76「もしも子供が産まれたら」
朱葉センパイが怒っている。
その様子を、静島咲が興味深げに眺めている。部活を終えた雨の帰り道、珍しく一緒に帰ってもらえてハイテンションになっていたら、朱葉がとびきり素敵な傘を持っていたので、その延長で。
元々、傘を忘れたから一緒に帰ろう、という話だったはずなのに、下駄箱から出てきた朱葉は折りたたみ傘を持っていて、あれ、変だな、と思った。
思ったけど、その傘が、咲も大好きなジャンルのくじのラストワン賞だったものだから、咲のテンションはそれまでより爆上げになってしまった。
でも、朱葉はあんまり、喜んでいないみたいだ。喜んでないのかな? どうかな。
「こんなの! さして帰れないし……!」
「あ、じゃあじゃあ、やっぱり、咲と相合い傘しますか?」
と、咲が傘を差しだしたけれど。
「……………………」
朱葉はずいぶん考えたあとに、「いや、やっぱ、これで、帰る」と言った。
「模様も内側だし、咲ちゃんが隣にいてくれたら、あんまり目立たないだろうし……」
「おまかせあれー!」
くるくるっと傘をまわして咲が言う。相合い傘を出来ないのは残念だけれど、朱葉が一緒に帰ってくれるのは特別だし、力になれるならなんだってしたかった。
やっぱり咲は、朱葉のことが大好きだったので。
「でもいいなー。咲はじめて見ました。素敵だな~。ラストワンですよ! ラストワン! 最後の一個なんですよー!」
「最後の一個だけど、全部買ったら一個はついてくるってことよ、咲ちゃん。もっと言うなら、二つ目の店舗で残りを全部買っても絶対についてくるってこと」
半ば呆れながら朱葉が言う。
「え! ってことは、センパイ全部買ったんですか!?」
「わたしは買ってません!」
先生じゃあるまいし、と歩き始めながらぶつくさと朱葉が言う。
「じゃあ」
ととと、と後ろをついていきながら、咲が尋ねる。
「その傘、桐生先生のですか?」
なんとなく、そうかなって。思った。問われた朱葉は、とっさになにか答えようと口をあけて、それから百面相するみたいに難しい顔をして。自分の傘を持ち上げると、咲に顔を寄せ、小さい声で言った。
「ナイショね」
らじゃーです! と咲は傘を上下させる。雨の音がちょっとうるさかったけれど、それも、ナイショ話をするのには向いている、と咲は思った。
咲は漫研部員だ。部員の数が少ないから、まだ同好会扱いだけれど。
漫研は、朱葉と、それから顧問の桐生が、咲のためにつくってくれたようなものだった。
本当は、漫研の部員になることを、両親は最初はいい顔をしていなかった。部活なんてせずにはやく帰ってきて欲しがっていたし、どうせやるなら、もっと、将来のためになるようなものを、と思ったのだろう。高校に入るまでは、習い事もたくさんしていたし。
咲は将来のためなんて知らない。お花も踊りも、別に好きじゃなかった。
また、大げんかになりそうになったのを、止めたのは父親の秘書をしている九堂だった。
一年だけでもいい。門限は守る。少々遅くなっても、自分が迎えにいく──そんな風に、両親を説得してくれた。あの、咲のオタク趣味を、全然わかってくれなかった九堂が!
だから、咲は今、毎日の学校が楽しい。
朱葉と、桐生と、それから九堂にも感謝をしている。
それで、あと、それから、……朱葉と桐生が、一体どんな関係なんだろうって思うことがある。
いや、知ってはいるのだ。
桐生は朱葉の先生で、朱葉は桐生の先生だ。その点に関しては、咲にとっても桐生は先生だし朱葉も先生だ。(ややこしい)
で、咲は朱葉のことをめっちゃ好きなので、桐生も朱葉のことをめっちゃ好き。それは、わかる。
先生ばっかりセンパイと一緒にいてズルイ! と思うこともあったけど、よくよく考えたら、他の人が朱葉と一緒にいるよりずっといい。(この間のクラスメイトとかいう男子は最悪だった。あんなのはブロックだ! ブロックあんどスパム報告! スパム報告はしなかったけど、思わず先生に報告はしてしまった)
それに、朱葉の創作物に関しては、ちゃんといろんなものを共有してるから。共同戦線なのだ。だいじ。
それは、……それ、と、して。
「センパイと、先生って」
不思議に、思ったりもする。
「いつもどんな話をしてるんですか?」
なんとなく。なんか。ちょっと。やっぱり。ちょっと、不思議なのだ。
仲良しだから。仲良しで。
「いつも?」
そこで、朱葉が何かを思い出したのか、ちょっと赤くなって、それを誤魔化すみたいに首を傾げた。
「えーっと、最近は……」
それから、しばらく前の記憶をたぐるようにして、朱葉が言う。
「もしも子供が産まれたら……」
「は?」
思わず咲が聞き返してしまう。朱葉は真顔で、咲を見ながら言う。
「子供が産まれたら、一体どんな幼児向けアニメを見せるかって話で白熱したんだよね」
「は、はぁ」
「今流行ってるじゃない? いや、昔からだけど子供向けって油断ならないじゃない? 教育ってやっぱりすごいことじゃない。そうじゃなくてもいきなりねじこんでくるじゃない。いや、こうなってくると公式がねじこんできてるのかこっちがねじこんでるのかわかんなくなってくるわけだけど。もちろん子供向けに限らず、わたし達が好きな少年向けだってもう少年というカテゴライズじゃないしなんなら少年だったことなんかないわけだけど!」
どう思う?
