53「試してみる?」
一晩考えたけれど、都築のことについて、結局桐生には連絡をしなかった。忙しいせいだろう、SNSにあがってくる様子もなかったし、朱葉にしても、なんと言えばいいのかわからなかった。
(怪しまれてる、かもしれないから)
あんまり会わない方がいいと思う。
そういう結論しか、結局出ないし、それが一番だと思う。別に、だからといって関係が切れてしまうとは思ってはいない。先生と、生徒であることは変わらないし。朱葉が腐女子であることも、桐生が腐男子であることも変わらないだろう。
このまま、何も変わらないでいる、ためにも、距離を置くべきなんだろう。
わかっているけど、言い出せない。
(不自由だな)
先生じゃなきゃよかった。生徒じゃなきゃよかった。
でもどれも、思っても仕方がないことだし、時間は過ぎるしオタクは忙しいし、また学校に行かなければならない。
学校についてみれば友達がいて、慣れないクラス委員の仕事もあったりする。目が合わないように同じクラスの都築水生を伺えば、朝が苦手なのだろう、机に突っ伏すようにだらしなく寝ていて、だというのに周りからは人が絶えることがない。同じように派手な感じの女子達が、ボンボンのついたゴム紐で都築の髪を結んでいた。
「ほら、お前ら座れよ~」
桐生が現れても起きる様子がなかったのに、「来週のホームルームで委員会決めの続きをするから」と桐生が言った、その時だった。
「ハアイ。せんせー」
ふわっとした調子で、都築が手を上げて身体を持ち上げた。
それからほがらかに笑って。
「俺、委員長、やってもいーよ」
気の抜けた声で、そんなことを言った。面食らったのは朱葉だけではなく、他のクラスメイトも、桐生も同じで。「ミオ、マジで?」「なんで?」「冗談でしょー」「委員長ってキャラかよ~」と野次が飛ぶ。
「ほんと、ほんと。せんせ、だめ?」
可愛い調子で桐生に聞けば、桐生は「別に駄目じゃないが……」と軽い困惑をにじませながら言ったので。
「ハイ決まり。みお委員長ってみんな呼んで~」
そう勝手にまとめてしまう。
最後に、背もたれにひっくり返るようにして後ろの席の朱葉を見て。
「よろしくね。朱葉ちゃん」
器用にウィンクをするから、朱葉はそれこそ、戸惑うばかりで何も言えなかった。
「ねー朱葉、都築なんかとどうしちゃったの?」
休み時間になって、真っ先に聞いてきたのはクラスメイトの夏美だった。
「どうもしてないよ……」
ぐったりした調子で朱葉が言う。
「わけわかんない。昨日からちょっと絡まれてるっぽいんだけど……。夏美は同じクラスになったことあったっけ……」
「ないけど。噂はきくよ」
「どんな?」
問われた夏美が真顔で答える。
「手をつなぐだけで孕むチャラさ」
朱葉の顔がひきつる。
「それは……すごいな?」
「とにかくすごいらしいよ~女遊び」
「そのわりに、友達、多そうだよね」
今も、他のクラスから呼び出されて購買に行ってしまっていた。男も女も、友達が多そうだった。
「なんかね~恋愛相談室らしいの。ジンクスがあるんだよね。都築に相談すると、告白が上手くいくって」
夏美の言葉を聞きながら、昨日の都築の言葉を思い出す。
(「惚れたとはれたの話題がスッキ」)
多分、嘘ではないんだろう。悪びれてもいないし、悪い人でもないんだろう。けれど、恋愛の話が好きで、友達が多かったら、きっと話題はそれなのだろう。
「やだなぁ……」
知らないところで、自分の噂をされているとしたら、それは嫌だなと、朱葉は思った。
放課後、日誌をつけていたら、ガタンと音がして、前の席に都築が座った。
「それ、委員長業務でしょ」
両肘をついて、朱葉に笑いかける。
朱葉は出来るだけフラットな声で、言う。
「やってくれる?」
「んー」
「じゃあ、奇数日は都築くんね。偶数日はわたしで」
「えー」
「なんなの?」
嫌なの? とちょっと冷たく聞いたら、ことん、と首をかしげて。
「教えて? こういうの、書くの下手」
甘えた調子で、言う。
「……教えたら、やってよ」
けれど教える間も、いろんな友人が都築に声をかけていく。一緒に帰ろうよ、と言ってくるのは、同級生だけでなく後輩もいた。
「俺委員長さんだから~」
そのひとりひとりにそんな調子で断って、朱葉の話を聞くけれど、聞くだけで、本当に覚える気があるのかどうかは謎だった。
「……なんで?」
「ん?」
耐えきれず、朱葉が聞いてしまう。
「なんで、委員長、しようと思ったの」
都築はふわりと笑いながら言う。
