71 アフター居酒屋タイム
休日出勤をキメて、人の少ない会社のデスクで作業用BGMガンガンに鳴らしながら、むしろ平日よりも集中してプログラミングをこなし、可愛い恋人からは今日は裁縫の追い込みなので話しかけないでと宣言されているので、映画でも見て帰ろうかと思っていた、その矢先にスマホがメッセージを受信した。
「…………」
珍しい、と思いながら、会社を出ると駅前で適当な居酒屋に入り、店の名前と位置情報と、おおまかな座席を適当に送って、とりあえずビール。
つまみに頼んだ2,3品に箸をつけて、だし巻き卵が出された頃に、隣の椅子に、音を立てて座った人間の気配。
「おー、おつかれ──」
「すみません、ハイボール」
挨拶も遮られて、待ち人は到着と同時にオーダーを店員へ。
「珍しいな」
特に気分を害した様子もなく、クールビズのスーツを着たままの、秋尾誠が笑って言えば、到着したばかりの桐生和人は長いため息だけをついた。
いつもの、見慣れたオフの服装だ。ぶあつい眼鏡も、大きな鞄もそのままで、ただ、横顔だけが深刻だった。
お互い付き合いも長く気安い仲だから、食事くらいは呼び出すこともあれば呼び出されることもある。けれど、もっと大人数のオフ会でもなければ、酒は飲まないのが桐生の常だった。
飲めないわけではないが、家に帰れば読まなければならない本も見なければならないアニメも走らねばならないゲームもある。酔っ払うことによってそれらを邪魔されたくないらしい。
それどころか、秋尾やキングなどの気安い仲での食事では、常に端末をテーブルに出して操作しながら食べることも多かった。
それが、ロダンの考える人のごとくうつむいて、無言。スマホも出さなければなんの萌え話もせず、高速で運ばれた薄いハイボールを、スポーツドリンクみたいに一気飲みした。これを尋常じゃないと言わず、何を尋常じゃないと言うだろう。
秋尾は出がけの枝豆を口にいれて皮を投げながら、言ってみる。
「あげはちゃん、元気?」
いきなりむせた。わかりやすいな、と秋尾は思う。
「振られた?」
「振られてない」
ようやく日本語が返った。
「じゃあ、押し倒した」
「てない!!」
どん、とグラスを置いて。
「……ない、けど」
また、ため息。
こりゃ重症だと思いながら、メニューから腹にたまりそうなものを選ぶ。このままの速度で飲み進めたら、遠からず潰れるだろう。そうなったら本音の本音は聞けるだろうが、正直この年になったらもう恋人以外の介抱なんてまっぴらごめんだった。
「とっとと順を追って話せよ。めんどくさく酔っ払う前に」
そう促せば、いつもの勢いはどこへやら、緩慢な調子で口を開いた。
「……クラスで最近、早乙女くんにちょっかいかけてる男子がいて」
「お、もりあがって参りました」
「ないから。盛り上がってないから。……それがまた変にチャラくてろくでもない噂がたえないようなやつで」
「おとうさん許しませんよ」
「お前のような父を持った覚えはない! じゃなくて」
まあ、悪い奴ではないと思うんだけど、とまだ、教師らしく擁護する口調のまま、桐生が続ける。
「まぁ、そいつが、可哀想だっていってるのを、聞いちゃったんだよな」
「可哀想? 朱葉ちゃんが?」
「そう。早乙女くんが、誰ともお付き合いはしないって突っぱねたことに」
放課後の部室で。何がどうしたのか知らないけれど、二人がそんな話をしていたことを、扉の前で、桐生は聞いていた。
秋尾は心底呆れた顔で、チャーハンをとりわけながら言う。
「そりゃお前みたいなのにつかまっちゃったのは可哀想といわざるをえないけど、俺の記憶が確かなら、その取引は彼女から持ちかけられたもので、そもそも彼女は自分が可哀想なんて思うタマじゃねーでしょ」
「それも、そう」
桐生は心底、頷いて。
「ただ、俺は」
