第1章 9話
-矢野里香の場合-
今日は週に一度の料理教室の日。
ちょっとお手伝いで始めた料理が思いのほか面白かったので、本格的に習おうと思ったのがきっかけ。
授業料も、きちんとアルバイトで貯めたお金で支払っている。
今はまだ趣味のレベルだけど。
将来は料理人になりたいと思っている。
その為の教室。
そこまで本格的に考えているなら、ちゃんとした所で勉強しないとね。
それにしても。
今日の秋葉原は相変わらず暑い。
家から一番近くて、ちゃんとした所がここしか無かった。
さすがに学生の身分で遠距離まで遠出はしたくない。
上野だの有明だのは場違いな気もする。
そしてここ秋葉原は意外な気もするが、美味しい料理店があちこちにある。
それは海外から来た観光客をも唸らせるほど。
ここは濃い人達が集まる場所。
生半可な物では太刀打ち出来ない。
それは料理でも同じ。
とにかく妥協しない人達が集まっている。
だからこそ、料理店も気を抜けない。
安くても不味ければ見向きもされない。
だからこそ、ここでの料理教室もレベルは高い。
そんな人達を相手に勝負して来た人達が先生なのだ。
授業代はそれなりに高いけれど、中身はかなりのレベルは期待出来るわ。
「おはようございます」
挨拶をしながら教室に入る。
すでに何人かがいるみたい。
普段は和やかに雑談している時間だけれど。
何やら深刻な雰囲気。
こんなのは初めて。
「どうしたんですか?」
「それが、今日の教室は中止になるみたいなの」
中止!?
「なんで?先生に何かあったの?」
「そうじゃないの。どうも、今日の授業で使うはずの材料が全部紛失しているみたいで」
え!?
紛失!?
「ちょっと待って。いつも材料はその日のうちに届いて冷蔵庫に保管しているから。昨夜のうちに泥棒が入ったっててのは無理でしょ?」
その届く時間も、開始1時間前くらい。
その時にはすでに先生もいるし、ビルの管理人だっている。
早めに来た生徒だっている時もある。
それほどの人の目がありながら、紛失!?
「どうしたのかは分からないけど、警察に届けは出してるわ。でも今日の材料が無い限り授業は無理だという話よ」
そんな。
私は先生の所へと向かう。
「先生!」
「矢野さんね。あなたも聞いたでしょうけど、今日の授業は中止という事で」
「それなら、材料を買いなおせばいいのでは?」
私はどうしても引き下がれない。
やっと料理の面白さが分かって来た所。
1日といえども無駄には出来ない。
「今日は10人ほどの予定だけど、それだけの材料を?」
「料理は面白いって言ってくれたのは先生です!そしてその面白さに気づかせてくれました!もしここで中止になったら、私の何かが消えてなくなりそうです!」
やっと芽生えた目的のようなもの。
今はがむしゃらに進みたい時。
そんな時に止めて欲しくない!
「分かったわ。先生は警察の連絡もあるからここを離れられないけど、お金と材料のメモは渡しておくわ」
「ありがとうございます!」