72「よおし片っ端からブロックブロック」
早乙女朱葉は混乱していた。
電車にどうやって揺られて帰って、夕飯に何を食べたか覚えてないけれど、ベッドに横になってようやく人心地ついた。
(いやいや……)
人心地ついた、といってもなにひとつ心は落ち着いていなくて。
(あれは、なんだ……?)
何度も思い返しては、頭に血が上る。
(えー……えー……)
どういう流れで、ああなったんだっけ。
わがままを言ったらどうするのかと言った。確かに自分は、挑発めいたことを言った、かもしれない。
言えばいいと、桐生は応えた。そのくらいから、ちょっと様子がおかしかった、と朱葉は思い返す。
(悪い男だ)
あれは、自分の知らない、イケメンの桐生先生でも、腐男子のふだせんでもない。
悪い男だ、と朱葉は思う。
誰かに聞いて欲しいし相談したいけれど、ふさわしい相手が見当たらない。夏美に全部話しておけばよかったとも思うし、話していても、言えていたかどうかは、わからない。突然のことで、あんまりに、びっくりして。
(……だから、なんだろう)
心の準備が出来てなかったし、びっくりしたし、うろたえた。だけど。だから、なにかと言われたら。
答えが、でなくて。
(………………どうすんだよ)
週が明けたら、いやがおうにも会わなきゃいけない。
なかったことには出来そうになくて、結構本気で、途方にくれた。
結局土日はひとりで悶々と過ごして、考え込んでしまうと夜しか眠ることが出来なくて(まあそれでも夜はちゃんと寝た)、週があけた。
「はい、おはよう、遅刻になりたくなきゃ座れよー」
チャイムとともに教室に入ってきた桐生が、教室中を一瞥してく中で、一瞬ばちりと、朱葉と目が合った。
「!」
とっさに、目をそらしてしまったら、次の瞬間、ガシャン!! と音が鳴った。
「!?」
驚いて見返すと、桐生が壇上に上がる段差に躓いていてオオゴケしている。「先生!」「きりゅせん大丈夫ー?」「え、ボケ? ネタ? マジ?」と教室もざわつく。
よろよろと立ち上がった桐生が、うなだれながら、
「……月曜日で気が抜けた」
とかなんとか言っているけれど。
(ショックうけてる……)
呆れたように、朱葉が思う。
まだ、直視は出来なかったけれど。その哀れな姿に、ちょっと溜飲が下がった、ことは確かだった。
月曜日は生物の授業もなかったため、朝礼と終礼にうつむいていれば、顔をあわせることもなかった。委員長の仕事も確かにあったけれど。
「この間の分、かわってよ」
そう都築に押しつけたら、都築は「おーけーおーけー」とへらへら日誌を受け取った。
そういえば、女の子、どうなったの?
と思ったけれど、わざわざ聞きたいほどは、興味がわかなかった。校内で追いかけられていないところをみると、上手いことやったのだろう。
彼は、上手いことやることには長けた人間だった。
「あげはちゃん」
日誌をつかみながら、上目遣いで都築が尋ねる。
「なんかあった?」
ざわついた教室で、誰と、という話を。避けたのは。
多分都築の配慮なのだろう。そういう気遣いは、できたひとだなって朱葉も思うけれど。
「都築くんに言うようなことは、ないよ」
きっぱりとそうこたえたら、都築は意外そうに、眉だけ上げて。
それから、もう少しいたずらっぽく笑って続けた。
「ねぇ、デートの話は?」
朱葉は軽くため息をつき。
「お断り」
クールに答える。まだ何か言おうとしてる都築に対して、
「やっぱりわたし、都築くんのこと考えてる暇、ないから」
遠慮しとく、と言えば。
「残念」
と、特別残念でもなさそうに都築は笑って。
「じゃあ、俺がんばっちゃわないと」
とかなんとか言っていたけれど、朱葉はもう聞かずに、教室を出て行く。
部室の鍵は、一年生の咲が開けてくれたのだろう。部室に入ると、「先輩、おつかれさまです~」と咲のいつものご機嫌な挨拶。
「おつかれさま。……咲ちゃん、今日は一緒に帰ろうか」
なんとなく、桐生と顔をあわせるのが、気まずいような気がして。そんなふうに持ちかければ、「ほんとですか?」と跳ねた返事。
うん、と言いながら鞄を置いた朱葉が首をかしげる。
「咲ちゃん、何読んでるの?」
彼女が机の上に広げていたのは、雑誌でも薄い本でも漫画でもない、かなりの重量のある図鑑のような本だった。
「じゃじゃーん」
持ち上げて見せられた、その図鑑……図録の表紙に、朱葉が少なからず驚く。
「──それって」
ついこの土日に、朱葉が桐生と訪れた展示会の図録だった。
「そうです~! 素敵ですよね!」
「咲ちゃんも行ったの?」
「え?」
これって朱葉先輩の私物じゃないんですか? と咲。
いくつかデッサン書などが並べられた棚を指して。
