57「北風にする? 太陽にする?」
「ナビではこの辺りだと出てるんだけど……」
車でもずいぶん時間をかけて走って、ナビを見ながら桐生が呟く。
「でもずっと、塀ですよ……? 民家なくないですか?」
朱葉が不思議そうに言うと、角を曲がったところで人影が見えた。
「あ! 九堂さん!」
ずっと待っていたのだろうか。門らしき場所の前に、黒いスーツの見知った影があり、朱葉が車内から手を振る。
咲の父親の秘書だという九堂は今日もどこか疲れた顔で、深々と頭を下げると、手慣れた様子で桐生の車を門の中に誘導する。
「このまま入るのか?」
「ね、ねぇ先生、これ……」
この、長々と続いた塀、もしかして、全部咲ちゃんの家なのでは……?
呆然と朱葉が言えば、桐生も唖然としているようで、返事はなかった。
「こちらに停めておいていただければ。キーをお預かりしても?」
入ってすぐに車を停め、ウィンドウの外から九堂が言う。
「はぁ……」
車から降りると、九堂が再度頭を下げた。
「……先日に続き、ご迷惑おかけし、まことに申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ、急に……」
朱葉も隣でぺこりと頭を下げた。
どうぞ、中にと招かれたのは、身もすくんでしまうような大仰な日本家屋で、庭に面した渡り廊下を歩きながら、思わず朱葉が呟いてしまう。
「えっ何ここまさか……本丸?」
「写真撮ったらそのまま背景に使えそう」
桐生も同意をしたのか現実的な言葉を返してくる。耳に入った九堂だけがきょとんとして、
「本丸とは?」
と聞くが、
「いえ、こっちの話です」
説明もめんどくさいので、真顔で朱葉は流した。九堂も深追いをする気はないようで、長い廊下を歩きながらため息交じりに現状を説明した。
「先生……静島先生は、平日は宿舎の方に帰られています。奥様もおつきあいが御座いますので、夜にならなければ戻ることはありません。家のことは手伝いの者が数人通っておりますが、お嬢がお休みの日は、俺がお目付として置かれることになっています」
「えっと……お目付っていうのは……」
何か見張らねばならないことがあるのだろうかと、おそるおそる朱葉が尋ねる。たとえば、ひとりにしておくと危ないとか……。
けれど九堂にはそんな深刻さはなく。
「まあ、ていのいいパシリでしょうね」
うんざりとしながら言った。
「旦那さまも奥さまも、一人娘のお嬢に強く出られません。学校だって、無理に行くことはないとかおっしゃる。これ以上馬鹿なことを言ったら叱って、融通がきくことならきいてやる、そういう雑用ですよ」
俺はまあ、高い給料がもらえるなら、なんだっていいんですけどね、とどこか露悪的な笑い方をした。
本当にそう思っているなら、そんなことは言わないだろうなと、朱葉も桐生も、口には出さないまでも思う。
「──本当なら、首ねっこひっ捕まえてでも、学校ぶちこむべきだって、俺は、思うんですけどね」
結局俺も、甘いんでしょう、と苦い言葉をもらす。
そこでぴたりと廊下の真ん中で止まったので、朱葉も桐生も一緒になって足をとめた。
「あのー……早乙女さん」
「はい」
「聞きたくないんですが。ここまで呼びつけておいて聞きたくないってのが業腹だとも思うんすが。……お嬢はまた、どうしてあんなにすねてるのか、わかりますかね?」
朱葉は桐生と目をあわせ、言葉を選びながら口を開く。
「そんなに……ええと……すねてるんですか?」
「はぁ……。入学式から帰ってきて、さぞかし楽しかったのだろうと思えば、明日からまた行かないと言い出しまして。なんでも、やっていく自信がない、どうすればいいかわからない、自分の思い込みが恥ずかしい、きっとまた迷惑だと思われた、と……この先の、部屋にこもってしまわれまして」
