第2話女神様空を飛ぶ
家に帰ってきた中学生、柔葉愛華がまずすることは庭を眺めることである。
それはここ数日でついた新しい習慣だ。
庭にはペットボトルやレンガ、ブロック塀などなどの素材を効率的に組み上げた構造物が面積の過半を占めていた。
それらの周りには小さなビニールのテントが大量に作られて服を着た毛むくじゃらな哺乳類がそれの周りで生活していた。
数日前の小獣人を名乗る難民とのファーストコンタクトで大人たちは騒ぐだけ騒いで最終的に長崎県の中からでないことを条件に小獣人の存在を認めてくれた。しかし、あくまで国家を持たない難民としてだ。人間の手のひらに収まる程度の小獣人たちは体格差の違いにいろんな意味で助けられた。何を成そうにもしょせん手のひら程度。食料も水も人間と比べ笑えるくらい小さい消費で済むのだ。一応居留地を一つ設けることになったが子供のままごとに付き合う程度。人数も二百人。何を成そうにも所詮小獣人。初孫を迎えた老人のように政府はこのささやかな難民たちを扱った。
そして初めて小獣人と接触した少女、軟葉愛華は政府お墨付きの小獣人問題の専門家になった。女神様と小獣人から信仰されていたこと、小獣人側からの強い要請も彼女の立場をより堅牢なものにした。
説明が遅れたが庭を占有しているこの構造物は小獣人の自称総督府兼官邸兼軍の駐屯地だ。元シャバニャック城主、自称長崎総督が自らの私兵を集めて軍を組織したのだ。
ちょうどいいところに一人の小獣人が愛華に向かってきた。彼は天に石板を掲げていた。
「変身するの?」
と愛華が聞くとその小獣人はうなずいた。まぁ、変身しなくてはお互い何を言っているのかわからないから変身する必要は当然あった。
愛華は石板を受け取って変身した。
『内務省』
「こんにちは、シャンポリオンさん」
「これはどうも女神様。今日は日本政府から支持された地域にここから住民を運びます」
「リュックサックに家畜と移動する人員と建材を搭載しました。繊細に扱ってくださいね」
愛華はパンパンのリュックサックを背負った。思ったより軽い。
肩にシャンポリオンが飛び乗ると地図を愛華に渡した。
「ごめん、地図読めない」
「えぇ。分かりました。なら私が方向を支持します」
愛華は歩きだした。
「うちの庭狭いもんねぇ」
「全くですな。」
「否定しなさいよ」
「前から思ってたのだけど女神って私である必要あるの?」
「女神が代わった前例がないんですよ。永久就職した気でいてくださいな」
「おう、これが組織にありがちな前例主義ってやつですか。女神の力って具体的に何?コスプレと秘密道具は分かったけど他には」
「世界と人の創造です」
「…」
「あなたは正確にはまだ女神ではない。候補生というくらいです。今のあなたはロゼッタが本体です」
「じゃあやっぱほかの人でもいいじゃないか」
「ああ、そもそもロゼッタって何なのかまだあなたに説明していませんでしたね。ロゼッタとはそもそも先代の女神が作った世界を創造、維持する装置なのです。あなたはロゼッタに選ばれた。あなたの本質が女神にふさわしいからロゼッタはあなたを選んだ。思えば初めて女神に目覚めたとき、あなたは自分を一度殺した相手をいつくしみ、逃亡を許した。その優しさこそ女神の素養なのです」
「優しいって何者の障害にすらならない没個性的な人間の称号よ誰でもできるじゃない」
「それを自分を一度殺した相手に向けたという事実が女神の素養なのです。そろそろ目標地点につきますよ」
ここは日本政府が小獣人に与えた居留地。
統廃合で潰れた学校の校舎であった。
窓など余計な装飾品はすべて外されてただのコンクリートの建築物と化している中、業者の人が沢山動いていた。電気と水道を回す工事らしい市の人間が言っていた。
それを手刀片手に元校舎を巡り歩く。
「失礼しまーす」
階段を登った。
「ここの階段我々では上りづらいです。屋上へ行くのはやめて一階に行きましょう」
「うん、後で業者さんに伝えておくね」
後で話した結果その階段には小獣人が使うはしごをかけることになった。
「フラム地方長官、いったい旧世界で何があった」
荘厳華美な宮廷の廊下の一角、フラム地方長官は同僚に声をかけられて振り向いた。
「女神です」
「女神?ここ新世界を創造したとされる」
「違います。そうだな、どこまで話したらいいのでしょう」
