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腐男子先生!!!!!  作者: 瀧ことは
ところが先生が
68/138

68「やっぱ手ブレ補正は必須なわけで」

 90分とあった入場列の待ち時間は、スマホを握って熱くなっていればすぐだった。水も飲まずに立ちっぱなしでちょっとめまいがしたけれど、広い展示室に入ると、飾られていた大きな絵は、圧巻だった。

 元々日本で人気の芸術家だけれど、今回の展示会の盛況は、間違いなくその絵の巨大さにある。描かれた国を出ることもはじめてだというその絵画の数々は、何よりもまず、「なぜこれを持ってこようと思ったのか」と思わせた。

 人間が多すぎて、近づくことが出来ないかと思ったけれど、そういう種類のものではなかった。近づくんじゃない。何歩も下がらなければ、絵全体をとらえることが出来ない。

 美術館らしき静寂もなく、あたりをざわめきがつつんでいた。美術鑑賞に慣れていないような人も多いのだろう。そんな人のところまで、絵が、届いていることにあたたかなものを感じた。

「キラキラしてる……」

 まず飛び込んできた絵に、口をついて出たのはそんな言葉だった。口をあけて、間抜けな顔をしていたと思う。

「はい」

 と、隣の桐生から渡されたのは、双眼鏡だった。小型だけれど、結構しっかりしたやつ。

「え、これなに? ガチ?」

 言いながら構えてみると。

「うわめっちゃ見える」

 やばいやばいやばい、と朱葉が言う。筆跡が迫ってくる。見てはいけないところまで見てしまっているようで、ドキドキする。

「やっぱ手ブレ補正は必須なわけで」

 言いながら桐生も双眼鏡をのぞきこんでいる。……先生も? と朱葉が眉を寄せて尋ねる。

「……なんでふたつ持ってるんですか?」

「それは予備です」

 だからその鞄は四次元かよと。

 ツッコみたかったけれど、今回ばかりはその恩恵にあずかっておくことにする。

 そろそろとふたり、巨大な絵の前にすり足になりながら、進んでいく。「死に場所まで情緒がある」「幻想の方がくっきりしてる」「ここに百合を感じる」「美少年っょぃ」「妻もっょぃ」「はーまた燃えた」「景気よく燃えてる」「すぐカップルの家を燃やす腐女子みたい」「わかりみ」などとやくたいもない話をしながら。

 しかしじきに朱葉がつらくなってきた。

「うう……つら……」

 眉間をおさえて、噛みしめるように。

「うまくてつらくなる……」

 別に自分と比べるわけではないけれど。ただ、やっぱり、圧倒的な美術というのは、暴力なのだ。

「白がすごいなー……煙とか、金属の光、とかが……」

「がんばれ、がんばれ」

 隣の桐生からはいい加減な合いの手が入る。もちろん、それ以上のものは望んではいなかったし、その合いの手が入ることで、むしろ一周回って面白くなってきたことも事実だった。

 巨大な作品群をぬけ、馴染みの深いポスターなどの小品の展示に入る。スペースの関係か、こちらの方が混雑がひどく、空気も薄かった。

「いやーすごい、すごいしか出ない」

「作品ひとつひとつにオリジナル一万人usersのタグをつけていきたい」

 そんなことを言いながらも、朱葉達は人の波の隙間から、食い入るように作品を見詰めていく。

 一点の下絵の前で、思わず朱葉が声をあげた。

「はーー?? ちょっと、ちょっと見て!! アタリ!! アタリがある!!!」

「マジか」

 隣の桐生も思わず顔を近づけて見てきた。下絵とされた展示物の端に、朱葉も慣れ親しんだ、まるを描いて十字を描く、アタリとしか言いようがないアレ、が描かれていた。

「そうか……アタリ描くんだ……なんか……勇気出るな……」

 ほろり、と朱葉が目頭をおさえる仕草をしたら、そのまま少し、ぐにゃりと、認識がゆがんだ。

(あれ?)

 床が、やわらかくなった、という、感覚。傍目には、ぐるりと頭を揺らした、だけだったけれど。


「早乙女くん?」


 背後に立っていた桐生が、朱葉の両肩を掴んだ。しぱしぱと、朱葉は瞬きをする。


「あ、すみません……」


 謝る言葉が口をついて出たけれど、とたん、ガンと頭痛がして、顔をしかめる。

「いたた……」

 酔ったのかもしれない。夢中で見てたけれど、人が多すぎて、空気が薄かった。なめていたのかも。水分も、塩分タブレットも、食べておけばよかった、と今更な後悔が脳裏をよぎった。


「こっち」


 耳元で桐生の囁きが聞こえて、人の波から外される。

「大丈夫です……」

 根拠はなかったけれど、そんなにひどくはない、と言おうとして。

「もう出口だから。いいからおいで」

 そう遮られて、腕をつかまれて出口へ。

 天井の高い展示場外に出ると、ほっとした。

「医務室とか、いる?」

「いえ、いらないと思います。ずいぶん、楽になりました。でも、ちょっと外の空気吸いたいかも」

「じゃあこっち」

 エスカレーターは避けられ、エレベーターで下におりる。見られなかった物販を横目に、(図録だけでも欲しかったなぁ)と思ったけれど、我が儘はいえない。

 外のテーブル席に座ると、ほっと息をつく。

 桐生は必要以上に心配することはなく、てきぱきと鞄から必要なものだけ出してくる。

「はい、飲み物。タブレット。甘い物の方がよかったら、黒飴がある」

「ふだせんすごい、ドラえもんみたい」

 ぺったりと、冷たい金属製のテーブルに上半身をあずけて、朱葉が笑う。桐生も少し笑って。

「未来からきた?」

「そう、具体的には夏のお台場から……」

「冬の装備もぜひお見せしたいところですね」

 そんな軽口をたたき合って、陽の落ちかけた、夕暮れの風を感じる。頬杖をついて、朱葉を見下ろしながら、桐生がふと、言った。


「膝でも貸そうか」

「え?」


 視線だけ、上を向く。桐生の表情は、横顔でよくわからない。

「この間のお礼に」

 ぱっと、思い出したのは、昼休みの部室のこと。

「いらないです」

 反射で答える。ちょっとダウンしたけど、あのときの先生ほど、だめじゃ、ないし。

 朱葉の答えを予測していたのだろう、「残念」と桐生は言うと、小さく唇の端を曲げて笑うと、横目で朱葉を見下ろして、言った。


「すごくいい気持ちだから、そのうち体験してみるといい」


 その言葉に、なんだか少し、下がっていた血がのぼる、ような気がして。「…………」帽子をずらすと、つっぷしたままで顔を隠した。その時だった。


 コンコン、と音がした。


 近くの、ガラス。建物の壁を、叩くようにして。

(え?)

 誰かが立っている。こちらを見ている。知り合いだろうか? どっちの? ──大丈夫?

 そんな風なことを思いながら、相手の足下から、ゆっくり、見上げていったら。


『か ず く ん』


 そこに立っていた女性の赤い唇が、そんな風に動いた。

 マリカ? と小さく呟く、桐生の声がした。

まだ続く!

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