聞いてて朱葉は軽い頭痛を覚えて頭をおさえる。
「あー、言ってもいいですけど……」
心当たりは、ある。あるから来たのだ。けれど。
「九堂さん、怒ると思いますよ」
「そんな。ここまで来て頂いて、先生方に怒るような馬鹿じゃあないですよ」
そうじゃないんだけどな~と思ったが、部屋に行く前に話しておいた方がいいだろう、と朱葉も判断した。
「咲ちゃん、がっかりしちゃったんです。それを楽しみにうちの学校にきたのに。……漫研が、なかったから」
「は?」
「部活です。漫画研究部。そこでわたしと活動が出来るって楽しみにしてたみたいなんですけど。……うち、そもそも漫研ない学校で」
朱葉の言葉に、九堂のつり上がった目が見開かれる。
「……そんな……」
呆然と言い、それから。
「ああああああああのクソガキああああああああ」
目に見えて憤怒が顔に表れたので、思わず桐生が走りださんばかりの九堂を押さえる。
「九堂さん!! 九堂さん!!!! 怒らないって言ったでしょ!!」
「言ったが!! よほど心折れることがあったかと思っていたわってやりゃああのクソアマはいつもそうだ! 何がこの世の終わりだ! やっていく自信がないだ! たかが! たかが!!」
「たかがですけど!!!!」
朱葉がぴしゃりと言う。
「咲ちゃんには、大事なことだったんです」
そう言われて、九堂は、以前に朱葉と桐生に叱られた時のような、なんともいえない、ばつのわるい顔をした。けれど、やっぱりおさまりきらなかったようで。
「いや……でも、馬鹿は、馬鹿でしょう」
そう、言葉をもらしたので。
「──ええ」
黙っていた桐生が同意して、頷いた。朱葉が驚き桐生を見上げる。
桐生は目を細めて。
「九堂さんをはじめ、ご家族にそれほど心配させて、気づいてないなら、やっぱり馬鹿だと、俺も、思いますよ」
腕をほどきながら、静かな声で言う。
「でも、気づいていたら、本人は、馬鹿なだけにつらいかもしれないですよね」
その言葉には、九堂は何も……何も言うことが出来なかった。
その後桐生と朱葉が連れられたのは、奥の和室の続きの部屋で、ふすまの前に両膝をつき、九堂が言う。
「お嬢、お嬢、桐生先生と、早乙女さんがいらっしゃいました」
ガタガタ、と中から音。けれど、戸は開くことはなく。
「帰ってもらって……」
泣きそうな、小さな声だけが返る。
「あわせる顔が、ありません……」
「お嬢!」
九堂が声を荒げるのを、朱葉と桐生は肩を叩いてやめさせる。
「でも」
「いいです。声は聞こえるんですね。九堂さん……ちょっと、席、外していただけますか?」
そう言ったのは朱葉だった。
「そんな、でも、こんな失礼な態度で……」
抵抗しようとする九堂に、桐生も言う。
「もちろん、可能ならば顔をあわせて会話をしたいと思っています。コミュニケーションの基本ですから。自分達に考えがあるので、どうかここは」
退席を、と言われ、九堂には拒否が出来る理由があるでもなく、そっと立ち上がって部屋をあとにした。
「……さて」
「天岩戸かな」
ふすまを前に、朱葉と桐生が改めて言う。
「出てくる、と思います?」
「まあ……」
早乙女くんと同じ考えですよ、と桐生が言う。
それから、ろくに打ち合わせることもなく唐突に朱葉に尋ねる。
「北風にする? 太陽にする?」
朱葉も言葉の真意を確かめることもせずに、
「そんなの、北風にしたらまた泣いちゃうでしょ」
と言う。
「ですよね」
じゃ、いっちょやりますか、と桐生と朱葉が畳に座した。
日付変更線のち、続けて次話更新いたします。
 




