87 神様のねがいごと Ⅴ
出来たての新刊を置いた。
値札までちゃんと、可愛くつくった。
ペーパーは昨日の夜中に印刷をした。感謝をいっぱいこめた。ちょっと恥ずかしいなって思った。夜中のラブレターみたいで。でも、それもいいんじゃないかなと思って、傍らに置いた。
新刊でも既刊でも、買ってくれた人に渡していこう。今日は売り子もいなくてひとり参加だから、全部のお客さんと挨拶が出来るだろう。
それから今日は、スケブを冊数制限なしで受け付けることにした。描ききれなかったら郵送対応だ。
また、危機管理が甘いって言われちゃうかなぁ、と思った。
まあ、いいだろう。よくはないけれど。それでも。
そういう、活動を、してきたから。高校生になってからだから、二年とちょっとだけど。
(本当に……)
いい思いをさせてもらったなぁ、と朱葉はしみじみ思う。
どこかからわきおこる、拍手に朱葉も、手を叩く。
高校生活最後の、オンリーイベントがはじまる。
「せーんぱいっ」
お客が途切れたのを見計らったのか、タイミング良く、新刊を両手いっぱいに抱えた咲がスペースに現れた。
「買ってきましたよ!」
他のサークルの新刊だった。先にリストを渡しておいたのだ。咲とはほとんど目当てがかぶっていることもあって、すみやかに買ってきてくれた。
「ありがとう! 売り切れなかった?」
「大丈夫でした~! センパイからもらったチケットのおかげです!」
任務完了! とびしりと咲がポーズを決める。今日も気合いのはいったお嬢様服で、てっぺんからつま先まで可愛かった。そしてイベントの咲は、いつもつやつやして元気だ。
「そしたら咲は、レイヤーさんを見て帰りますね! 撤収まで、お手伝い出来ずすみません!」
相変わらず時間制限が厳しいらしく、午後には帰ってしまわないといけないらしい。秘書の九堂は、今日は迎えだけ、だそうだ。
「いいんだよ~また学校でね!」
朱葉の言葉に、咲は笑って、「センパイ、学校はお休みですよ」とたしなめる。
「だから、学校じゃなくても遊んでくださいね。連絡まってまーす!」
そんな風に言って、跳ねるように去っていく、彼女の楽しそうな背中がまぶしかった。
それからあとも、いろんなお客さんが入れ替わり立ち替わり訪れた。開会後の、つかの間のラッシュが過ぎ去っても、客足はなかなか減らなかった。
久しぶりです。楽しみにしていました。嬉しいです。すごく好きです。
もちろん、無言で買っていく人もいれば、試し読みをして、そっと本を置いて去っていくひともいる。
どのひとも、朱葉は感慨深く受け止めた。
また、戻ってきて下さい。
待ってます、と言ってくれたひとがいた。はい、とにこやかに、朱葉は答えた。
未来のことは、もちろんわからない。けど。
そうであったらいいなと思っている。オタクであることは、多分やめないし。どんなジャンルかは、わからないけれど、多分。
このジャンルも、このカップリングも、一生嫌いになることはない、と思った。
昼が過ぎ、新刊の段ボールも最後のひと箱となり、ペーパーは早々に配布が終了した。朱葉の傍らには何冊もスケブがあって、客がまばらになってからは、それらを描くことに集中した。
「すみません」
閉会まで、もう一時間を切っていた。会場の中は客足も落ち着いて、むしろ参加者達の会話が喧噪となっていた。朱葉は座っていたけれど、そこに、影がおりた。
「新刊を、頂けますか」
朱葉は立ち上がらなかった。本を、買いに来てくれた、お客さんだと思ったけれど、ゆっくりと顔だけをあげた。
そこに立っていたのは、案の定、知っている顔だった。
ぼさぼさの頭で。
ぶあつい眼鏡で。
ださめのTシャツに、チェックのシャツを羽織っていた。鞄はよこがけだったし、手に持っている財布はマジックテープだった。
デジャビュを感じた。
「どうしようっかなあ」
相手が、お客さんなのに。朱葉はわざとそんな風に言った。頒布用の、新刊は、まだ数冊あったのに。
うっ、と露骨に相手の顔がこわばって。もごもごと続けた。
「……あの、ペーパーって」
「もうないですよ」
嘘だった。数枚は、ファイルにいれて鞄にあった。原本だってある。でも、そういう意地悪を、言ってみたくなったのだ。
「なんで」
そう、すごく、意地の悪い気持ちになって。
朱葉は尋ねていた。
「なんで、朝一番に、来てくれなかったんですか」
言ったらちょっと、鼻の奥がつんとした。
わたしのことが好きなら。
わたしの元に一番に来てくれるべきじゃない?