「いま私は旧世界に橋頭保、情報施設兼軍事基地を建設してる。だから旧世界でいずれその女神にあうだろうその時どうすればいいか判断材料にしたい。できるだけ詳しくあなたが旧世界であったことを教えてほしい」
「ショーブスリ地方長官…分かりました。できるだけ多くの情報を伝えるとしましょう」
愛華の多大な貢献もあり一日で小獣人の集合住宅通称プエブロに難民のほぼすべてが移住した。
庭に残っているのは庭の総督府からプエブロに仕事を引き継ぐための作業を行っている者たちぐらいだ
そして何事もなく新しい日常を送れると誰もが思ったその日、放火事件が夜発生した。
深夜、スマホから鳴り響く着信音に目覚めさせられた愛華は不機嫌に雑に応対した。
「シャンポリオン?今何時かお分かり?えっ?プエブロに放火!?ちょっと待って今行く!」
寝ぼけ眼で階段を下りるも足がもつれて転げ落ちていった。
下の階で寝ていた両親を起こしてしまう。
「ちょっと愛華!今何時だと」
「待って母さん!エマージェンシー!エマージェンシー!」
何よと返す母親を無視して打撲した膝を引きずりながら玄関に向かう。
玄関の向こうに小さな影がある。シャンポリオンがいつものようにロゼッタを天に掲げるようにもってきているのだろう。
「愛華!せめてびっこ引きずってる足にシップ張っていきなさい!」
あっはい。と愛華は真っ赤になった膝を母親に見せる。
「はい!これで良し!行っておいで!」
湿布を張ったら軽く背中をたたいて見送った。
外にはやはりシャンポリオン。
「女神さま、少々訂正が」
「何!」
「自衛隊のレーダーが未確認飛行物体を発見しました。放火ではなく爆撃です。もう急がなくていいですよ」
「ということはまたあるわね」
「ええ、おそらく」
「空からくるなんて反則じゃね?だってこの作品のモチーフフランス絶対王政からナポレオンやん。空飛び始めるの一次大戦で時代間違ってんよ」
「トールキンだって中世の時代にドラゴンで対空戦してるからセーフですよ、セーフ。とりあえずプエブロにはエルミオンヌ号の艦砲を移設します」
「いまから?」
「ええ、今から。プエブロはコンクリートでできてますから今回の爆撃の被害はあまりないそうです。落としてきたのが油の塊で助かりました」
「待って。明日から私プエブロで寝泊まりしていいか母さんに聞いてきます。ねぇ母さん!というわけで明日からお泊りしていい?」
「ダメ!」
「ですって」
その夜、長崎総督府にて。
窓のない一室。中央に大きな机が据えられ、さらにその上に長崎市付近の地図が敷かれた。
この部屋の門には一枚の紙が張られていた。
「爆撃問題懇談会」
慌ただしく人が出たり入ったりする。限られた人々のみ残り会は始まった。
「今まで入ってきた情報をまとめますと本日23時32分巨人一人が西北西の方角より油の塊を引火した状態でプエブロに投下。同時刻日本国自衛隊の電探に非常に低速の巨人一人分の反応がありました」
「かつて我々が新世界で耳にした一人の巨人騎士がいます。名をショーブスリ。絶対王に忠誠を誓う者の一人。おそらく今、彼は地方長官に任命されているものと思われます。特筆すべき事項として飛行能力がありニュピテ反乱の際は小獣人のパルチザンに対し深夜火をつけた油の塊を投下し火薬庫を破壊、2個中隊を戦闘不能状態に追い込みました」
出席した正装の小獣人が一人手を挙げた。
「現在われわれ小獣人は旧世界の巨人たちに国家を持たぬ難民として厄介になっている。今回の事件も巨人の自衛隊が処理してくれはしないのか?」
「それは無理です。なぜならば旧世界の巨人の政府は絶対王と戦う事態になることに前向きではないためです」
「そもそもどこから情報が漏れたのだろうか」
「といいますのは?」
「我々は旧世界の巨人の紹介にあってプエブロに移住しそして爆撃にあった。絶対王の勢力の斥候がプエブロを発見しショーブスリが爆撃したにしては事の運びがあまりにも円滑すぎる」
「100億。この数字は新世界にいる巨人の頭数です。疑い始めたらきりがない」
「彼らは100億だがわれらは200人だ」
「絶対王の影が動いたとしても今回の夜間爆撃は早すぎますよ。それに今ここには巨人たちが多く出入りしている。この動きを外から察知しここがばれたという可能性も」
一人の若者が音を立てて部屋に入ってきた。
「大変だ!俺たちの行動が放送されている!」