咲ちゃん的に、最近はやりのあの子供向けアニメのカップリングについてちょっと聞かせて欲しい。
……桐生もすごいけれど、朱葉だって、オタク話の時にはすごく早口になる。咲もまたそうだったから、別に引いたりはしなかったけど。
「咲……小学校の間は、あんまり、アニメとか、見せてもらえなかったんで……」
「ええ! それは損だよ! 見てみて! 未だにやってる長寿アニメってやっぱりすごいし、いやわたしも流行りはじめてからまたちょっと見始めたっていうニワカなわけだけど、そうじゃなくても出来の良いリバイバルってすごいんだよ! 声とかも!」
「見てみます!」
ぴょんぴょんはねながら咲が言う。
……昔は、こうやって、朱葉が、咲と共通の二次ジャンル以外を喋っているだけで、嫉妬の炎に狂いそうになったものだけれど。
たくさん話すようになって気づいたのだ。
一緒に、楽しめば、全然問題ないってこと。むしろ世界が広がってハピハピだってこと。
いや、それは、それとして。
「ほ、他にはどんな話を……?」
真剣な気持ちで、咲が聞けば。
「うーん、……あ!」
思いだした、というように、朱葉が咲を見て言った。
「どんな結婚式がいいかとか?」
どどーん。と咲の頭の中に効果音が鳴る。駅は、もうすぐそこだ。
「せ、センパイって!」
ぐい、と今度は自分の傘をよけて、朱葉の小さな折りたたみ傘の中に入り込み、つま先立ちで咲は尋ねた。
雨の中、小声で、でも、はっきりと。
「先生と、つきあってらっしゃるんですか……!?」
聞かれた朱葉は、それこそ鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして。
「……え、なんで?」
と言った。
『いや、むしろなんで付き合ってねーんだよ、それで』
ヘッドセットの耳元から呆れたような秋尾の声が響く。自室のPCの前でキーボードのショートカットキーを炸裂させながら、桐生が呟く。
「いや、でも本当に大事件なわけなんですよ。俺達がかつて幼少期に見ていたあの作品が今まさにここにきて成長と開花を……」
『だからその話じゃねーよ!!』
オンラインゲームのクエスト攻略真っ最中だった。最近あげはちゃんどう? と水を向けた秋尾に、最近の話をした、それだけだ。
『かー、付き合ってなけりゃそんな話なんて普通でねーよ。しない! お前ら本当に大丈夫か?』
「大丈夫も何も、毎日愉快に生きてますけど」
『あんまり愉快すぎるのもどうかと思いますけどね、俺は──』
またそこで秋尾の説教が続きそうになったが、二人の会話にぼそりと声が挟み込まれる。
『おい、壁とアタッカー、集中しろ』
はっとして画面を見ると、美少年ソーサラーがプンスコのエモーションを出している。その姿だけは可愛いが。
「『ハイ、キング』」
パーティの中でもレベルはダントツで高かった。
これは締められる、と桐生と秋尾の背筋が伸びた。二人は粛々とクエストをこなす。
無事に報酬画面になったとところで、ヘッドセットの向こう、キングが言葉を発する。
『そういえば、今度休みに』
アバターのエモーションだけはかわいらしく、キングが言った。
『朱葉ちゃんお借りしたいんだけど、いい?』
ええ? と桐生が操作も忘れて聞いた。