「そこの、資料棚にさしてありましたよ~! 咲、行きたかったけど行き逃してしまって、だからすごく嬉しいです!」
と言った。
「そうなんだ……」
「あ、あとこれもつんでありました!!!!」
そして咲が差し出したのは、いくつも箱のつまれた……見覚えのあるお菓子で。
それを見た朱葉はため息をつくと、
「……咲ちゃん、きのことたけのこだったら、どっち好き?」
ちょっとした興味で、聞いてみたら。
「咲、どっちも食べたことないです!」
とほがらかな返事。
(そういえばこの子の差し入れ、いつも高級菓子かお茶だった……)
気づかなくてもいいことに気づいてしまいながら、椅子に座って。
「……じゃ、食べながら、一緒に見ようか」
開いた箱の中から、ひとつ、つまむ。
「わたし、こっちが好きなんだよね」
たけのこの形をした、チョコレートを。
一枚一枚開きながら、朱葉が解説していくと、咲が楽しんでくれたことも相まって、楽しかった気持ちが蘇ってきた。
やがて時間が過ぎて、咲が立ち上がる。
「先輩、帰りますか?」
と期待に満ちた目で尋ねてきたけれど。
「……ううん、やっぱり、もうちょっと見てることにする」
そう、答えたら、咲はほんの少し残念そうな表情だったけれど、
「じゃあ明日! 続き! 一緒に見て下さいね!!」
そう元気に言って、駆け抜けていった。
ひとり残った朱葉は、夕暮れの教室で、一枚一枚ページをめくりながら。ボリュームのある解説を読んで過ごした。
そして夕日が落ちて、がた、と扉から音がした。
そちらを見ると、中に入ってきた桐生が、そのままずるずると座り込んで、
「よ、よかった……」
とうなだれた。その姿がいよいよ哀れだったので、朱葉は肩から力を抜いて、
「何がですか」
と出来るだけ冷静を装った声で言った。そうやって、普通に話してみれば、ちゃんと言葉も声も出た。
「避けられたかと思いました」
「避けられるようなことするからじゃないですか?」
「はい」
座り込んだまま両手をあげて、ホールドアップ。
「俺が悪かったです」
「悪い男だからって開き直らないんだ?」
「直らない。悪い男イズ、全面的陳謝」
朱葉がため息をつく。
「あのね」
いろんなことを、思い悩んでいたはずなんだけれど。色々言いたいことが、まとまらなかったりしたはずなんだけど。
「謝るくらいならしないでください」
そう、クールにキメたはずだったのに。
「それはどうかな~……」
そういう寝ぼけた返事がかえってきたので。
「アカウントブロックしますよ」
「そんな時のためにサブが」
「え?」
「なんでもないです」
「今なんて?」
「何も言ってないです!!」
「よおし片っ端からブロックブロック」
「はい、ごめんなさい!! 反省しました!!」
一応そういう、言質はとったので。朱葉は何度目かのため息をついて。
「じゃあ、帰ります」
「もう?」
立ち上がった朱葉に、桐生が名残惜しそうにきくので。
「いろんなことが、週末進まなかったんで」
びしっと、指をさして。
「もーほんとに! あんまり悩ませないでください! わたしも、忙しいんで!! 次の週末は待ちに待った映画の公開もあるし!! コミケの当落だってあるの!! わたしは出ないけどアンソロが本格始動なんです!!」
ページ数減ったら先生のせいだからね!! と言ったら、これまでで一番誠実な声で、「はい! すみません!!」と言われた。結局こういう薬が一番効くのだから、どうしようもない。
そのまま隣をすり抜けて、部室を出ようと、思ったけれど。
「!」
パタン、と開けかけたドアが閉められて。
「ちょ……」
「一個だけ聞いていい?」
背後から、ドアをしめられて、尋ねられる。
「だめなのはわかったんだけど」
表情は見えなかったけれど、ずいぶん緊張した声で。
「…………いや、だった?」
そんなことを聞くから。
(~~~~~~)
ぐっと朱葉はこぶしに力をいれ、鞄をもちあげ、振り返ると。
「………………いや、じゃないから、だめ、です!!」
ばちん、と鞄で桐生の顔を叩くと、そのまま腕を振り払い、
「先生、さよーなら!!!」
大きな声で、そう言い捨ててずかずかと部室を出て行く。もうちょっと、あの人は反省した方がいいと思いながら。
結論は出た、つもりだった。
そういうのはだめだ。今はだめ。
でも、嫌では、なかった。
今はそう、それだけでいい。
多分、明日会うときには、ちゃんと話せているだろう、と朱葉は少し、安堵しながら、気持ちがはやるままに、小走りで帰っていった。
長かった~~。一応これでほんとに決着で。
コミカライズの方も、ご覧になっていただけて、とても嬉しいです!