「放送?放送とは何だ?」
「テレビに映ってるんですよここの様子が」
「てれび?」
「だめだこりゃ」
長崎総督は手をたたいて注目を浴びた。
「何のために懇談会を開いたと思っている。市民を襲っている夜間爆撃の脅威を取り除く手段を探るためだ。我々は最も弱い人を守り、最も多数の意見を実現する組織、それがわれらが長崎亡命政府だ」
「でも結局ショーブスリ地方長官を倒すほかないわけでしょう?絶対王が多数の意見を退け、小さく弱い市民から重税を搾り取って君臨することを可能にしているのは刃向かうものを魔法で平らげているためであります。現在魔法の力を退けられるのは相対する魔法しかない。そしてその相対する魔法が使える存在こそ女神なのです」
しばらく沈黙した。
「あー、地方総督殿、そろそろ例のものを出してもよろしいか?」
「大丈夫です。お願いします」
というと出席者の一人が四枚の模造紙を取り出し次々と地図の上に敷き始めた。
「局地戦闘脚秋水」「空対空噴進弾」「地対空飛翔体」「夜間局地戦に際して」
「これは一体…」
「旧世界の科学、軍事技術の発展は著しく進んでおります。これはそれらを最大限取り入れた必殺の虎の巻。三日で作成できるモノたちだけを今回持ってきました」
「まず局地戦闘脚秋水。これは女神に装着させて空に飛ばす装置であります。それと空対空噴進弾。これも女神に装着させて使用します。次に地対空飛翔体。これはプエブロに備える兵装であります。そして最後の夜間局地戦に際しては局地戦闘脚秋水と空対空噴進弾の具体的な運用法を事細かに記載したものであります」
最初からこれを出せばよかったんだ。と誰かが言った。
「あ、今日は学校行かないでくださいね」
例の爆撃事件から数日。ほぼ毎日敵はやってきた。さらに厄介なことに昨日は油ではなく本格的な爆弾を投下してきたらしい。プエブロにはすでにエルミオンヌ号の艦砲を含め多くの大砲(とはいっても我々巨人側から見ると両掌に収まる程度の大きさだ。弾薬も人差し指程度の大きさ)で要塞化、周りに溝を掘って塹壕を形成、非戦闘要員もしっかりプエブロの中央の一階の元教室に避難させて、もはやこれまでのショーブスリ程度の規模の爆撃では攻撃しても何のうまみもない状況に代わっていた。
ここまで戦闘に特化したというのに今だに敵方に何の被害も与えられていなかった。問題は体格差と魔法だ。彼らの呼ぶ魔法とはすなわちものを一瞬で熱量に変えることだとシャンポリオンが言っていた。
「新世界で巨人が使う魔法とはすなわちその場でモノを熱量に変える能力のことです。地方長官たちの個性豊かな特殊能力も根っこはこれです。あなたが会ったフラム地方長官は分かりやすく魔法で取り出した超高温を相手に噴射してますし今回の爆撃の犯人ショーブスリ地方長官が空飛ぶ原理も魔法で空に浮かぶ力を取り出しています」
そこで小獣人たちは考えた。女神を外から武装すれば最強じゃんと。
その話を前から聞いていたので愛華は承諾した。
プエブロの元運動場に愛華は呼ばれた。
運動場の真ん中に珍妙な物品が置いてあった。二本の新緑に塗装された円筒状の装置とそれから伸びる管でつながった茶色でリュックのような形状の装置。
「既視感あるな。ストライカーユ…」
「それ以上はいけない!あれが局地戦闘脚秋水。あなたに贈る魔法の箒です。靴と背嚢の要領で装着してください。管で装置のすべてがつながってるので注意してください」
「下駄と胸当ては勇者ロボの追加兵装。いわばお約束よね」
「わたしは時々女神様が何を言ってるのかわからなくなる時があります」
まずは陸軍省の力を引き出す。
いわれたとおりに円筒状の装置に足をとおした途端、平衝を失って前に倒れてしまった。管に多大な負担による破損が心配されたが管の中身の液体が漏れ出さなかったことから実験は続けられた。
ここで一つのトラブルに見舞われた。女神の陸軍省の姿ではコートが上半身に出現する。すると秋水の背部装置をからうための固定紐の長さが足りず背部装置が装着できないのだ。しかしコートを脱ぐと天に上ったとき寒い。
そこで取られた対策はガムテープ。背部装置を背中で抑え胴体にガムテープで張り付けることで解決したのだった。
「おしゃれじゃな~い」
「え!?おしゃれとか気にする子だったの!?」
むんずと愛華はシャンポリオンをつかむとそのまま平衝を崩し地面をまた転がった。
