお母様に変身させていただいている身なのです」
「お父様に……命を救われた? (いつそんなことが?)」
「今から十四年前、旦那様が世界を放浪されているとき、私はこの大陸の外れにある村に住んでいました。カタリナという名で。
住んでいたといっても、私は迫害されていたのです……アルクエードが使えない異端児として。
家族とも離ればなれになり、路頭に迷っていて野垂れ死にしそうになっていたところを助けてくださったのが、旦那様だったのです」
マリィ――否、カタリナが静かに語り始めた。
カタリナが住んでいた地域は隣国のリンドバークに近いのもあってか、アルクエードを神の力として崇めている度合いが他の地域より大きかった。
そのため、十一歳になってもアルクエードが使えない子どもは、異端児として迫害を受けていた。ひどいを扱いを受け、その過程で命を落とす子どもも少なくなかったという。
そんな中、当時十七歳までなんとか成長していたカタリナだったが、今にも飢餓で死に絶えようとしていたところを、まちに流れ着いたオルトが救ったということだ。
「なんで、そんなことを……」
「……わかりません。私はあなたのお母様とちがって教養はまったくなく、がさつで、なにも取り柄がなかったのです。
しかし、旦那様は私にあなたのお母様の代わりを申し出たときこう仰っていました。
『私には小さな娘がいる。あの子にはまだ母親が必要だ。娘のためにもついてきてほしい』と」
「そんなの、身勝手だわ。勝手に家出して、ずっと私をほったらかしにしたのに――」
「私も……そう思います」
「あっ……」
苦笑いしてそう答えるカタリナに、私は初めて彼女に共感した。
いや、初めて会ったときから無理やり否定してきたことだが、やっぱり彼女の中から感じるものは間違いないものだと思った。
性格も、外見もまったく異なるけれど――私という存在をまるごと認めてくれる雰囲気が、母マリィにそっくりだったのだ。
***
「結局あのあと、いつの間にか仲良く話している私とカタリナを見たお父様は、しばらくの間フリーズしてしまってね。あのときの顔は忘れられないわ」
「うふふ、私も見てみたかったわ。でも、カタリナさんとも仲良くなってから旅立てて、本当によかったわね」
「うん! あ、そういえば一斗はどこにいったの?」
洗い終わった食器を片付けているとき、ようやくティスティは一斗がこの場にいないことに気が付いた。
「一斗は恐らく今日も書斎じゃないかな? この世界のことを調べてみるって言ってたから」
「……一斗が真面目モードだと、不安だわ」
「ええ、そうね。おかしな一斗に引き寄せられて隕石とか降ってこなければいいけど」
◆ヘッケルの書斎
「ヘ〜〜ックシュン! あ〜、ほこりかぁ? まぁ、これで、書斎の片付け完了っと」
ここ三日間、一斗は書斎にこもって何をしていたかというと、最初はめぼしい本をさがしていた。
しかし、ヘッケルとの一件でティスティが派手にヘッケルを本棚にぶつけたことで、そのときの衝撃によって部屋中の本が所々落ちてしまった。つまり、書斎はカオスな状態になっていたのである。
そんな中からめぼしい本を探すのに一苦労していたら、ひょこっと現れたマイが、
「片付けてから探せばいいのに」
とつぶやいて、言った本人は何も手伝わずにそのまま部屋をスッと出ていった。
「……俺一人で、やるのか?」
周囲の光景を見て、一斗はしばらくの間絶句してしまった。
「はぁ、なんで俺が片付けんといかんのだ? 面倒くせーなぁ。いつも仕事では面倒だと思うことは、全部部下にやらせていたからな……」
特に掃除や後片付けを、俺は一度もやったことなかった。結果・成果・評価に直接結びつかないことは、とにかく後回しにするか、誰かに押し付けてきた。
『片付けをするとそこにスペースができるでしょう? その空いた分に比例して、結果や成果がどんどん得られてくるんですよ』
『えっ、なぜ私はやらないのかって。それは、もう私は結果を出してますから。今更やる必要がないので、みなさんに譲ってさしあげているんです。わかりますか?』
『ほらな、上手くいかないだろ? それは、お前はいつも適当に掃除をしているからだ。そうやって雑に扱えば雑な結果がやってくる。因果応報だな。もう少し俺を見習えよ』
今思い返してみれば、起きた出来事とそのときの状態をとにかく適当に結びつけ、人に押し付けてきたような気がする。
俺にとって都合が良いようにーー。
ただ、今こうやって自分がこれまで押し付けてきたようなことをやるようになって、感じたことがある。
それは、片付け自体は体力をつかって面倒ではあるが、本に対する見方が変わってきたことだ。
