97 禁断の恋
───それは、先生との、禁断の恋。
「あーーー朱葉、これ、これこれ!」
放課後、文化祭での買い出し、その中でも画材に関するものを買うために、クラスメイトである夏美と繁華街に出ていた朱葉は、夏美に連れられて行った映画館の前売り券売り場の前で、そんなことを言われた。
夏美が指したのは、今絶賛公開中の恋愛映画で、人気のイケメンと人気の美少女役者がきっと胸キュンの展開を繰り広げるのだろう。そういうのが、売りの、映像だった。
「これってなによ」
げんなりした顔で朱葉が聞けば。
「なにって恋だよ。禁断の恋」
きょとん、と夏美が応える。
「見て行く?」
はぁ、と朱葉が深いため息をついた。
「何言ってんの、受験生」
ただでさえ、来年公開のイケメンアニメの、前売り券特典のグッズのために並んでいるというのに。どこにアニメ以外の映画を見に行く時間があるというのか。
「興味あるかなと思って」
「興味ねぇ……」
夏美の、言いたいことは、わかっているつもりだった。この夏休みに、親友であり腐れ縁(腐っているの意含む)の夏美に、桐生とのことを話していた。
だから、こういう、教師と生徒の映画を指して、彼女はこう言うのだ。
「参考になるんじゃない?」
「なんの参考だってば」
いや、わかる。
だから、わかっているのだ。認めたくはないけれど、そして認めていいのかもわからないけれど。
自分がしているのは、教師と生徒の恋、だ。
それはそれだ。そうなんだけど。
朱葉が難しい顔をしていると、前売り券売り場の列が夏美の番となり、複数枚購入した夏美はその場でグッズを開封。キャラクターを確認するやいなや、スマホを取り出し、真剣極まりない顔でタップしはじめた。
「大丈夫そう?」
「いける。推しは出なかったけどジョーカーキャラだした。即決する」
ちなみにこの場合のジョーカーキャラとは、作中の一番人気のキャラクターを指す。げにおそろしき、前売り券戦争。
健闘を祈る、と思いながら、朱葉はなかば呆れ顔で、延々と繰り返し流れる映画予告を眺めた。
「……馬鹿らしいと思うんだよね」
深く触れまいと思ったけれど。自然と口にしていた。
映画予告の、情感たっぷりの、俳優の顔を見ながら。
「禁断なんて。少なくとも、数年待てば禁断じゃなくなるわけだし。あんな……あんな、つらい顔するのは、ごめんだわ。相手にだってそうだし、自分だってそうだよ」
心の底から、そう思って、言った。
楽しい方がいいに決まってるし。
自分達は、少なくとも、今まで楽しかった。
それだけは、自信を持って言えた。
「でも、待てないのが、恋なんじゃない?」
スマホから顔もあげず、夏美がそんな、生意気なことを言うので。
「そうだとしたら、恋じゃないのかもね」
朱葉は冷たくあしらうようにそう言った。しかしその横顔を見ながら、ふっと夏美が笑う。朱葉の、強がりや、照れ隠しを見抜くみたいに。
決して気分のいい返事じゃないな、と朱葉は思っていたけれど。「ねぇねぇ」どん、と肩を寄せるようにして、夏美が言う。
「卒業したら、まずどうしたい?」
うっ、と朱葉が言葉に詰まる。
卒業をしたら、どうするんだろう。どうしたいんだろう。改めて聞かれたら、戸惑いしかない。
「どう……どう……案外もう会わなかったりしてね」
あはは、と乾いた笑いと一緒に朱葉が言えば。
「そんなの許さないよ!? きりゅせん責任とってよ!!!!!!!」
噛みつかんばかりに夏美が言う。
その剣幕に、朱葉が面倒になって声を上げる。
「知らんわ! トレーディングどうなったの!?」
「いえーい! 即決! ちょうど近くにいる人と決まっちゃった! これから来るって~!」
手のひらをクルーと返して、夏美がVサインをしてくる。オタクはスピード。都会万歳、だ。
「でも、偶然ってすごいよね」
夏美も映画予告を見ながら、しみじみと言う。
「こういう時に、もしかしたら、トレーディングに来る人、知ってる人だったりして?」
その言葉に。
「いやーまさか」
とちょっと笑って、朱葉が言う。
「まさか、そんな……」
あり得ないよ。あり得ないはず。ありえないに違いない。その、はずなのだけれど……。
なんだか不安になってきて、ちょっと貸して、と朱葉が夏美のスマホをのぞき込む。とりあえず、桐生のアカウントではない。そうだ、彼は今日は確か、別の劇場で、人気アイドルアニメの、応援上映誕生日特別編4DXに秋尾を誘って行くと言っていたはずだ。朱葉は死ぬほどうらやましかったけれど、受験生だから涙を呑んで諦めた。
