90「二人で逃げようか」
2話連続更新の2話目です。最新話を読みにきている方はお気をつけください。
なんだかんだと集まりのいい、クラスメイト十数人でみんなで並んでかき氷を食べた。
誰かがスイカ割りもしたかった、花火もやればいいんじゃないかと言い、「お願いだからこれ以上規模を大きくするな。あと本当に勉強もしてくれ」と桐生が真剣にため息をついていた。
「俺ちょっと持ってくるものあるから~みんな待っててね~」
都築はそんなことを言って輪の中を離れていってしまう。その背は隙あらば浜辺の美人を追いかけているものだから、本当に帰ってくるかどうかは怪しいところだ。
「じゃあみんな、食べたカップ貸してーまとめて捨ててくるよ」
置きっぱなしの都築のカップを拾い、ついでだからと朱葉が声をかければ、わらわらと十数人分のカップが集まった。
「朱葉大丈夫~? 一緒にいこうか~?」
「大丈夫~すぐそこだし。荷物もあるからここにいて~」
クラスメイトがベンチに戻って来たのを見計らって、桐生も飲み物を買いに離席していたのだ。
貴重品などが心配なので、夏美達を置いて朱葉が近くのかき氷屋にカップを抱えていく。
「あ、ゴミね~あっちのゴミ箱に頼むよ!」
夏場だけの浜茶屋はどこかいい加減で、朱葉はたらい回しをされるように、今度はゴミ捨て場に向かう。
それもこれも委員長だから、なんて損な役回りのような気もするけれど、それほど負担に感じてはいなかった。ただ、確かにひとりで持つにはすぎた量だったのかもしれない。
「ぅわっ! すみません!」
海の家の影から出てきた複数人の集団、その一角と鉢合わせをして、思わずバランスを崩す。気がつくと、尻餅をつく形で倒れていた。抱えていたかき氷のカップが、足下にころがった。
「お、だいじょうぶ~?」
ぶつかった相手は大学生くらいの一団で、朱葉のカップを拾ってくれた。
「ほんと、すみません…!」
慌てて立ち上がると、数人に囲まれていた。
「いいよいいよ、高校生?」
「可愛いね。ひとりで来たの?」
「違うでしょ。ひとりで食べる量じゃないよ~」
「汚れたの、大丈夫?」
口々に言うので、返事が追いつかない。それから言われてはじめて、朱葉は自分の薄い色のパーカーがシロップでまだらに染まっているのに気づいた。
「わあ……」
恥ずかしさに目を白黒させていると、一団は悪い人達ではなかったのだろう。「大丈夫?」「あっちに水道あったよ」と言って、ひとりが朱葉の背中に触れようとした。
その手が朱葉の身体に触れる前に。
代わりに肩を引き寄せ。
「すみません」
背後から、声がかかる。
「この子が、何か?」
少し息を切らした声だった。朱葉が驚いて斜めに見上げる。それが誰かは、声ですぐにわかった。わかったけれど、驚いて、しまって。
大学生の一団からは、桐生がどう見えたのかはわからない。
少ない言葉をいくつか交わして、一団とは別れた。桐生にカップを半分持ってもらいながら。
「あの、先生……」
気まずげに、朱葉が言えば。
「………………あんまり、心配を、かけないように」
焦るので、とため息まじりに桐生が言った。
足下の革靴が、砂まみれだった。多分、オンの服装で、他にふさわしい靴がなかったんだろうなと思いながら。
「……うん」
ごめんなさいとも、ありがとうございますとも、言葉に出来ずに、ただ、頷くだけだった。
ゴミを捨てた後、近くの海の家の裏に、自由に使える蛇口があった。
「あの、汚れだけでも、落としても、いいですか」
軽く手洗いしたら、このパーカー、また着るので、と朱葉が言えば、桐生は真顔でほんのしばらく考えたけれど。
「……じゃあ」
と蛇口に向かう朱葉の後ろ、背中合わせで守るように立った。心配をまだ、しているのだろうと思った。
朱葉はそそくさとパーカーのファスナーを下ろそうとして。
(……!)
ちょっと、具合の悪い、ことに、気づいてしまった。
「……あの!」
「ん?」
「こっち向かないで下さい!」
慌てて、朱葉が言う。
「来年って、言ったから! こっち! 見ないで下さいね! 約束ですよ!」
その剣幕に気圧されるように、「わ、わかった」と桐生は言ったので。
朱葉は桐生に背を向けて、思い切りよくパーカーを脱ぎ、手早く、簡単に汚れを落として、薄手のパーカーを絞った、時だった。
視線、を、感じた。
視線、だけではなくて。感触。
指先が、朱葉の、むき出しの首筋を、たどる、ような。
「…………」
「………………」
戸惑いと、羞恥に、力を込めた両手が震えて、耳の後ろまで赤く染まる。絶対に振り返りたくない、と朱葉は思った。
どういう顔をしてるのか、見られないし、見られたくない。
そうだ。今日は、脱がないつもりだったのだ。
少なくとも……桐生の前で、だけは。
「見ないで、って……言った、のに……!」
わなわなと震えながら、朱葉が言う。桐生が指先で、たどったのは、朱葉の首筋。その薄い肌の上に這う……銀の、鎖だった。
かがんだ、朱葉の胸元に、チェーンに通された……銀の、リングがあった。
「ゴメンネ」
もう見ません、と桐生が、再び、背を向ける気配。
(もーーー!!!!!! もーーーーーーーー!!!!!!!!)
