61「いいよ。一緒に逃げても」
「じゃあまず本日のーーーー幹事にして! 主役!! 俺が!! 踊ります!!!」
ゴールデンウィークの後半、カラオケボックスのパーティルームで開かれた、「クラス会」はクラス委員長である都築水生のそんな一声ではじまった。
「踊れる子は踊ってくれよな! 飛び入りも歓迎! あげは委員長もどおーー!?」
一曲目に都築が入れたのは、紅白でも歌われた流行りの曲で、盛り上がることが約束されたダンスナンバーだった。
「や、わたしはいいです」
と朱葉がクールに断る。
やかましい前奏の中で聞こえたかわからないけれど、通じはしたらしい。
「じゃあ先生は!?」
「主役に任せた」
同じくクールに応じたのは桐生だった。休日だというのに、いつもの仕事の服装からネクタイと白衣を省いただけだった。
(まあ、休日まで社会人コス力入れてやってられないよね)
まさか来るとは思わなかった。休みの日のクラス会なんて、時間外労働もいいところだろう。都築水生の超絶怒濤の攻めがあったに違いない、と朱葉は勝手に想像している。ちょっと妄想もした。大丈夫まだ出力はしていない。
ノリノリで歌って踊る都築を見ながら、桐生がしみじみと呟く。
「うちのクラス委員長は偉いな……」
「お祭りだけは得意な感じですね。や、でも、ホントに素直に偉いと思います」
朱葉も素直に頷いた。
幹事をやってくれるならクラス会をしてもいい、と朱葉が言ったのだけれど、本当にクラスの半数以上を集め、カラオケボックスの予約から会費の徴収、加えて盛り上げ役までここまでこなすとは思わなかったのだ。
人間力を感じた。リア充はすごい。一昔前なら夏にはバーベキューをし、冬にはスノボをするタイプだろう。
夏も冬もとりあえず薄い本狩りに行く朱葉と桐生には、あまりにまぶしく見えた。
「せーんせ! 何歌うー?」
フリードリンクをくんできた女子が、桐生を取り囲むようにキャアキャアとやってきたので、朱葉はそそくさと退散する。
夏美はどうしてもぬけられないイベントがあるそうで、終わってから駆けつけると言っていた。
踊り終わった都築が、本日のシステムを紹介している。
「はいこれリクエストボックスね~。名前と曲名と番号書いていれてチョーダイ。くじにして引いたやつから入力していきまーす! マイクひとりじめはダメよ。一本は真ん中においとくから、歌いたいやつは好きに歌うこと!」
そういうところはほんとマメだな、と朱葉が思いながら、近寄って言う。
「都築くん、それ、やるよ」
わざわざ用意したのだろう、くじのボックスをとって。
「本日の主役、盛り上げ役がんばって」
自分にはこういうことの方があっているだろう、と朱葉は思った。けれど。
「ありがとー!」
都築は満面の笑みでお礼を言いながら、そっと朱葉に耳打ちをする。
「最初のうちは盛り下がりそうな曲は、さりげなくとばして次のいれちゃっていいから。判別つかない時は箱に戻しておいて。あとで俺が見るし」
いきなりそんなことを耳打ちされてびっくりしてしまった。朱葉は気づかなかったけれど、部屋の端では、桐生も少し、面食らったような顔をした。
「わ、わかった……」
答えながら、ボックスを見下ろす。四つ折りにされたメモ用紙が、すでにいくつか入っていた。
(結構責任重大だな……)
そして都築は本当に幹事として優秀だ。朱葉は結構、かなり、見直してしまった。
「じゃんじゃん歌っていこー! 予約入ったら該当者は気をつけてくれな! 流れた時いなかったら俺が歌っちゃうよん」
盛り上げ役は都築に任せて、朱葉は粛々とリクエストアンケートを集めて行く。
──委員長、こっちー!
──早乙女さん、ペンまだある?
