58「君達が学ぶべきことは」
2話連続更新の2話目です。最新話を読みにきている方はお気をつけください。
「ずっと……ずっと、先生とゆっくり話したいって思ってたんです」
「奇遇だな。俺も早乙女くんと話したいと心底思ってたよ」
畳の上に並んで正座して、それこそ高座で寄席でもはじめるように、まっすぐ前、かたく閉じたふすまを見て二人は言う。
「…………最近の雑誌の展開やばくね?」
「わかる」
ぐっと桐生が拳を固める。
「すごいよね?」
「すごい。めちゃすごい。俺も最近疲れて爆睡してしまうのに日付かわって本誌をダウンロードして読んだ瞬間全然眠れなくなった」
「え、先生でも最近もずっとゲームのログイン時間が」
「ゲームのログイン時間のことはいいじゃないか!! イベントが悪いんだよ!!」
「まあそれはどうでもいいんですけど、本誌ですよ」
「そう本誌」
「まさかああくるとはちょっと思ってなかったですよね。だって彼って、基本的に誰にでも優しいって感じがあったじゃないですか、無愛想で孤立気味の子にだって、普通に優しい。それこそ優等生的に。そう思いますよね?」
「そう、そう思ってた。確かにちょっとまなざしに意味深なところがあるような気もしていたけれどさすがに俺の腐りきったフィルターだと思ってしまった。憎い。この百戦錬磨の腐ィルターが時に純粋なる妄想の種を駆逐してしまう」
「それな。それでこの展開ですよ。立った。立ったね。フラグが立った。どうしようもないくらい立った。結婚した」
「わかる。結婚した」
「つきましてはわがナンバーワン推しカプなんですが」
「はい」
「二人の結婚式を受けてのわがカップリングの動向について深く考察したい」
当て馬編と、サンドイッチ編と、それから同時多発BLについて語ろう、と朱葉が提案した、まさにその時だった。
カタカタと、ふすまが震え。
うっすらと、開いた隙間から、涙のにじんだ声で。
「あ…………あたしも………それ……したい…………」
という声がした。
朱葉は桐生と顔を見合わし、
「じゃあもうちょっと話してから本題に入ろう」
と手招きした。
結局、しびれを切らした九堂が茶菓子の盆を持ってきて、続きの間を開いて。
「……何してるんですか、あんたら」
と言うまで、三人はディープで真剣な論議を深めていたのだった。
「えーと気を取り直しまして」
枯れそうに喋った喉を桐生が背筋を正す仕草をした。
自室から出てきた咲は朱葉のそばで小さくなって座っている。九堂は呆れ果てていたが、咲の元気そうな様子には、少なからず安堵の横顔を見せた。
「久しぶり、静島くん」
「……お久し、ぶりです、師匠」
「違う」
「そうでした。先生」
(さっきまでめっちゃ師匠って呼んでたじゃん)
と朱葉が心の中でつっこんだけれど、話がややこしくなるだけなので言わなかった。
「……学校、こないの?」
これまで楽しく話していた、その延長線上で、ちょっと苦く笑いながら、朱葉が言えば。
「……すみません」
咲はうつむいて、声を震わせる。
「でも、咲が行っても、ご迷惑かけるだけだと思います。咲は、周りの見えないところがあるし、これまでも、全然、友達とか出来なかったし」
徐々に、声が強くなっていく。
「学校、行ってみたけど、やっぱり無理だと思います。おんなじオタクの人しか、友達になれないと思います。そういう人がいる、場所がなかったら。学校なんて行っても意味ないと思います」
「友達づくりに学校いくわけじゃねーだろうよ!」
思わず声を荒げたのは、九堂だった。ためていた思いを爆発させたのだろう。伝えたい気持ちを、上手く伝えられないのは、彼の不器用さでもあるのだろう。
「でも!」
咲もくってかかるように言った。咲にとって九堂は、そういう風に、言える相手なのだろう。
「勉強だったら、家でも出来るもん!!」
