85 神様のねがいごと Ⅲ
「それでさ俺は思ったわけだよやっぱり実写化映画化メディアミックス問わず大切なのは原作へのリスペクト、それは言い換えればどれだけ正しく二次創作をしようかという覚悟なわけなんだよねたとえば漫画にしたって小説にしたって出来ることなら絵柄を寄せたい文体を寄せたい、表現の形がかわったとしても魂の形をミリでもいい近づけたいっていうのが欲求としてあるわけじゃないか。もちろん、もちろんだよ、換骨奪胎まったく別のものとしてひとつの世界と作品をつくりあげる、そういう姿勢も評価されてしかるべきだけど原作の読者はやっぱりその魂の同じ形を求めてくるわけだよ、同じであれかしっていうのは単純に姿形だけのことじゃなくて、やっぱり俺は魂としか言いようがないしそういう意味では今回の映画化は正解だったと言ってもいいんじゃないか、正解じゃないとしてもその魂の努力は認めてもいいんじゃないかって思うわけだもちろん作中の改変について特にあの重要シーンでの重要台詞については俺としても議論の余地有りだと思うけれどあれはやっぱり言わせたかったんだよあの作品あの役者あの脚本だから、あの二次創作上どうしても、『こんなこと言わない』の台詞が出てしまったと俺は解釈するね、だから──」
『だから?』
ヘッドセットのマイクの向こうで、秋尾の冷めた声がしている。いつものようにネトゲの最中、突然最近見た映画についての感想を垂れ流し始めた桐生に、ため息まじりに秋尾が言った。
『お前、別に、そういうこと話したいわけじゃないよね』
「え、じゃあついに発売された待望の最新刊の話……」
『それも違う』
「俺は常に俺のパッションを……」
『はいはい、パッションの話はいいから』
俺をはけ口にするのやめてよ。
と秋尾が言った。
桐生はショートカットキーを無心で叩きながら、しばし、黙る。
『聞いて欲しいのは俺じゃないんでしょ。それを俺に言って我慢するのはやめて下さいね。迷惑だし気持ち悪いから』
無慈悲な言葉。けれど、呆れ果てた中でも秋尾は言うのだ。本当に呆れ果てた調子で。
『どうしたんだよ、朱葉ちゃんだろ』
いらんこと言ってる暇があったら、仕方ないから、聞いてやるから、言ってみなさいよと、投げやりに、けれど、いたわりと気遣いで、言われたから。
桐生は部屋で手をとめて、天を仰いで。
「…………どうかしたのか、俺が聞きたい」
と、途方にくれたように呟いた。
時は、夏休み。二人はしばしの断絶の季節に入り。
朱葉のSNSには、新刊のサンプルと──同人活動休止の、ご挨拶が載った。
入稿を終え、SNSにサンプルをあげたら、なんだかどっと疲れた気がした。
夏休みに入ったばかりの宵の口だった。今日は久々に早く寝るか、それとも朝までゲームとしゃれ込むか……。そんな風に考えながら、ネットサーフィンをしていると、
「あげはー」
部屋の外から、母親の声がする。
「太一くんが来たわよー」
へ? と首を傾げ、やる気のない部屋着のままで玄関に出れば、そこにいたのは、確かに近所に住む梨本太一、そのひとで。
「どしたの」
彼の姉の方ならまだしも、太一が家を訪ねてくることなんて、ここ数年間記憶にもない。当人はジーンズにシャツというラフな格好で、眉間に皺を寄せて渋面をつくっている。そして、納得いかない、なんで自分がと不平不満を声ににじませて、低い声で言った。
「…………悪い。迷惑ならすぐ連れて帰る」
何が? と朱葉が聞く前に、「あっげっはちゃーん」身体の大きな太一の背後から、都築がひょっこり、顔を出した。
近くの公園は人影がなく、街灯だけが明るく光っていた。そのベンチに座って、朱葉はなんだかな、と思っている。
「これ、どーぞ」
都築に渡されたのはペットボトルに入った清涼飲料水だった。封はあいていない。まだ冷たくて、ボトルに汗もかいていないくらいだったから、今し方この公園に来る前に買ったのだろう。全然そんなそぶりも見せなかったけど。
「太一の分は?」
「たあちゃんにはあとで飯でも奢るよ」
都築が朱葉の隣に座りながらそう言った。さりげなく朱葉は、ちょっと距離をとって座り直した。
「あ、でも誤解しないでね。たあちゃん飯に釣られてあげはちゃんの家教えたわけじゃないから。俺がね、ご近所さんなの知ってて押しかけてきただけ」
「別に、どっちでも気にしないけど……」