ただ本のタイトルや内容だけではなくて、本の重さや厚さ、におい。それに、本をどんな分類別に分けして整理するのか、というこだわりなど。
著者の想い、出版者の想い、購入者の想い。
それぞれの想いを感じる感覚がとても新鮮だった。
気が付いたら夢中で片付けをしていた。
まず、棚ごとに本のタイトルが見えるように本棚の下に並べた。そして、同じような内容のものごとに分類別して、最後に本棚に収まるように配置していった。
一番手間がかかった最初の作業だけに一日費やしたが、三日目の今日はすんなり片付けることができ、気が付いたら書斎が元通りになっていた感じがして、自分でもビックリした。
「こ、これは?」
と思い返している間に、部屋にケインかが入ってきた。
「おぅ、ケイン。親父さんの具合はどうだ?」
拭き掃除をしながら、ヘッケルの容態をケインに確認した。
「あ、はい。お陰様で回復傾向にあるようです」
「そりゃあ、良かったぜ! で、どうかしたか?」
「書斎はごちゃごちゃしていたような――あなたが片付けてくださったんですか?」
周りを見渡してみると、床に落ちていた本は全部片付けられていて、配置は変わったような気がするが本棚は見やすく整頓されているようだ。
「ま、まぁな。俺らがめちゃくちゃにしたようなもんだしな。それに、書斎にある本をじっくり見せてほしかったし」
「……あなたは変わっていますね、一斗さん」
ケインは一斗やマイのことについて、ティスティからきいていた。きいた――というよりは、途中からきかされたと言った方が適切かもしれない。
ケインにとって、ティスティは幼なじみでもあり、親友でもありーー初恋の相手だった。
ティスティは小さい頃からなんでもできた。それに、父親が軽視している喧嘩をすることは多かったけれど、なぜかティスティの周りにはいつも笑顔が絶えなかった。
当時のケインは、それが不思議で不思議で仕方なかった。
そんな相手が、可愛らしさは一段と増して。しかも、母親似で綺麗になって。
でも、彼女の話を聴けば誰でもわかる。
『一斗いう人物のことがティスティにとって特別な存在である』
ということが。
彼女から一斗の話を聴いて嫉妬心が出なかったかって?
そりゃあ、ものすご〜く嫉妬しまくりだったさ。
何かにつけて、
『それで、一斗がねーー』
『一斗がこう言ったの』
『一斗ってねーー』
だ。もううんざりするぐらいきかされた。
けれど――、
「ん〜、この辺りが埃だらけだなぁ。ちゃんと掃除してんのかなぁ?」
ブツブツ言いながらも、自分のやりたいように振る舞っているように見える一斗のことを、不本意ながらケインは認め出していることを感じてため息をついた。
「……一斗さん」
「ん? さっきからどうした、ケイン?」
今度は作業を止めて、自分の方に向き合ってくれたことを嬉しく思い、
「ぼくの、ぼくのお願いをきいていただけませんか?」
三日目ずっと考えていたことを、一斗に話すことにした。
◆エルピス近くの森 決起隊アジト
ラインは岩場に一人座って、夜空を見ながら黄昏ていた。
「隊長、ここにおいででしたか」
「おぅ、どうした? 何かあったか?」
「いえ、何も。ただ隊長がここのところ、懐かしく何かを思い出している表情をされているのが、気になりまして……何を思い出されているんですか?」
「お前はするどいな……三日前に襲撃した連中いたろ? あの中の青年と交戦してから、なぜかあいつのことを何年か振りに思い出すようになってな。決起隊創設メンバーの一人で、俺の相棒だったやつだ」
「まさか、今の我々の組織の基盤をすべて作ったという――」
「あぁ、そうだ。あいつが作戦を立て、俺が遂行する。それが決起隊の必勝パターンだった。それなのに……あいつはあの事件を境に、行方を突然くらませちまった。
それでも……今でもこうやって決起隊が存続していれているのはお前らのおかげだ。ありがとうな」
「い、いえ! そのような有難いお言葉をいただけて光栄であります!」
「そうか」
ラインは部下に対して優しく微笑んで、再び視線を空に向けた。
その表情が先ほどより鋭くなっていることを部下は感じ、あの事件の話を聴いてみたかったが、軽く敬礼をしてその場を退席した。
(同じ正義を志してあの村を出たはずなのに、今は別々の道……か。あいつは今どこで何してるんだろうか?)
「俺はお前がいなくても、最後までやり遂げるぜ! あんな事件をもう繰り返すことは絶対にさせない。だから、その日まで遠くで見届けててくれよな、キール」
ラインとキール。
二人の想いは大きく離れていったが、一斗たちがいるエルピスで再び交差し、合間見えることになる。




