25「──行こう」
場所はアニメショップ。
混み合うエレベーターの中。
向かい合う形で、よりにもよって桐生(女連れ)と朱葉(男連れ)は鉢合わせることとなった。
後ろめたいことは別にない。本人達は、『そういう』相手を連れているという自覚はまったくなかったから。
そう、あくまで、桐生と朱葉の、本人達だけの話で。
(いや、なんで?)
まず心の中で突っ込んだのは桐生の方だった。
相手はリア充だったのでは? いかに朱葉が主導権を握っていようと、リア充とアニメショップには来ないだろうと、思っていたのに。
「何階?」
そう聞いたのは、朱葉の連れてきた少年の方だった。太一、という名前だけ、かろうじて桐生は覚えていた。顔も見覚えがあるような、ないような。とりあえず彼は、桐生には気づいていないようだった。桐生が、彼の学校の、教師だということには。
「え、あ、一番上……大丈夫おしてあるから……」
戸惑ったような顔のまま、朱葉が言う。エレベーターが止まるごとに、何人かの人の出入りがあって。
「カズくん?」
硬直しているのを感じたのだろう。隣にいたマリカが伺うように声をかけた。し、と軽く唇に指をあてて、黙るように指示した。
「……」
マリカは形のよい眉だけちょっとあげて、そのまま黙った。そういうところは、とても聡明で、察しがいい女性だった。
仲睦まじい、ともとれる様子だった。
パーソナルスペースが極限まで薄くなったエレベーターの中で、慣れた客達は皆沈黙を守っていたけれど、
「そういや」
慣れない太一だけが、周りも気にせずに口を開いた。
密閉された空間で、彼の声だけがいやに大きく響いた。
「このあと家くる?」
え、と朱葉が顔を上げる。同じように、桐生も思わずそちらに、視線を寄せる。
同時にエレベーターが目的階について、人が押し出された。桐生達とははぐれてから、「姉貴が寄れたら寄ってって言ってたんだけど」と続きを言った。
「あ、ああ……」
まだぼんやりしている様子で、少しうろんな調子で、言った。
「わかった……。じゃあ、先にCDもらってきてあげるよ。太一はその辺眺めてて。予約カウンターも列があるだろうし」
このアニメショップの最大の難関は長いレジ列だった。せめて列についていない方が、気もまぎれるだろうと思ったし。
何より、ちょっとひとりになりたかった。
ショップカードを預かりながら、列の最後尾について、さっきのエレベーターの中、聞こえた声、を、思い出す。
(カズくん)
なんだよ。
彼女いたんじゃねーか。
と、心の中で朱葉は思った。
それとも、ここまできて友達だとか言うんだろうか。アホか。別に、本当のことなんて言わなくてもいいけどさ。
(……嘘、つかれたくはなかったな……)
やばい、ちょっと、目の奥が、熱くて。
顔を見せないように、うつむいた、その時だった。
「あのー」
背後から、声がかかった。ぎょっとして、振り向いた。
(マジか)
予約カウンターの列の最後尾、朱葉の後ろに。
ひとりで桐生が立っていた。朱葉と同じように、ポイントカードを持って。連れの美人は待たせているのだろう。
なんで、ってまあ、目的が同じだけだった。この階まで乗ってきたんだから、想像がついてもよかったものだった。
狭い店内で、すぐ後ろに立って、桐生はぼそぼそと言った。
「家、ダメ」
朱葉は、その、野暮ったい姿と、ぼさぼさの髪と、不必要にでかいショルダーバッグを見ていた。
「家は、ダメだろ」
それから、ああ、なんか聞き覚えのある言葉だなって思った。レイトはダメとか。さんざん言われたっけ。高校生だから?
一般人なんかと、映画に行くな。
それでもって、高校生だから、教え子だから、家はダメ?
(…………おっかしーでしょ……)
心の中で、吐き捨てるようにそう思った。ダメじゃなくて、行かないでって言えないのか。先生だから? 生徒だから? 都合のいい時だけ持ち出すのって、ただの卑怯なんじゃない?
先生は、卑怯な大人でいいって言うかもしれないけど。
子供なわたしは許さない、と朱葉は思った。
桐生に背を向けるように、朱葉は前に向き直る。背後で桐生がうろたえているのが、気配でわかった。
前を向いて、うつむいて、朱葉は押し殺した声で言った。
「ここから連れ去ってくれたら、言うこと聞いてもいいですよ」
あの、女の人を置いて。
多分、腹が立っていたんだと思う。何にかはわからない。とにかく、桐生に。一矢報いてやりたかった。だからそんなことを言った。困ることは承知の上で。出来ないことはわかっているのに。
「──次の方どうぞ」
答えのないまま、朱葉の順番になり、朱葉がショップカードを出せば、前金で支払い済みのCDが5枚、奥の棚から出された。
(5枚か……)
結構やばいな、と冷静な頭で朱葉は思う。
袋にいれて、渡される。ありがとうございました、と言って、振り返ると。
無表情で黙りこくった、桐生がいた。
(……意気地なし)
心の中で、罵倒する。言わないけど。
朱葉といれかわりで桐生はカウンターに行く。
あーあ、と朱葉は、なんだかひどくやけっぱちな気持ちで、その背中を見ていた。それから。
「はい、20枚で間違いなかったですか?」
そう言って出されたCDの束を二度見した。
(マジでやべー!!)
憤りも忘れて思ってしまった。
「あ、紙袋で、この荷物も一緒にいれてもらっていいですか」
紙袋て。CDで紙袋って。
朱葉が毒気を抜かれ、ため息をついて、周りを探す。太一はぼんやりと、店内の液晶を眺めていた。
「太一……」
大きな背中に声をかけ、手をあげた。
その時。
手首が突然、つかまれた。
(え?)
びっくりした。男の人の、強い手だったから。
「──行こう」
そして、桐生が走り出す。
朱葉の手首を、つかんだままに。