近くの小獣人の技術者から二人そろって叱られたところで今度こそ実験は始まった。
「あの。私むっちゃ高いところに今から行くんですよね。こんな普段着と変わらないコスプレ衣装じゃ健康に悪いっていうかやばくありません?」
「女神だから大丈夫。元々女神は体積零質量無限大の特異点を行き来する存在だからこんな程度じゃかすり傷もつかないよ」
それは飛行機というより大きな鉄砲玉だった。発進とともに無窮の時間残らずすべての物体をとらえる重力を振り切って、何者よりも高く天空の頂目指してただただめいいっぱい腹にため込んだ何もかもを噴出して上昇していった。
秋水はいわば我らで言うロケットである。天高くのぼりつめた後は落下傘で緩やかに海に落ちる…といっても今回は実験。搭載してる燃料も少ない。
秋水初飛行はせいぜい全数十分しかない。しかしこの数十分が愛華の心に大きな変化を与えた。秋水には通信装置が全くない。愛華は天高く雲の上はるか高空まで一人孤高に飛び上がって緩やかに風を全身で感じながら数十分かけて降りてきたのだ。緊張で研ぎ澄まされた感覚にはその数十分は長すぎた。愛華はまるで一時、天体の崇高な仲間として迎えられたような錯覚に胸躍らせた。風をまといおのが体が大地めがけて落ちていくのを楽しんだ。どんどん大きくなる地球に感動した。
そしてそのまま海に突っ込んでいったのだった。
「観測所より入電。女神、無事着水!」
プエブロの中の一室。元の教室の面影を残している黒板には白のチョーク時で「爆撃対策本部」と大きく書き込まれていた。部屋には足の踏み場もないほど大量の部品が並べられていた。
「これでショーブスリのやつとがっぷりおつが組めるな!」
「いよいよ本格的に地方長官との戦いが始まりますな!」
「血がたぎるのうがはは」
「整備班諸君!女神が返ってくる前に予備の秋水をくみ上げるぞ!」
応!と周りにいた整備士たちは答えると所狭しと駆け巡っていった。足の踏み場がないといってもそれは我々巨人の話、体が非常に小さな小獣人では十二分に余裕があるようだった。
「私、どう帰ろう」
海の真ん中で愛華はつぶやいた。
今、自分がどこにいるのかは大体わかる。なんたって天からゆったり海風に全身吹き付けられながら落ちてきたのだ。しかし、そのあとしばし時間が過ぎている海流にいくらか流された事実も頭の隅に置いておくべき事項だろう。
改めて自分の体をそして秋水を眺める。非常装置も無事に起動して胴体装置が浮きになって海面に愛華を張り付けている。
何よりも、あってよかった防水の石の板が夜道を照らす。
光ったロゼッタの扱いにはもう慣れたものだった。
窓のない一室の真ん中に大きな机が据えられて。その上に何枚かの模造紙が乗っかっていた。
「それで結果は?」
「秋水の上昇速度が予想よりも低かった。実戦ではこれに通信機、空対空噴進弾を背負っていくのだから改良するべきかと」
「地対空飛翔体はすでに一部戦列化に成功していますし無理に女神にこだわらなくてもよいのではないでしょうか」
「すでに燃料槽を拡張し全体の部品の強度を高めた秋水改を製作中です。それに飛翔体だけでは魔法をあちらに使用された時の対策が取れないままです。結局女神を出さない限りあちらに攻撃を当てることができません」
「長崎総督殿。明日、台風が長崎を通過するそうですが対策は大丈夫でしょうか」
突然扉をたたく音が聞こえた。そして部屋に入ってきたのは一人の兵士であった。
「西北西に未確認飛行物体一機ありとの報告を日本政府より受信!」
「女神だ!女神をぶつけろ!」
変身していつでも飛び出す準備をしていた愛華は急いで家の庭にはだしで出て、秋水に飛び乗り背部装置を背負って、さらに空対空噴進弾を装備して発進した。あっという間に自宅が米粒ほどの大きさになった。
しかしそこで持ってきた通信機の様子がおかしい。いつまでも雑音を吐き出してるだけだった。
しかたがない。愛華は陸軍省の装備が一つ方位磁針を当てにして西北西に向かった。
雲を超え夜空に瞬く星の一つとなった愛華は親に黙ってもってきていたラムネを取り出す。
「せっかく空に上がったんだ。これはもはやお約束でしょ!」
そういうとラムネの栓をたたいてラムネで体を洗った。
秋水の燃料はもう尽きて落下傘滑空の段階に進んでいた。
結局調子の悪い無線通信のため今回の出撃は空振りに終わったのであった。