「朱葉ちゃんが面白そうで」
はぁ、と朱葉はため息をつく。
ひとり、またひとりと、教室から生徒が減っていく。
「……あのさ」
密度が低くなった教室で、朱葉が押し殺した声で言う。
「変な噂、流さないでね」
都築はその言葉に、初めて驚いたような顔をした。目を、丸くして。
「流さないよ。頼まれない限り、そういうのいやじゃん。噂で好きな人の耳に入るとか」
「いや、だから……」
別に、好きじゃないんだけど、と言うのは、言えば言うほどやぶ蛇のような気がして、言葉を濁す。
「だから、俺は、本人くらいにしか言わないよ」
顔を近づけ、目をあわせるようにして都築が言う。
「安心して」
全然安心出来ない、と朱葉は思う。心がざわざわする。都築を疑っているわけではないけれど、言葉をそのまま、信じることも出来ない。
逃げるように、朱葉が立ち上がる。
「出してくるから」
「一緒にいくよ」
ぺたぺたと、つぶれた内履きでついてくる気配。
朱葉が黙って職員室に行く間も、都築は一人で朱葉に語りかける。
「俺ねー、特技があんの」
朱葉は答えない。
「一緒に過ごしてたら、誰が誰のこと好きか、なんとなーくわかるんだよね」
ぺたんぺたんと足音が鳴る。
「だから、朱葉ちゃんも、そうかなーって思ったんだけど。違うっていうから。一緒にいて、確かめさせてもらおうかなって」
「なんで?」
いい加減、苛立ちが、口をついて出た。朱葉の問いかけに、都築が吹き出す。
「そればっかだね」
人通りの少ない、階段のそばで。距離を詰めて。
「俺のこと、そんな興味ある?」
そんな馬鹿げた聞き方をされた。身体をよじって避けようとした瞬間、手が、触れる。思わず振り払うと、都築が首をかしげて言った。
「手つないじゃだめなの?」
「普通つながないよ!」
「俺つなぐの好きなんだよ~」
話が通じない。そのまま振り払って逃げようとしたけれど「ねぇねぇ」とついてくる。
「なんでいやがるの?」
頭にちがのぼったまま、朱葉が言い捨てる。
「手をつなぐと孕むって聞いた」
「あはは」
明るく都築が笑う。そのまま壁際に追い詰めて。
「試してみる?」
と手を伸ばしてきた。その時だった。
「女子くどくのは委員長の仕事じゃないはずだけど」
都築の背後、現れたのは、いつものように白衣を着た桐生で。そのまま都築の手をつかんで、後ろ手にひねり上げる。
「った。いたいいたいきりゅせん!!」
「そんなに聞かせたい話があるなら生徒指導室で面談しようか?」
「冗談だよー離して! 離して!!」
手を離されると逃げるように距離をとりながら、
「あれ?」
都築が、目を細める。
「あ、そう」
桐生の方を見て、何かを、勝手に定めたようにして。
「なんだ。おもしろ。またね、二人とも」
そんなことを言って、ぱっと走って行ってしまった。「おい!!」と桐生が呼ぶけれど、「先生」とその背中に朱葉が呼びかける。
ひとけのない、廊下で。
桐生の深いため息の音がして。「向こうから、見えて」朱葉の方を見ずに、桐生が言う。
「──カッとなった」
言った、あとに。うなだれて。
「……ちょっと、反省してる……」
「いや」
朱葉も、頬をかきながら、小さな声で言う。
「ちょっと、怖かった、ので」
感じていた、気持ちが素直に出てきた。それから、今の、気持ちも。
「嬉しかった、です」
その声は、聞こえたかどうかわからなかったけれど。二人、何かをなだめるように、おさえこむように、楽にするように、ため息をついて。
「なんなんだ、あいつは……」
前髪をかきあげながら、桐生が言って。少し考えたあとに、朱葉に尋ねた。
「これから、準備室、行くけど」
「あー、今日は……やめときます」
なんとなく、そう答えたら。桐生もそれ以上は追求せず、ただため息をついて、言った。
「あんな馬鹿なことしてるなら、委員長まかすのも、考えものだな……」
その頃には朱葉の心もだいぶ落ち着いていたので、声を潜めて桐生に言う。
「チャラくてすごいらしいですよ。都築くんて」
「すごいって?」
「なんでも、手をつなぐと孕むとか」
「へぇ。……ええ?」
そんな話をして、「とりあえず、先生、これ」と日誌を渡して、じっと桐生の手を見てしまう。そんな朱葉を見下ろして。
「今、何、考えてる?」
そう聞くから。
「先生が都築くんの子孕んだらどんなかなってちょっと思ってる……」
「やめて?」
俺にも選択権があるのよ、と桐生が情けなく言った。
もうちょっと色々ある新学期編だよ。
ジャンル現代恋愛……(感無量




