56「俺を抱いていいのは西の名探偵だけ」
なにをどう言おうか迷ったけれど、どうとりつくろうことも出来なくて、現実そのまま、を朱葉が告げた。
「な、ないよ?」
え? と咲の大きい瞳が朱葉を見上げる。
「だから……漫研ね、うちの学校に、ないから……」
「えっ」
心の底からわからない、という顔をして、咲が言う。
「じゃあ……咲はどうやって毎日先輩とお会いすればいいんですか?」
「……毎日……会わなくてもいいんじゃない……?」
思わず神妙に告げてしまった。
「えっ!」
「えっ」
顔を見合わせ、しばしの沈黙ののち。ばっと立ち上がって叫ぶ。
「先輩は、やっぱり咲のことがお嫌いなんですね!!!!!!」
「だから待って!!!!!」
その! 思い込みの強すぎるところをなんとかしろ!!!! と朱葉が心底思いながら肩をつかんで揺さぶる。
「いつ遊びにきてもいいから! わたしも用があったら一年生の教室行くから!!」
「でも……でも……」
「SNSもあるし! 連絡先も交換しよ! 遊びにだっていけるし……ほら、予鈴もなったから、帰ろう、ね?」
そんな風になだめて、朱葉は屋上から降りていく。
けれど、その間中咲はうつむいたまま、黙りこくっていた。
とりあえず咲のことについては、「大丈夫そうです、多分」と桐生にメッセージを送っておいたが、それからは新学期の色々にかまけて、数日。
(……どうしたんだろうな)
一年生の教室を訪れた朱葉が、考え込むように廊下を歩いていた。
『静島さんなら、お休みしてますよ。ずっとです』
尋ねた一年生はそんな風に答えた。SNSにも現れないし、オンラインで連絡しても返信がない。ただ休んでいるだけならともかく、いい加減心配になってきた。
「先生、ちょっといいですか」
職員室まで行って、桐生に相談する。個人的なことだけれど、生徒の出席のことだ。先生に相談することは、全然不思議ではない、という判断だった。
「うーん……」
桐生も難しい顔をして、「ちょっとここで待ってなさい」と言って、一年生の方のデスクに。
担任なのだろう、女性教師は難しい顔でなにごとか話す。それから学校の電話を取ると、どこかにかける仕草をして。
ぼんやりその様子を眺めていたら、桐生に手招きをされた。呼ばれるまま、職員室の合間を縫ってそちらに行く。
「あなたが、早乙女さん?」
電話を切った女性教師が朱葉を見て言う。
「静島さんと仲がいいの?」
「ええっと……はい。もともと、入学前から知っていて……」
そう、とため息をつく。
「うちの静島さん、どうやらちょっと……難しい子みたいなのよ。中学校も出席日数危なかったみたいで……。入学試験の方は問題なかったんだけど、ちょっと、学校に出てこられないみたいで……。今おうちの方に連絡して、早乙女さんが心配しているって伝えたら、よければ見舞いに来てくれないかって言われちゃったの」
「わたしに、ですか? 咲ちゃんが?」
「いいえ、おうちの方よ。連絡くれるのはいつも男性なんだけれど……お父さんかしら」
女性教師の言葉に朱葉が桐生と顔を見合わせる。
心当たりは、ないでもなかった。
「おうちに行ったことがある? ずいぶん遠いんだけど……」
「いえ、家には……」
「送りましょうか」
そう、言ったのは桐生だった。
「桐生先生が? 申し訳ないわ」
「でも、俺は車ですし……。電車で行くよりも行き帰りが楽でしょう。二人を送っていってもいいのですが、多分、静島くんは、担任には会いたくないのでは?」
「そう……そうかもしれないわね。今はあんまり強く刺激しない方がいいのかも」
諦めがちに女性教師はため息をつく。新学期早々の登校拒否騒ぎは、彼女にもずいぶんこたえているらしかった。
「様子を聞いて、私が行った方がいいのなら伺います。ともかく、頼めますか? 早乙女さん、桐生先生」
はい、わかりました、と朱葉は、神妙に頷いた。