絞り出すように、言う。
「……俺が、教師じゃなかったら、もっと」
「それ、関係ある?」
迷いのない口調で、秋尾が言う。
「教師でも生徒でも、会えたものが幸運だし捕まえた奴だけが勝利だろ」
強い声と、言葉で。
「何の障害もなく出会ったって、手に入るかどうかは確定なんてしてないし、踏み込む範囲も、安全圏なんてないだろうよ」
その言葉に、徐々に桐生が稲穂のごとく頭を垂らした、おー、効いてる効いてる、と思いながら秋尾の酒が進む。
ごつん、と頭をテーブルにぶつけて、底辺から桐生が言う。
「大事にしたいんだ」
絞り出すみたいに、ちっとも酔いがまわらない声で。
「俺は、大切にしたい」
その言葉は、それなりに、秋尾の心にも響いた。
長く付き合いをしているけれど、桐生がこと女性関係について、こんなに切実な悩みを持ったことはなかった。いつもぼんやりと、女性から向けられる気持ちに応えたり、応えきれなかったり、人並みに悩みはしたけれど、その中でもやはり、桐生の心を女性以上に動かすのは、萌えであったり創作物であったりしていた。
そのことが、悪いと思ったことはなかった。ただ、こうして頭を抱える友人の姿を見るに、一番なんだなぁと思うだけだった。
多分それは、勘違いの信仰や、萌えや、彼自身のオタク活動とも直結をしているけれど。
早乙女朱葉が一番なのだ。
そしてそれは、桐生和人には、本当に珍しいことで。
今、彼の一番になった相手が。
まあ、いろんな障害こそあれ、真面目で誠実な少女でよかったと思った。もちろんオタクであることも、ハナマルだ。
今桐生に足を洗われても困る。そういうのは来世さえ期待してない。
「──なのに」
しみじみそういう気持ちにひたっていたら、桐生がかすかな声で呟く。
「……我慢できなかった」
「え」
待って待って、何があったわけ?
と野次馬根性で聞くと、桐生が話してくれたのは、今日の展示会の帰り道、朱葉が、『傷ついてもいい』と言ったこと。
ぎょっとしたように秋尾は身を引いて、思わず言う。
「え、なんでお前今ここにいるの? 俺だったら絶対そのまま朝まで帰さないけど?」
「貴様はそういう男だろうよ!! 知ってるわ!!」
桐生が怒鳴る。
秋尾も思い直しながら言う。
「いやいやわかるわかるよ彼女もまだ未成年ですしね。確かに相手がそんな若かったらどうだろうかな? ちょっとシミュレーションしてみますね。キングが女子高生だったら。絶対帰さない。合意とみなす。俺が最初にして最後の男。俺以外はシャットアウト。はい終わり」
秋尾はつまり、そういう男だった。
「……お前それで、相手に嫌がられたら、どうするわけだよ」
心に任せて、気持ちに任せて。踏み込んで、それで本当に傷つけてしまったら。
「拒絶されたら? 決まってるだろ」
秋尾は横目で桐生を見ながら、喉を鳴らして小さく笑うと、言った。
「赦されるまで跪いて詫び続ける。それ、お前も得意なはずだけど?」
伊達で信者してねーでしょ、お前も俺もね。
恋愛沙汰はとことん無神経だけれど。桐生の盲信は、ちょっとやそっとの拒絶では揺るがないはずだった。
秋尾の言葉に、
「……うん。まぁね」
そう呟く、桐生はようやく、落ち着きを取り戻したようだった。
どこか持ち直したところで。
「──ところでちなみに、そう言われて何やったわけ?」
酒の勢いと飲み屋の喧噪の力を借りて、にやつきながら秋尾が聞けば。
「────…………」
小声で囁かれた、その進展に。
「はああああああああああああああ?」
小学生かよ!!! と秋尾が叫ぶ。
それ以降も説教は続いたけれど、それらはまあ、大人の話で。
お互い女子には聞かせられない話を、安い酒に流した。
明日はいよいよコミカライズ第一話更新ですぞ!!
現在とは雲泥の差のスカした桐生先生をお楽しみ下さい。




