4「先生の本分とはこれいかに」
「先生!!!」
放課後の生物準備室、扉を開くと、分厚く隔たる棚にすがるようにして朱葉は言った。
「たすけて……!」
青白い顔で目に涙を浮かべて。
桐生が驚き振り返る。
わっと朱葉は顔を覆って泣き出すように、言う。
「原稿マジやばい……」
オンリーイベントを週末に控えた、水曜日のことだった。
「いやマジでやばいこれはもう落ちる絶対落ちるしかないと思ったね先生ありがとうマジ助かる。あ、ここのトーン削れます?」
「俺めっちゃお前に言いたいことあるっていうかすごい説教をしたいMAXなんだけどそれについてはどう思う? グラデにすればいい?」
「聞く聞く! 手さえ動かしてくれたらめっちゃ聞くから説教! もう聞き放題喋り放題のドリンクバーだよ!! グラデでいい!」
「なんか早乙女くんのキャラ違うんですけど。さては寝てないな?」
「バーロー寝てて原稿が出来るかよ!」
「一週間前の貴女はどうでした?」
「めっちゃ寝てましたスミマセン」
「あえて寝る! よな。そういう時って。はいできました」
「それな! もーちょう助かる! 先生マジイケメン!」
「イケメンって……他にいうことはないの?」
「わたしが寝ないようにちょっと喋ってて下さい!!」
「はぁ……」
諦めたように原稿に目を落としながら桐生が言う。
「しかし今のデジタルの時代にアナログなんだな。意外だ。結構金もかかるんじゃないか?」
朱葉が持ち込んだのは原稿用紙とコミックペン、それからトーンの束とトーンカッターだった。
「あー、うち、土日以外PCの使用時間すごい限られるんです。親の寝室にあるし。だから無配とかはデジタルでもいけるんだけど、本はアナログにするしかなくって。でも、知り合いのおねーさん達がトーンとか原稿用紙とかみんなくれたから、その点じゃ困ってないですよ」
「なるほどそういうもんか」
「困るとしたらやっぱ入稿が……。ほら、デジタルだったらこれ明日の朝までいけるんですよね……。でも今日の営業時間内に直接持って行くしかなくて……。今朝終わんなかった時はついに秘技ノートーンの術しかないかと思いました」
「けどさ、ぶっちゃけ」
机に肘をついて、乗り出しながら桐生が言う。
「落ちないよな?」
「落ちないですよ」
さらりと朱葉が言う。
「落ちないですけど、明日の夕方になったら絶対割り増しなんで……。そういう余裕ないんで、割り増しするくらいなら落とすしかないっす……」
「ああー……。大変だな、高校生」
「でしょー。苦労多いんですよ。R18読めないとかそういうレベルじゃないです。今日も家出る前に3分くらい学校サボって漫画喫茶でもいっちゃおうかなって考えたんですけど、そんな度胸もないんでちゃんと来ました」
「偉いぞ。学業が本分だ」
「偉いわたしのために先生ここの消しゴムかけておいてください」
「先生の本分とはいかに」
「本文これで終わりだから! 頼みます! 先生の! かっこいいとこ見てみたい!」
「わかったからはやくやれ」
手慣れた様子で消しゴムを練る桐生を横目で見ながら、ぼんやりと朱葉がいう。
「先生って、描き手だったことあるんですか?」
「ん、ないよ。俺は消費気質。あと信者気質。最高にめんどくさいやつ」
「うわあ。……でもその割には上手いですよね。素人には見えないんですけど」
「大学のサークルでなー。先輩方に仕込まれるわけだ」
「ああー」
近所のおねーさん方に色々仕込まれた朱葉には、容易に想像がつく話だった。
「そっかあ。うちの学校にも漫研あったらなー。こんな薬品くさいところで仕上げなくてもいいんだけど」
「勝手に乗り込んできておいていい度胸ですね早乙女くん」
「おっと口が滑った」
「いいけどな。……つくりたいんならつくればいいんじゃないか。一学年に数人くらいはいるだろ。お前みたいな末期的なやつ」
「わたしが末期だったら先生はすでに死んでるし。インザ棺桶だし。うーん、でもなぁ……」
ぽりぽりと頬をかきながら朱葉が呟く。
「中学の時とか、それでちょい、いじめられたこともあるんで。やっぱ、作業はひとりでやって、イベントいけば仲間がいるの、ちょうどいいですわ」
朱葉の言葉に、桐生がなにごとか、返す前に。
とんとん、と朱葉が原稿を揃えて言った。
「やったーーーあがったーーーー」
そのまま流れるようにスマホを見て。
「おし! ダッシュで駅行けば間に合う!! 先生じゃあね! このお礼はまた明日……」
大慌てで立ち上がる朱葉に、
「待ちなさい」
ジャケットを持って立ち上がりながら桐生が言った。外はもう暗く、廊下にもひとけがなくなっている。
「送っていく」
「へ?」
ぽかん、と
「印刷所までだからな。そこからは自分で帰るように」
「先生……!」
朱葉は思わず祈るポーズをしてしまった。桐生じゃないけれど、神かよ、と言いたくなってしまう。
「けどその代わり、今度から原稿は手伝わせないように」
返す刀のその言葉に、朱葉はちょっと気まずい顔で笑って。
「や、やっぱ、だめでした……?」
勝手に一方的に仲間だと思って、やりすぎたかな、と顔色をうかがうように聞いてみれば。
桐生は自分の顔を覆うようにして。
「新刊は本の形で読みたいの……」
と言うので。
「先生がめんどうなファンなの忘れてたわ!!!!!!!!!」
と心の底から、朱葉が叫んだ。