別に、いいんだけど!!!!
いいんだけど!!!! めっちゃ恥ずかしいわ!!! と朱葉が怒りにまかせてパーカーを絞りきり、思い切りよく広げた。
その朱葉の怒りを、わかっていないわけでもないだろうに。
「ねぇ、朱葉くん」
背中合わせで、桐生が言う。
「二人で逃げようか」
その言葉に……笑みが、滲んでいたので。
「…………ダメ教師!」
蹴りをいれんばかりに朱葉が言えば、
「冗談ですよ」
と桐生が歩き出す。朱葉は、自分がどんな顔をしているかは見られたくなかったけれど。
どんな顔をしているのか見せてくれない、桐生は、それはそれでずるいなと、心底恨んだ。
クラス会は、陽が落ちる前にお開きとなった。もともとが自由集合、自由解散ではあったけれど、かき氷を食べた後、結局都築は戻ってこなかった。
ナンパでもして行ってしまったのだろうとクラスメイト達はもっぱらの噂だ。
けれど、夕日が沈む砂浜に、都築はひとりで寝転んでいた。
「やっぱり帰ってなかったのか」
その頭上の砂を踏みしめて、桐生が見下ろす。
都築は勢いをつけて身を起こし、砂浜にあぐらをかくと、
「や~綺麗なおねーさんと盛り上がっちゃってさ~~」
とへらへら笑って言う。
「その割に、戻って来たんだな」
呆れながらも、桐生が言えば。
「……先生こそ、なんで?」
海の方を見ながら、都築が言った。
「お前が言ったんだろ。海で進路のこと話したいから、海に来いって」
そういう約束だったはずだった。だから、こんな風に休みの日に海にやってきた。……まあ、もちろん、桐生にとっては、幸運は十分にあったわけだけれど。それは、都築には別に、関係のないことで。
「いやあ。それなんだけどね~やっぱそういう気分じゃねーっていうかあ」
誤魔化すように笑う、都築の言葉はそれ以上聞かず。
「……これか?」
桐生がしゃがんで眺めたのは、都築の隣に置かれたサーフボードだった。いつも派手派手しい都築の趣味には少しあわないような、渋くて古くさい色合いのボードだ。
「あ、これ? いいっしょ? かっこいいっしょ? いけてるっしょ? これ持ってるだけでモテモテっつうかあ」
「の割には、クラスの奴らには見せなかったみたいだけど?」
「いやあ、なんか、恥ずかしくてさ」
なんでだろうね。
都築の言葉に、桐生は笑わず、静かに言った。
「それは、遊びでも、ファッションでもないってことだろう」
「遊びだよ」
かぶせるように都築が言う。
「趣味」
肩を落として、サーフボードを見下ろして。
「毎日やったって、こんなの」
なんにもなんないよ。
その言葉に、桐生は、長い長いため息をついて。
「リア充のことは、よくわからないけど」
伸ばした手を、けれど、サーフボードには触れずに。
「本気でつかってる道具には、魂ってものが宿ると思うよ」
そう、静かに言った。
都築は顔を歪めながら、絞り出すような声で言う。
「……別に、プロになんか、なりたくない。目指すのも嫌だ。本気になるのなんてダサい」
「でも、好きなんだろう」
桐生の言葉に、都築が大の字に寝そべった。
「あーーーあーーーーーーめんどくせーーーー!!」
「相談にのるよ」
「うぜー!! だりーーー!!」
「仕方ないだろう、それが、好きなんだから」
別にプロになることだけがすべてじゃないよ。
ただ、好きなことがあるなら。
その好きなことを大事にしながら生きていく方がいい。
ようやくこの生徒と、そういう話が出来たのだと、桐生は思った。
都築はまだ、大の字になったままで、言う。
「ねえー先生ー」
いきなり声色がかわったから、桐生も嫌な予感がしたけれど。
「セックスしねー恋愛ってどんな感じ?」
いきなりまた、都築の趣味の、色恋の話になって、辟易した。辟易したけれど……まあ、今日の、彼の、ほんの少しの誠意に免じて。
「そうだなあ」
口元を押さえて、桐生が言った。
「愛おしくて泣きそうな感じだ」
その言葉に。
「ああーーーーーーーーーいーなーー!」
と都築が叫ぶ。
「なんか、すげーうらやましい!」
「やらんよ」
「ケチ!」
はいはい、と桐生がいないして。
まあ、せっかくだから、これ、乗ってみなよ、都築くん、と桐生が言う。
俺のことも気になるだろうけれど。
お前の好きな、海があるんだから。
そういう風に声をかけながら。
……なんか、これはこれで、確かにカップルみたいだなと、思ったことは、朱葉には言わないことにした。
男同士の秘密だって、たまにはあるのだ。
カップルなんかじゃ、なくたって。
これにて、本章〆です!!!!!!!!!!!!!!!!
また次章!お会いいたしましょう!!!




