86 神様のねがいごと Ⅳ
「…………」
「…………」
「…………」
タンタンタン、とボールをはずませる音がしている。膝に頬杖ついてベンチに座っている朱葉の傍らで、太一が無言で立っている。
その足下では、都築が座りこんでいた。
「なんでだよ~……」
「なにが?」
最後に残った仏心で朱葉が聞いてやる。
沈没したままで都築が言う。
「こう、もうちょっと、たあちゃん手心加えて、俺にいいとこ見せてやるとかさ……友達を立てるとかさ……そういうのないわけ……あるっしょ……どう見てもどう考えても今そういう展開の場所だったでしょ……」
「俺が? なんで? お前に? バスケで負けないといけないの?」
太一の言葉は熱帯夜もふっとぶ冷たさだった。
そりゃそーだ、と朱葉が思う。
適当なルールを決めて、公園で1on1、都築が勝ったら、朱葉と都築がお付き合い……だなんて、なめたこと言われて、それを了承する気もなかったけれど、浮かれた足取りで太一に勝負を持ちかけていった、都築の肩越しに、太一が目で聞いてきた、のが朱葉にはわかった。
別に心は通じ合ってないけど。幼なじみのよしみってやつで。
『いいわけ?』
朱葉は頷きひとつ。目で返す。
『ヤっちゃって』
そのメッセージは的確に伝わり、開始10分も立たずに、都築はコテンパンにたたきのめされた。
当たり前だ。
朱葉の知る限り、太一はバスケ馬鹿だし、幽霊部員の都築がそもそも太一に勝てる見込みなんて全然なかったはずなのだ。
それでも、なんとなくノリで、かっちょよく、うまいこと、いかなくても対等くらいにはやれちゃうような気になってるところが、都築は本当におめでたい。
「っかしいな~こんなはずじゃなかったのに~~」
「約束は守ってね? 都築くん」
にこ、と笑って朱葉が言う。「ええ……」と都築が心底解せない顔をした。
『太一に勝ったら俺と付き合って』
そう言われた時、もう、徹頭徹尾、取り合うこともないなと思ったのだけれど。
ちょっと、いたずら心が頭をもたげて、朱葉が返したのだ。
『負けたら?』
『何がいい?』
聞いたな、と思ったので。朱葉がそのまま言った。
その時はさらりと流したはずなのに、今、都築は悶絶している。
「やだよ~!! おっかしいよーー!! なんでだよーーーー!!!!!」
朱葉が出した、交換条件は。
『じゃあ、都築くんが先生とつきあって』
とまあ、そういうことだ。
朱葉はペットボトルで自分の肩を叩きながら、投げやりに言う。
「おっかしいでしょー。なんかへんでしょー。都築くんがわたしに求めたの、そういうことよ。思い知ったら、馬鹿なことはもう言わないことね」
二人の会話に、太一はとことん興味がなさそうで。
「俺、向こういってていい?」
と早々に離脱を表明している。
「なんだよ~たあちゃん~そこは、勝ったから俺が朱葉ちゃんと付き合うよとかないのかよ~!!」
「なんでだよ」
心底解せない顔で太一が言う。
「俺、別に、早乙女と付き合いたいなんて思ったことないし」
せやな、と朱葉も頷く。
「そんなのーー!! 付きあってから考えりゃいーーじゃん!!!!」
「「よくねぇよ」」
と太一と朱葉がはもった。
「ていうか、もう別に、わたしも都築くんと話すことないよ。そろそろ帰りなよ」
朱葉が立ち上がる。都築はぶう、と頬を膨らませ、公園の地面に座り込んだままで、言う。
「いーじゃん。朱葉ちゃん。俺はいつでも当て馬に付き合ってやっていいよ。テクもあるし、退屈はさせないよ。そうやって、本命試したい女子には、協力を惜しまない男だよ? 俺は」
そこでようやく、朱葉も、都築の意図を正しく理解したのだ。
いや、正しいか、どうかはわからないけれど。
都築はやはり、朱葉を本当に好きなわけでもなかったし。
かといって、朱葉を思いやらなかったわけでもないのだろう。
(なんだかなぁ……)
お礼を言うのも癪だな、と思いながら、朱葉はちょっと、考えて。
「んじゃ、あっちと都築くんが付き合えば、同じことじゃない?」
ほんとうのこいに、めざめるかもよ?
そんな軽口を叩いて、朱葉は公園をあとにした。太一にだけは、軽く礼を言って。
呑まなかったペットボトルを揺らしながら。
(「わたしは、先生を好きだったのかも」)
自分の言葉を、思いだし。
そうか、と思い、まずったなぁと思いながら。
さてこれから、一体どうしたらいいのだろうかと、考えるしかなかった。
時を同じく、秋尾が辛抱強く、桐生の話を聞いていた。遠隔操作ではあったけれど、最近あまり話せていなかったこと、ぱぴりお先生が活動を休止するようだということ。覚悟はしていたけれどまだ受け止め切れていなくて、後ろ向きな気持ちになってしまうということ。
ぐだぐだと要領を得ない話を聞きながら、秋尾はどうにも、話の本質がそこにはないように感じていた。
徐々に紐解いていくと、「もしかしたら親御さんに何か言われたのかもしれない」と桐生がもらした。
「ばれてないと思うけど、三者面談で俺が」
早乙女くんにつきまとっているめんどくさいオタクだということが……。
『いやいやそんなバレるような話をしたわけ?』
と、ひとつひとつ、聞いていったら。
『待って?』
秋尾が突然、『待って』ボタンを連打しはじめた。
『いや待って? ちょっと待って? うん? 待って??』
「どうかしたのか? 萌えに耐えきれない腐女子みたいになってるけど」
『ちなみにその腐女子さんの“待って?”は意訳するとどういう意味?』
「そうだな、“あまりの尊さに今すぐここで死にたいけどこれまでそしてこれからの萌えを受け止め続けるために不死鳥のごとく蘇りたい、ただやはりここに墓を建てたいから辞世の句を詠ませて欲しい"くらいの意味じゃないか」
『そうかちなみに俺は“今すぐお前の指を一本一本海老反りで折っていきたいから未来で待ってて"くらいの意味だ』
「えっやばい」
『やばいのはお前です』
秋尾は頭を抱え、深呼吸をする。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、ここまで馬鹿だとは。
こんな男と付き合わないほうが幸せなのでは? と秋尾は思う。言ってやりたいことがやまほどあるけれど、それを言ってどうなる? どうにかしてやる価値もないのでは?
秋尾は、くるりと振り返る。背後では、キングが黙々と男達の会話に口を挟まず裁縫を続けていた。月末の大型造形イベント用の衣装だった。秋尾の分だったため、その採寸も兼ねての秋尾の部屋での修羅場だった。
桐生の言葉はスピーカーで聞こえていたはずだ。
だから秋尾が、助けを求めるようにキングに聞いた。
「どうしよう? 俺、こいつにアドバイスしてやるべき?」
それまで黙って手を動かしていたキングが、ぴたりとため息をついて、ひとことだけ。
「──神様は、いつも信者を選べなくて、可哀想だ」
その言葉に、秋尾はぐっと、額をおさえて頭を抱え。歯を食いしばって、顔を上げた。
『……いいか、この、秋尾誠さまが、一回だけ死ぬ気でお前に説教してやる』
一世一代、命を賭けて。
まかり間違っても、てめぇのためではない。
可哀想だ、なんて、そんな切ない気持ちを、秋尾は、出来ることなら恋人に言わせたくないのだった。