BGMは常に大きめなので、周囲に気を配っていなければ声をかけられるかどうかわからない。周囲を見回していると、女子が集まっている一角があった。常に前に出ているの都築のそばも女子は集まっていたが、ソファに座った桐生もためをはっている。両側から複数人の女子がのぞき込んで、きゃいきゃいと楽しそうだ。
忘れがちだけれど、桐生和人は確かに人気の教師だった。その甘いマスクと若さから、特に女生徒に。
普段は噂やからかいまじりに「いいよね」なんて褒めるくらいだけれど、自分の担任という近さにきて、その上カラオケボックスだなんてプライベートな、遊びの空間にいるのが新鮮でたまらないのだろう。友達に、なれたみたいに。なれるんじゃないかと思ってしまうくらいに。
──ねー先生歌ってよー。
──じゃあなんか歌って欲しいのないの? リクエストしてよ。
──昔の曲だってわかるってぇ。
桐生の返事は聞こえない。けれど、話は盛り上がっているようだった。どっと女子達が笑う気配。
──めっちゃアイドルソングじゃん! 先生好きなの?
どん、と朱葉がボックスを桐生の目前に置き、言う。
「もらおっか?」
よろしく、といれられたメモ用紙、ちらりと見えた、曲名は、確かにちょっと前の流行りの女子アイドルソングだった。
特に、これといって、何の、アニメ関連ソングでもない。
(引いてやんねーから)
と、心の中で思って。
(って……)
作業をしながら、桐生の方を見ないようにして、朱葉は思う。
(なんだかなぁ)
ため息をつき、立ち上がる。。
「……都築くん、わたし、飲み物、いれてくるわ」
都築の肩をつかんで、そう言って部屋を出たら、すっと中の喧噪が遠くなった気がして、楽になるような、さみしくなるような、不思議な気持ちになった。
出来る限り、廊下をゆっくり歩きながら、朱葉が思う。
(多分、わたしの方が先生に楽しい話が出来るし、新曲のことも話せるし、古い曲の話だって、たくさん出来る)
だから、なんだよ、とも思う。
なんでこんなこと思ってるんだろう。
桐生が人気だったのは、出会う前からそうで、出会う前も、出会ってからも、その人気ぶりを目の当たりにしたって別に、呆れることはあっても、こんなもやもやした気持ちになったことはなかった。
……こんな。
(先生と、生徒、で)
普通って、なんだっけな、と頭の片隅で思う。
いろんな部屋から漏れ聞こえてくる音楽が、頭の中でぐちゃぐちゃに混ざる。
コップを持ったまま、ドリンクバーの前で立ち尽くしていたら、突然、後ろから、抱きつかれた、と思った。
「きつい?」
いや、抱きしめられて、はいなかった。背後から、腕をまわされて、挟み込む形で、相手の腕は、ドリンクバーの台につかれている。
それで、横からのぞき込むように言ってきたのは、部屋に置いてきたはずの都築で。いつものように、ふやけたような笑顔だった。
「……何が?」
思わず、マジレスしてしまう。真顔で。腕をどかしてちょっとだけ距離をたもちながら。都築は朱葉の抵抗をすんなり受け入れて、でもあんまり離れることはなく言う。うるさいカラオケボックスの廊下でも、声が届くように、顔を近づけて。
「きついって顔してたから」
ふう、と朱葉はため息をついて言う。
「都築くん、部屋はいいの?」
「リクエストMAXまでいれてきたもーん」
そういう仕事だけは、やっぱりはやい。それでいて、朱葉がやんわりよけた会話も、ふんわり戻すのだ。
「逃げちゃおうか?」
軽い調子に、思わず笑ってしまう。困った顔をして。
「まずいでしょ、委員長」
適当なドリンクをいれて、戻ろうとした。その手元を都築はじっと見つめて。
「逃げていいよ、委員長。……って言おうと思ったけど」
のぞき込むみたいに、上目遣いで言う。
「ひとりで逃がすのは嫌だなぁと思ってるんだよね」
ぐい、と下から顔を近づけて。
「いいよ。一緒に逃げても」
その言葉に、朱葉はため息まじりに笑って。
「いないとダメでしょ。──」
本日の、主役じゃん、と言おうとした、その時だった。
ガツン、と二人の顔の間に、腕が伸びてきて。空のコップをドリンクサーバーに乱暴に突き出す、手と。
「はい、ちょっとごめんね」
低い声で、間に入って、落ちてくる、声。
「ははっ」
見上げる都築が、顔の左右を非対称に、ちょっとゆがめるみたいにして笑って、言った。
「先生たまに、怖い顔するよね。気づいてる?」
そこにいたのは、部屋にいたはずの、桐生和人、その人だった。




