6「ガチ前方席に男がいるだけでファンサGETだぜ」
無事にオンリーイベントを終えた週明けの、昼休みだった。
「夏美~、今日は購買行かなくて……って」
隣のクラスに、昼食の打診に来た朱葉は、友人である河野夏美を見て頬を引きつらせた。
「それどころじゃなさそうね……」
廊下側の座席に座った夏美は、机に座ったまま放心していた。
「つらい……負けた……もうこんな世界で生きていたくない……」
口から魂と呪詛が出ている。素材もよければ磨くことも怠らない美人(座右の銘は矜恃ある声豚)だというのに、その横顔は真っ白に燃え尽きていた。
「ええと……一般販売?」
今日、夏美が熱をあげている声優ライブの一般販売だと聞いていた。オフィシャル先行もプレイガイド先行も玉砕して、今日の一般販売が最後の望みのはずだった。
「そう……12時からで……スマホから張り込んでたけど……瞬殺で……」
「南無……」
朱葉はとりあえず両手を合わせて前の席に座る。朱葉は毎日弁当を持ってきている。
「えーんもう絶対だめだー行けない、絶対入れないよお……」
しくしくともの悲しく夏美が泣く。
「だいたいキャパ狭すぎなんだよ……しかもカケルの誕生日なのに……運営わかってる絶対わかっててぶつけてる今回のライブの模様は特典になって何かまた馬鹿高い円盤買わされるんだ……なんなのそれ……なんなのそんなの買います……買うけど現場に入りたかったよおおおおおお」
おめでとー、おめでとーっていうの……カケルに……みんなで……。
いよいよ夏美が幻覚を見始めている。
「譲渡とかもないんだっけ?」
チケットが完売してしまったイベントでも、行けなくなった人が譲りに出すこともある。当日まで、可能性はまだ0ではない、はず、だけれど。
「あるわけないじゃんんんあっても即取引成立だよお24時間掲示板にはりついてても確保出来るかわかんないし、もういくら積まされるかもわかんないもん!!! お金で片がつくなら払います! 払いますけど!? そんなオクで十万も二十万もプレミアつけられたら太刀打ちできるわけないしいい」
おいおいと泣く夏美に。
「──あの、さ……」
ものすごく複雑そうな顔で、朱葉が一枚の紙切れを出した。
「これ……」
顔をあげた夏美が、きょとん、とその紙切れを見る。
券面。日程。金額。
それからもう一度朱葉の顔を見て。
「正面だけど、二階席むっちゃ後方席で……双眼鏡ないと見えないと思うけど、よかったら……」
気まずそうに朱葉が言う、皆まで言い終わる前に。
「ッギャーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
とんでもない悲鳴をあげて夏美が立ち上がって叫んだ。
クラスメイトの視線が集まるが、女子高生は生きてるだけで悲鳴を上げる生き物だから、すぐにみんな興味をなくして視線を外していく。
夏美はその、完売必須のプレミアムチケットの、見間違えることもない現物をつかんで、それこそ目に一杯涙をためて、言った。
「あ、あ、あげはなんで??? なんで????? いくら積んだの??????」
「積んでないし……」
「じゃあどうしたの!? もしかして、あたしのこと愛しちゃったんじゃない!? ごめん、あたしにはカケがいるから!!!!!」
「愛してもねーし……」
いや、嫌いじゃないけどね、と疲れた笑いを浮かべながら、どうでもよさげに朱葉が言う。
「あの、あーあれよ。近所のね。おねーさんがね。余ってるっていうから」
「マジッ!!!! 神!!!!!!!!!!!!」
ガタン、と座ると、手を組んで夏美が祈った。
多分、神様ってやつに。
「えーん、いくら払えばいいの!? なんかお礼いるの!? グッズ代行とか!!!? あたし始発から並ぶけど!!?」
「や、おねーさんも……ええと、別のチケットとれてるらしくてそれ、友達の行けなくなった分らしいから……後方席だし定価でいいって……でも、そのかわり」
ため息をつきながら、朱葉が言う。
「一個、条件があるんだけど、聞いてくれる?」
「ちーっす」
「ちーっす」
いつものように生物準備室に入っていくと、いつものようにタブレットを眺めている桐生が返事をした。
「先生、やっぱりあのライブ、夏美とれてなかったから、むちゃくちゃ喜んでました」
あ、これ定価の代金です。と朱葉は封筒を置く。
花柄の封筒には、『神おねーさま、このご恩は一生忘れません☆』と書かれている。夏美は是非とも当日お礼をしたいと言ったのだけれど、朱葉は丁重にお断りをした。
桐生・神おねーさま・和人は頷きながら言う。
「うむ。苦しゅうない」
「でも、むちゃんこ激戦だったって夏美言ってましたけど……よかったんですか?」
朱葉の問いに、桐生は胸元から一枚チケットを取り出し、言う。
「先生一階席二列目センターだお☆」
「わーきたねー」
大人って汚い。チケット複数枚取りをして、良席抜きをしたに違いない。
朱葉が友達の声オタである夏美の話を桐生にしたところ、桐生の方からチケットを譲る話を持ちかけてきたのだ。
「それより早乙女くん、俺の条件は言ってくれた?」
「言いましたよ……」
プレミアムチケットを定価で譲る代わりに、彼が提示した条件はただひとつ。
『今後一切、ダフ屋と定額以上のオークションは使っちゃだめ』
その条件に、夏美は首をかしげながらも、神妙に頷いた。
神様の言葉はやっぱり偉大だ。桐生は頭の上で両腕でバッテンをつくって言う。
「転売、絶対殺すマン☆」
いつもとだいぶキャラが違う。さては良席が出て浮かれているんだな? と心の中で朱葉は思った。面倒だったのでそれにはふれず。
「あのー、あれ、先生もウチワとかつくるんですか」
デコ団扇は夏美の十八番だ。桐生もやるのだろうかと思って言えば。
「ウチワなどなくとも俺にはこの持って生まれたアドバンテージがある」
キリッとキメ顔で桐生が言う。
「ガチ前方席に男がいるだけでファンサGETだぜ」
ドブネズミみたいにどこまでも汚い教師だなと朱葉は思ったけれど、今日は夏美の神おねーさまな手前、黙っておいてやることにする。
「ああーでもカケル誕なんだよな~どうしよっかな~」
「好きにしろよ……」
「早乙女くんも興味あったら言ってくれていいんだからな!」
まだちょっと浮かれ気味な桐生をあしらうように、「わたしにも余りチケ工面してくれるんですか?」と聞き返せば。
「いや、相手が早乙女くんなら俺のチケットで入らせるよ」
と返事をされて、驚いてしまう。
「え、なんで?」
と思わず聞いたら。
「はまったら俺青×赤の赤総受けだからよろしくね☆」
なんてことはない。ただの布教だった。
お前はそういう奴だよ、と朱葉は思った。