そういう、わがままめいたことを、今まで言ったことがなかったから。
過ぎたことだと思った。実際、過ぎたことなんだろう。でも、相手は……桐生は、ぐっと力をこめて、覚悟を決めたみたいにして言った。
「──アフターを」
え? と朱葉が、眉を上げる。ぼそぼそとした声だったけれど、はっきりと、言った。
「ぱぴりお先生の、アフターを、頂きたくて」
お願い出来ませんか。
時間を下さい。
そういう風に、桐生は朱葉にお願いに来たのだった。朱葉はちょっと、混乱をした。その発想は、なかった。ぽかんと、あっけにとられたみたいにして、確認した。
「わたしは、サークル主で、あなたは、その……ファンですよね」
「そうです」
「それで、アフターを一緒に」
「一緒に」
それから桐生は、深々と、頭を下げた。
「お願いします」
わたしは、このひとが何者か知っている、と朱葉は思う。
桐生だって、朱葉が本当は、何者なのかは知っている。
それを、前提にしたら、そんなこと、誘えないはずだった。そういうのはないだろう。いろんな言い訳とお膳立てがなければ、そういうことは出来ないだろう。
でも、今なら。
ここはイベント会場で。朱葉は売り手であり、桐生は買い手であるけれど、そこに貴賤はないはずだった。
平等だ。だから。
「それは……それはじゃあ……仕方がないですね」
いいですよ、とため息まじりに、朱葉はその、桐生の申し出を受け入れた。桐生はあからさまにほっとした顔をしたあと。
「あと」
すっ…っと鞄から何かを出して、言う。
「スケブとか……」
にっこり笑ったまま青筋をたて、朱葉が返す。
「そこはもうちょっと遠慮しようか?」
いい加減にせいや、と思った。言わなかったけど。
イベントが終わり、簡単な撤収と挨拶を終えて、少し離れた駐車場に朱葉は向かった。桐生はいつもの自分の車にもたれかかるように立っていて、朱葉が近づくと、自然に動いて、ドアをあけた。
助手席だった。
ちょっとした居心地の悪さを感じながら、朱葉はそこに乗り込む。なんだか変な、不思議な気持ちだった。
車が発進する。
「どこに行くんですか」
気まずい沈黙を誤魔化すように、朱葉が言う。これまで先生の車で、一体どこまで行ったっけ。夜景を見て。咲のうちにいって。画材をみたりして。
今日は、どこにいくんだろう。このイベント終わりに。……もしかしたら、最後になるかもしれない、アフターに。
「予約をしてあるから」
と桐生は言葉少なに言った。
「個室で、ゆっくり話せるところ」
そう言われたら、なんだか途端に緊張してしまって、朱葉は黙って窓の外を見た。自分の緊張を悟られたくなかったのかもしれない。
個室で。一体どんな話をするっていうんだろう。
わからないけど、せっかくだ。せっかくだから、言いたいことは言っておかなければならない、と朱葉は思う。
もうやめませんか。
何をっていうわけじゃないけれど。
たとえば取引とか。二人の秘密だとか。
自分が縛られてしまうのはもう仕方がない。そういう風になってしまったのは自分の責任だ。
でも、先生を縛って。
これ以上……わたしは、先生に、迷惑をかけたくない。
いつか言ってしまいそうだから。そんなに私が好きなら、って。好きの種類も違うくせに、困らせてしまいそうだから。
そんなことを、思いながら、やがて車が停車した。
「どうぞ」
車からおりてみれば、そこはいかにも高級そうな建物で。
しかし一見、なんの店かわからず、首を傾げて、桐生のあとに続く。
料亭のような門構えから入り、和装の店員に中へと案内される頃には、朱葉はそろそろ、ここが何の店なのか、わかってきていて。
通された、『個室』で、朱葉が思わず、聞いた。
「なんで」
お品書きにのせられた、高級そうな、写真を見ながら。
「なんで、肉」
心の底から、純粋な疑問符だった。
「アフターだから」
と、師はのたまわった。
「ぱぴりお先生のこれまでの活動に感謝をこめて」
網を前に、桐生が言う。あくまでも、真剣に。くそみたいに真面目な表情で。
「俺の金で、焼肉を食べていただきたい」
そう、そこは、アフターの定番。
個室焼肉の店だった。
あげはさんが言わないならわたしが言うぞ!!!
いい加減にせいや