そうじゃなくてもクソみたいに忙しいのだ。お互いに。だから。
(ないない)
絶対にないよ、と思っていた。なんだか不安がぬぐえなくて。
「あ、あの人じゃないかなー!」
推し色のストールをかけてる……と夏美が手を上げた。その、相手が。夏美よりも先に、朱葉に目を止めた。
────それは、教え子との、禁断の恋。
「…………」
大型映画館のシアター外、ふかふかの絨毯を踏みながら、秋尾が眺めていたのは、朱葉と同じ映画の巨大ポスターだった。
色々思うところあって見ていたのだけれど、ロッカーからダバダバとテンションの高い桐生が戻ってきた。
「いや~4DXやっぱ最高だな!!!!! 実質無料! 実質無料! その上推しの誕生日を祝える歴史的瞬間! 喜び! むしろ追銭をしたい! 絶対に円盤にいれてほしい! 俺はこのために生まれてきたと言っても過言ではない! 特典映像にお仕事おつかれさまと言われた瞬間、俺のすべての疲れは吹っ飛んだ!!」
「うるさいわ!」
思わず頬を片手で挟み込み、キレながら秋尾が言う。
「4DXは眼鏡が濡れるから今日は職場からそのままオンできてるんだろうが、もうちょっと自重しろ!!!!」
顔をつくれ。コスを崩すな。リアルに紛れろ。
ただでさえ、学校関係者が来なさそうな劇場に、ギリギリに入場しているのだ。退場時も暗い間に外へ出るのかと思ったら、明かりがついてからみんなでハッピーバースデーを合唱するから出られないとか抜かす。
興味があったからついてきたのは秋尾の方だが、もうお前しめたろか、と思ったのも事実だった。
映画は、面白かったけれど。
「ほら、この映画の客にまぎれて帰るんだろ」
近くのシアターから出てきた客達と、歩調をあわせるように秋尾が桐生を引きずっていく。
「ちょーよかったよねー」「かっこよかった~」「泣けた~」と前を行く女性陣がしきりに話していた。
「まぁ……この映画も、お前が見てるのはどうかと思うけどな」
秋尾が呆れたように呟いたのに、桐生がようやく周りを見る余裕が出来たようで、半分振り返って言う。
「この映画って?」
「恋愛映画。教師と生徒の」
どうよ、と。なんとはなしに、秋尾が尋ねれば。
「………まあ、俺も」
ポスターを眺めながら、少しだけ、真面目な顔をして桐生が言う。
「先生があれだけイケメンだったらぐらっとくるよな……」
「どうしてそっちの視点なんだよ!!!!!!!」
こいつはもうだめだ、と秋尾が腹の底から思う。
「お前なんて、とっとと捨てられちまえ!」
半ば本気に勢いで言えば、
「俺が捨てられても、俺は、捨てない」
きっぱりと、桐生が言う。真剣な顔で。
けれど、秋尾の方がそういう点では一枚上手だった。
「お前はそれでいいだろうよ。お前だけがな!」
ビシリと指をつきつけて言えば、ぐっと桐生の胸に刺さった、顔をした。
「考えろよ。先生。朱葉ちゃんに他の男が出来るなら全然それでいい。けど、そうじゃないなら、責任の取り方ぐらいさ」
眉を寄せて、秋尾が低い声で囁く。
「そうじゃなきゃ、絶対、つらくなるのは、彼女だぜ」
それが、一番堪えることは、わかっていて。
しゅん、と肩を落とした桐生に、秋尾はため息をつき。
まあ別に、フォローをするつもりはないけれど、ちょっとだけ態度を軟化して言ってやった。
「…………本当は、今日連れてるのも、俺じゃない方がよかっただろ」
「そーーれーーーーな」
がばっと顔を上げて、指さして桐生が言う。
わかってはいたが、やっぱり、結構、ムカついた。
その後しみじみ、噛みしめるように桐生が言う。
「まあでも、……大事な時期だから。俺は、祈るばかりだよ」
少しでも、つらい気持ちには、ならないようにと。
なんであれ、どうであれ、高校生活の最後は、何より大切なものだから、と。
それから駐車場に向かいながら、ぽつりと桐生が言った。
「俺なんかは、……可愛い寝顔が見られるくらいで、本当に、死ぬほど嬉しいんだけどな」
それを聞いた、秋尾は一体それはなんだと、思ったけれど、なんだかつっこむことも、癪な気持ちだった。
一方。その頃。
遠い空で、祈られていることもつゆ知らず、朱葉はピンチに陥っていた。
夏美のトレーディング相手。
それが、知ってる人だったらどうしよう? なんて。
あるはずない、と一蹴したけれど。
(これは……)
これは、どうだ?
「……………………こんばんは?」
そう、夏美に挨拶をする、綺麗な人は。見間違えがなければ。見忘れるわけもない。
……桐生の元カノ、マリカ、その人だった。
あっ続いちゃった!!!
出来ればはやめに……




