98「こんなはずじゃなかったの」
繁華街の映画館、前売り券売り場近く。
文化祭の買い出しを終えた後で、時間も遅かった。対面するマリカは、仕事あがりなのだろうか。いつもの隙の無いOLの格好をしていたけれど。
「これ……」
鞄から出てきたのは、まごう事なき映画前売り券についてるグッズだった。今回はクリアファイルだったそうなので、銀色のブラインド袋に入っている。トレーディング前提ということだ。
「わーありがとうございます! こちらもご確認ください~!」
にこにこと夏美が取引をもちかけたファイルを見せている。一番の強カード、と言っていたその柄を見た瞬間。
(あ)
隣で眺めていた朱葉は見逃さなかった。
(笑った)
好きなんだな、と朱葉が思った時だった。
「違うのよ」
いきなり、これまでの夏美との声のトーンを変えてそう言ったので、夏美も、それから朱葉もちょっと面食らう。
そしてマリカは朱葉を向き直ると、心なしか焦ったような早口で言った。
「これは、違うの。勘違いしないで。ちょっと違うの。……久しぶりね?」
「えっ朱葉知り合い!?」
「えーあー……うん……」
どうするかな、と苦い顔をしてから、朱葉が言う。
「夏美、ちょっと先……帰っててくれない?」
「えー! メニューづくりどうすんの!? 文化祭まであたしもう時間とれないよー!?」
それもそうか、と思い直して。
「ええっとじゃあ、下のファミレスで! 席とってて! すぐいくから!」
そう言って、まだ納得のいかない顔の夏美をその場から離れさせる。振り返る夏美の顔は最後まで、「あとで説明してよね!」と書いてあった。まあ、あとのことは、あとに考えるとして。
「学校の、お友達?」
夏美の背中が見えなくなって、マリカが言った。
「あたしは別にいてもらってもよかったけど……」
「お好きなんですか?」
マリカの言葉をさえぎり手に持ったグッズを指さし、朱葉が言う。
「違うのよ」
マリカは反射的に言ってから、言葉を重ねた。
「違うの。これは違うの。魔が差したの。ちょっと出会っちゃったの。こんなはずじゃなかったの。はまるつもりはなかったの。放送時も別に見るつもりもなかったの。絵は確かに悪くないけど内容はどうせ軟派なアニメなんでしょって思ってたわよでも絵は綺麗だったわよね絵は綺麗よねまあそれで特別編? 総集編っていうの? それだけでも見てみようかなと思ったら、それで」
「落ちたんですね」
結論としてそう言ったら、
「………………………カズくんに言う?」
そう、ちょっと気まずそうに顔をそむけて、マリカが言う。
「え、なんでですか?」
本当に、ナチュラルに、朱葉は問い返していた。
「先生は別に、引いたりはしないと思いますよ。むしろ、この前売りだって絶対買ってるはずだし。特典はどうせ自力コンプだし。だから……別に、わたしから言ってもいいですけど。言うなって言うんでしたら、言わないです」
自分が言うことでもないとは思ったけど、でも、やっぱりここで、マリカと出会ったことは、伝えるか伝えないかでいったら、伝える、と思うし。
ただ、何をそんなにマリカが気にしているのかわからなくて、聞いてしまうのだ。
隠す必要がありますか?って。
「別に」
髪の先を少し気にしながら、マリカが言う。
「別に……」
少しだけ、唇の先をとがらせて言う。
「なんか、カズくん喜びそうなのが、癪なのよね……」
こういうことで、喜ばせたくない、というマリカの気持ちを。
「あー……」
少しだけ、天を見て、朱葉も同意した。
「まあ、まあ……わからなくもないです」
朱葉はあまり、思わないけれど。自分が好きなものを、桐生が好きなら(いや、元々そうやって出会ってもいるし)ただ盛り上がるけど。
けれど、マリカはもう、そういうのが、ない、風を装っていて。
思わぬところで、そういう気持ちを、再燃させちゃったとしたら。
(ん? わたしは、言わない方がいいのか?)
これって、元サヤフラグ?
と、心の中だけで、ちょっとだけ朱葉は困惑する。だって、ここで二人が盛り上がって、意気投合してという可能性だって、高くはないだろうけど。
(ないことは、ないよね)
桐生が、オタク仲間には甘いってことを、朱葉は知っているし。
マリカが今、同じ沼に帰ってきたら、やっぱり喜ぶんだろうか。……マリカの自意識が、それを許さなくても。
どうなんだろうな、と考え込んでいたら、マリカは深く息をついて。
「まぁ、いいわ。どっちでも」
と振り切るように自分を落ち着かせ、それからふっと、朱葉の後ろにある映画の予告映像を見て言った。
「カズくん、どう?」
曖昧な質問だと朱葉は思った。気安いし、いや、その気安さはいいんだけど……どう答えていいか、迷ってしまう。
「どうって。普通です。普通に忙しい先生してますよ」
「付き合ってるの?」
返す刀にこれだ。朱葉はため息をつく。
「だから、そういうのじゃ、ないです」
呆れながらそう返したら。
「そう、じゃあ」
にやりと笑って、ひらひらと前売り特典をかざして、マリカが言った。
「わたしがこの映画、カズくんと行ったって、いいわけだ?」
朱葉は、思う。
誘われた時の、桐生について。多分、別にいいよと普通に答えて、普通に見に行って、普通に萌えて帰るんだろう。
そこに、恋愛感情が、あったって。なくたって。
だから。
「……いいですけど」
別に、桐生が誰と、どんな映画を見に行くことも、制限するつもりは、朱葉にはなかった。
けれど。他でもないマリカが、今、桐生を誘うというなら。
そしてそれを、朱葉に試させるなら。
「でも、ちょっと、やだなって、わたし、先生に言います」
すごく嫌ってわけではないけど。
ちょっとだけ、嫌だ。
「そしたら、どうするかは、先生次第なんじゃないですか?」
宣戦布告にも等しい言葉だった。けれど、自分は受験生で、教え子で、二人の時間なんてそうそうとれないし、出かけるなんてもっての他だ。
ちょっとだけ嫌だってくらい、言う権利はあるはずだった
朱葉の言葉に、少しだけマリカは面食らった顔をしたけれど。
ふふっと、笑みをもらした。
そして。
「生意気」
強く赤く色づく唇を、笑みの形のままに小さくそう、呟いて。
「そっかあ。文化祭か。いいこと聞いちゃった」
とのびをしてきびすを返した。「えっ、ちょっと!」聞き捨てならないことをいいませんでしたか!? と朱葉が呼び止めるけれど。
振り返るマリカは、投げキスをひとつ。
「がんばってね、高校生!」
そう言うから。朱葉は拳をかためて。
「……そちらこそ、社会人先輩」
そう返すことが、精一杯だった。
まったくオタクは狭くて怖い。そしてそれから……なんだか波乱の、文化祭となる予感がした。




