46「わたしはだから、先生も十分怖いんですけど」
「──そういえばどうして今日は休みの日なのにそっちの格好なの?」
相手を待つという間も、せわしなく端末をいじっている桐生を見ながら、朱葉が言った。休みの日なのだから、オタク的なイベントをこなしているはずだというのに、今日の桐生は白衣こそ着ていないものの、きっちり社会人コスプレをキメていた。朱葉の問いに端末から顔を上げずに桐生は答える。
「今日は夜は送別会。教員の異動も発表になったし、今年は早期退職の先生もいるから」
「あ、そうか」
そういえばそんな時期だった。朱葉もつい先日終業式を終えたばかりで、次に学校に行けば三年生だ。なんだか全然実感がわかなかった。
「先生異動にならなくてよかったよね」
あまり深くは考えずに、言葉がこぼれた。
沈黙が居心地悪かっただけかもしれない。狭い車内で、助手席だから。
「それはまぁ、そうなんだが……」
珍しく、歯切れの悪い返事。
「?」
朱葉が隣を見ると、桐生はハンドルに肘をつくようにして、朱葉を眺めて目を細めていた。
「……?」
なにか? と聞こうとしたが、車が駐車場に入庫してくる音がして、桐生がぱっと、車を操作した。
「来たぞ」
勝手に車から出ないように、と言われて、朱葉も緊張をする。
近づいてきた車の、後部座席から慌ただしく人が降りてきた。
(あの人、だ)
朱葉は助手席に座ったままその様子を眺める。確かに、イベントで声をかけてきた人だった。あのときも目つきの悪い、疲れた顔をしていると思ったけれど、改めて現れた男性は、それこそ本当にげっそりと疲れ果てた顔をしていた。
「……このたびは、まことに申し訳ありませんでした」
助手席に座った朱葉の顔を見て、桐生の前に立ち、深々と頭を下げた。おざなりな頭の下げ方ではなかったことを、朱葉も意外に思った。
「お名前をお聞きしても?」
「九堂……九堂亘と申します」
その音の響きを聞いて、一瞬朱葉も桐生も同じひらがな四文字を頭に思い浮かべた。
((せやかて))
もちろん今はそのことは関係がない。一切だ。
桐生は落ち着いた視線で九堂の姿を上から下まで見て、言う。
「名刺はいただけますか」
「…………」
「では免許証。それとも警察署までお送りしましょうか? そちらでお話を聞く形でも俺は構いませんよ」
追求の手をゆるめないので、九堂は諦めたように胸元から革の名刺ケースを取り出した。
「こちらを」
渡し方が手慣れていたので、よく名刺を渡す仕事なのだろうか、と思う。受け取った桐生は、首をかしげながらその名刺を見て、それから振り返って朱葉に渡した。
そこには確かに相手の名前とともに、見覚えのない名前と、
(代議士……秘書?)
代議士の名前は静島昴、とある。やはり見覚えのない文字だった。
朱葉は桐生を見上げ、首を振る。知らないし、心当たりもない。
「なぜ、代議士秘書の方が、うちの学校の生徒につきまといのようなことを?」
担当直入に桐生が聞けば、「そのつもりはありませんでした」と苦々しさを声ににじませて九堂が言う。
桐生は眉を動かすこともせず、意図的に突き放すような声で言う。
「じゃあ、どういうつもりだったかお教え下さいませんか。偶然声をかけた、というわけではないのでしょう。SNSで本名や高校名を送ったのは何故? それだけでなく、イベントでも脅迫めいた文章を置いていき、あまつさえ話をしてくれと詰め寄った」
神妙に桐生の言葉を聞いていた九堂だったが、ある点を境に、その表情が一変した。
「──は?」
と、バン!! と音を立てて車のドアが開いた。
朱葉ではない。九堂の後ろの、タクシー、その後部座席から、飛び出してきたのは長い黒髪の少女だった。小柄な少女は、そのまま九堂に飛びかかった。
「ちょっと待って!! 詰め寄ったってどういうことなの!? あたしの知らないところで、九堂、なにさらしてるのよ!!」
少女の勢いをかぶせて打ち消すように、九堂が叫ぶ。
「こっちの台詞じゃアホンダラ!! なにが『恥ずかしいから先生に手紙を置いてきて!』だよ、おかしいと思ったんだよろくでもないことしくさって、やっぱり全部貴様のせいじゃねえか!!!!」
「痛い痛い痛い!! 頭つかまないで!!!! 横暴よ! 乱暴をうけたわ! パパに言いつけてやる!」
「やれるもんならやってみな! 二度とてめぇをあのイベントとかいう頭おかしい場所に連れてってやらねぇぞ!!」
もみくちゃになって騒ぎ出す二人に、桐生はぽかんとしているし、朱葉が慌てて車を降りて言った。
「ちょっと、ちょっと待って!」
桐生がぱっと肩をつかんで止めるが、朱葉が続けて言う。
「しずかちゃんだよね……? さくしま静ちゃん……」
朱葉の言葉に、ぱあっと少女の顔が光った。
「覚えててもらえて、光栄です! ぱぴりお先生!!」
その言葉に、桐生がぼそっと。「……さくしま静って確か、フォロワーにいたよな」と呟いたので。
「わたしはだから、先生も十分怖いんですけど」
思わずひとりごとみたいに、朱葉が呟いた。
日付変更線をまたいだら、もう一話更新します。