どっちにしろ、つまり都築がはた迷惑な人間だ、ということに変わりは無い。そして、その都築に太一がずいぶん手をやいていることもわかった。
声が聞こえないような場所で、太一は家から持ってきたバスケットボールでひとりでトレーニングをしている。
多分だけれど、都築と朱葉を、夜の公園というシチュエーションで二人きりにしないように、という配慮だったのだろう。
それは、朱葉への心配というよりも、都築への不信であるのではないか、と朱葉は分析している。
「いやーでも、朱葉ちゃんがお話してくれてうれしーよ。俺、門前で払われるかと思ったもん」
「確かに家も教えてないクラスの男子が突然来たら、引くよね」
「メンゴメンゴ☆」
「全然謝る気ないし……」
「だって二人でゆっくり話したかったんだも~ん」
「……わたしも」
「え?」
「わたしも、言っておかないとと思って」
小さくため息をついて、顔をあげて朱葉が言う。
「太一にも、クラスメイトにも、おかしなこと吹聴しないでね」
「おかしなって、どんな?」
ベンチに座って肘をついて、のぞき込むみたいに笑って都築が言う。ちょっと睨みつけると、慌てたように都築が言った。
「あ、口が軽い男だとは思わないで欲しいそこは絶対。俺が軽いのは尻とフットワークだけだから! その大前提として、あげはちゃんの秘密を守るためにも何が秘密なのかは知っておいておきたい、って思うわけですわ!」
朱葉はもう一度、ため息をつく。否、深呼吸だったのかもしれない。
「先生のこと」
ぴゅう、と都築が口笛を吹いた。
「認めた」
「そういう、わけでもないけど……」
冷たいペットボトルの口をあけず、振り子みたいに揺らしながら、朱葉が言う。
「そうね、多分」
ちょっと、言うには、勇気が要った。
「わたしは、先生を好きだったのかも」
勇気が要ったけど、言ったらちょっと、楽になった。すっきりした。もしかしたら誰かに言いたかったのかもしれないとさえ思った。その相手が、この尻軽男だというのは、だいぶ、不本意だったけれど。
ひとりで考え続けるのには、ちょっと疲れていたのかもしれない。
「だった? 過去形?」
都築は、素早く、隙無く、すみやかに聞いてきた。
朱葉はちょっと笑ってしまう。自嘲みたいな笑みになった。
「まあ、でも、先生はわたしのこと、そうじゃないなって、思ってさ」
「え、またまた~」
おばさんみたいに手をこまねいて、都築が言う。
「俺的リサーチによりますと、どう見てもどう考えてもきりゅせんは朱葉さんにベタ惚れですが?」
「都築くんのリサーチでしょ、それは」
「俺のリサーチが信用できない?」
「っていうか」
まあ、信用しているわけではないけれど。
「わたしが、わたしと先生のことを、都築くんよりよく知ってるだけだよ」
そう、君なんかよりも。
もっと、ずっと、たくさんのことが、自分達の間にはあって。
「先生はわたしのこと好きだよね。それは知ってる」
ペットボトルを揺らしながら、そこから落ちる涙みたいな水滴を眺めて。
「でも、そういう、好き、じゃないって、こと」
そう、朱葉は言った。
うん、そうだ。そうだから。
がっかりしてしまった。落ち込んでしまったのだ。好きになんかなるんじゃなかった。いつなったのかは、思い出せないけど。
普通にただ、めんどくさいけど、気のあう仲間で、いたらよかったのに。
「わっかりませんね~。わっからないね~」
都築が眉間に皺を寄せて、持っていたペットボトルを飲み干すと、立ち上がってポケットに手をつっこみながら言う。
「じゃあこうしようよ。俺今フリーだし」
「待って。それ本当?」
即座に朱葉がツッコんだら。
「…………」
都築はちょっと考えて。
「一日くれたらフリーになってくるし!」
「それはフリーとは言わない」
「まあそれは置いておいて」
「絶対置いておかない」
ろくでもないことしか言わない気がするから。
しかし都築は勝手に置いて、言うのだ。突然大きな、声を出して。
「おーい、たーあちゃーん!」
いきなり声をかけられた、太一が、ボールを操る手を止める。そして都築は、朱葉を振り返ると、にやりと笑って言った。
「1on1で、俺が太一に勝ったら。俺とつきあってみるってので、どう?」
ほら。やっぱり。
ろくでもないことしか言わない、と朱葉は思った。