咲の言葉に、桐生が苛立ちと諦観のにじむため息をもらした。桐生はそれまで、朱葉の言葉を静かに聞いていたが。
「そうだね」
そっと、穏やかな声で、そう、頷いた。
「別に、学校は楽しいところだとは限らないし、行かなきゃいけないってこともないだろう」
その言葉に、咲は顔を上げる。
「俺だって、毎日SNSと深夜アニメを見てイベントと現場の往復だけで生きていきたいと思うことばっかりだ。それまで願わなくても、スタンディングライブが四時間を越える場合は傷病休暇をとりたい」
「…………」
「…………」
九堂がちょっと助けを求めるように朱葉を見た。
『すまんな』と朱葉は目だけで言った。
「──でも、行きたいところだけ行けばいいってのが、人生じゃないから」
静島くん、と桐生が言う。
「君達が学ぶべきことは、つまらない人生を、楽しく生きていく生き方だよ」
朱葉もゆっくりと、桐生の顔を見た。穏やかな、どこか優しげなその顔は、教室で見る横顔のようでもあるし、オフの時の顔のようでもある。
「どんなつらいことがあっても。どんなしんどいことがあっても。そうやすやすと死んでやることなんて出来ないだろ。好きなものがある限り。そういう幸福のヒントを……俺達は、君も、もう見つけているはずだよ」
はい、と小さな声で咲が答えた。小さな声だった。けれどそれは、納得していないからでも、響いてないからでもないようだった。
「──で、やっぱり神と同じ服を着て同じ空気を吸えることはめちゃくちゃ貴重だから一秒でも長く学校に来た方がいいと思うよ」
「はい師匠!!」
今度の返事はでかかった。
隣で聞いている朱葉(神)は結構気まずかった。いいけど。
九堂はどこか狐につままれたような顔をしていたが、もう、理解出来ないという顔は、していなかった。
「……あのね、咲ちゃん」
最後に朱葉が、咲に声をかける。
「確かに、学年も違うし、なかなかお話は出来ないかもしれない。でも、いつでも相談にのるし、そんなに……怖がることは、ないと思うよ」
朱葉は目を伏せて、少し、思い出す。昔のことだった。
「わたしもね、中学の頃からこんな風にオタクになっちゃってね、でもその頃ってあんまり、オタクってキモいって風潮の方が強かったし、馬鹿にされたこともあった。いじめじゃないけど、笑われたりね」
桐生も、咲も、朱葉の顔を見た。
「そのとき心が折れてたら、絵も、漫画も、やめてたと思う」
桐生は顔色をかえなかったけれど、咲は、一瞬で、泣きそうな顔をした。
「やめなかったのは、やっぱり好きだったからだよ。好きで、大事にしようと思ったから。好きなものと、好きな気持ちをね。だから、好きなものを、ネガティブな理由にしたくなかった。嫌われる理由にも、勉強が出来ない理由にもね」
まあ、上手くいかないことは、たくさんあるけれど。
今も、そうだ。好きな気持ちを、大事にしたい。
好きなものも。好きなひとも。
難しいけれど。正しいやり方が、わかるわけではないけれど。
「好きになったからには、この好きな気持ちで、いっぱい幸せになりたいじゃん」
だから、がんばってみようよ、と朱葉は言った。やり方はいろいろある。誰にも言わない方がいいこともあるし、言ってしまったっていいこともある。
自分達には、くよくよしている暇は、多分ないのだ。
咲は、ぽろぽろと涙を流しながら、それでも、必死になって、頷いた。朱葉は、励ますみたいに咲に笑みかけると、言う。
「学校きたら、毎週、雑誌の話、一緒にしようね」
「え、俺もまざりたいんですけど」
すかさず桐生が言うので、無言で顔を見合わせた。もうちょっと黙ってよっか? という気持ちで。
さっきはちょっと、うかつにも。尊敬してしまったのに。
腐男子先生は、いつでもやっぱり、腐男子先生なのだった。
そして、自宅訪問の最後は、「また学校で」と約束をして。
桐生と朱葉は、咲の家をあとにしたのだった。