これから予定は? と桐生に聞かれて、いえ、特には、と朱葉が答える。「じゃあ、鞄を持ってきなさい。車で待ってるから」と言われ、朱葉はなんだか据わりの悪い気持ちで、鞄をとりに教室に帰った。
都築が脳天気にクラスメイトとカードゲームをしている。
「都築くん、今日の日誌都築くんだよね。明日の朝出すから。わたしの机の上置いておいて」
「え~朱葉ちゃん急いでどこにいくの~」
「ちょっと、野暮用」
「なになに、デート?」
う、と朱葉が言葉に詰まる。全然違うし、これっぽっちもそうではないけど。
わくわくとした目で見つめられて、ちょっとだけ笑って言った。
「聞いたら都築くん妬くから教えない」
え~なんだよそれ~という声を背中に、朱葉が階段を駆け下りていく。
車に乗り込もうとして、後部座席か助手席か、ちょっと迷って立ち止まる。助手席のドアが軽く開いたので、そっちにすべりこんだ。
「なんだか結局面倒なことになりましたね」
「まあ、ね。けど出来るだけ生徒に学校に来てもらうのは先生の願いですから」
車を発進させながら、まだ教師の口調がぬけきらない様子で、桐生は言う。朱葉も神妙にしていたけれど、「来る時、都築くんにデートかってきかれましたよ」と言ったら、ミラーごしに桐生がちらりと朱葉を見るのが見えた。
「デートではないでしょう」
「デートではないですけど」
小首をかしげて朱葉が言う。
「先生の車に乗るの、都築くん聞いたら妬くかもって思いました」
「早乙女くん! 指導! そういうの! 教育的指導!」
「え~なんでですか~妄想は自由ですよ~」
「妄想は自由だけど早乙女くんは妄想を出力する魔法を持ってるからだめ! 俺はその魔法に弱いので絶対だめ!」
「聞きたかったんですけど何がだめです? ナマモノがだめ? 相手がだめ? それとも受けにされるのがだめ? 俺はママにならない?」
学校の敷地内を抜けた朱葉はここぞとばかりに尋ねる。
「あえていうなら相手がだめ。俺の倫理観では、生徒で妄想はNGです。あとママにもならない」
「受けはいいんだ?」
言いたいことはわかったが、興味本位が先にたち、深追いしてしまう。
「別にいいけど今俺を抱いていいのは西の名探偵だけだから」
待って? と朱葉が言う。
「映画みたね? さては初日に行ったよね? 忙しくてネットにも上がれないんじゃなかったの?」
「それはそれ! これはこれ! エンタメは初週が命! ネタバレ踏まないただひとつにして最大の防御! 最速で見る! 読む! 買う!」
段々調子が出てきて、朱葉はちょっとほっとした。
話さないと、やっぱり遠ざかってしまうのだ。遠ざかってしまうけど、話せばすぐに近づける感じが心地よかった。
「まぁ、忙しいけど元気そうでよかったです」
「早乙女くんもはやくみにいって。はやく、はやくメスになろう」
「先生はお忘れかもしれませんがわたし、生まれた時からメスです」
そんな話をつらつらとして。
「大丈夫かね、静島くんは」
桐生の言葉に、「うーん……」と朱葉がうなる。
咲の家までは車でも一時間くらいかかるらしい。無理を言って入試をうけただけあるのだろう。
「……心当たりがあるとしたら、やっぱりあれかな……」
朱葉が、咲の漫研に入りたかった話をすると。
「あいつほんっと強欲だな」
と桐生は、同じ朱葉推しの感想を言ってから。
「ないものは仕方ないだろう、ないものは」
と呆れたように言う。
「そうなんですけどね……」
奥歯にものがはさまったように、朱葉が歯切れの悪い返事をする。
「……こんな風に時間とらせておいて、なんだけど」
桐生が、前を向きながら、やわらかな口調で言う。
「無理そうでも、早乙女くんが責任を感じなくてもいいから。俺達は、教師だから、全部仕事のうちだけど。早乙女くんの、仕事ではないよ」
優しく、いたわりのある言葉だった。
「うーん……」
と朱葉はけれど、やはり煮え切らない返事。
先生は、仕事だから。
それは、そうだけど。
責任はないけれど。でも。
やっぱり、気にはなっちゃうよなと、朱葉は車中で思った。




