22「彼女、いたんじゃないんですか?」
──考えてもみたまえ。そもそも一般人と映画にいくメリットがあるのか?
そんなことを、桐生は朱葉にオタクらしい饒舌さで語った。
「まず見に行く映画が限られる。前評判を周囲にリサーチ出来ない上に、完全に趣味嗜好を知り尽くした仲間からの的確な観に行くべき論も聞くことができない。我々の業界はもちつもたれつ、誰かのすすめた作品を享受する代わりに俺の推した作品も手をつけてもらわねばならんという相互関係の上になりたっている! そういう貴重な時間を費やす上に、他に見られたかも知れない作品を見られないという機会損失である。行ったとしても感情のままに作画、スタッフ、声優、カメラワークやCGに対して感想を述べることが出来ないし、作品の面白さも半減してしまうだろう。それどころか、エンドロールの真っ最中で立ち上がる奴かもしれない! エンドロールは良作の最大の見せ場だというのに!!!!」
はぁ、と聞いてから、朱葉は言った。
「先生なんか、一般人との映画に悪い思い出でもあるんですか?」
「いいえ、一般論ですけど?」
即答。
桐生の言うことは、正しいのかもしれないけれど。でも、そうかなぁ? と朱葉は思う。
まあ、確かに、時間はないけど。どうしても忙しいってわけじゃないし。
映画見る時間くらいあるし、何より、タダだし。
やめておいたら、と桐生は言葉を尽くして言ったけれど。タダにつられた貧乏性だけじゃなくって。
「──でも、気になるんですよね」
ぼんやりと携帯に目を落としながら、朱葉が言う。桐生の手が止まり、半開きの口が開いたままになるけれど、そこからは何も、告げられなかった。
朱葉は、桐生に語るというよりも、どこか独白めいた言い方で、思い返すようにして言う。
「いや、ほんと、ちゃんと友達とかいるやつで。てか毎年バスケ部だから冬休みだって練習あるはずだから、暇なわけなんてないのに」
どうして自分に声をかけてきたのか、気になる、という意味だったのだけれど、桐生はどんな風に聞き取ったかは、わからなくて。
「ああ……」
どこかぼんやりした調子で、しゅんとしたように、桐生が言った。
「そう……」
その言葉に、朱葉はちらりと、一瞬だけ桐生の方を見て、ぽりぽりと頬をかいた。
気をとりなおすように、わざと明るい調子で言った。
「そもそも週末っていつなんだって話ですよね。朝なのか昼なのかレイトなのか」
「レイトはダメだろ」
だん、と机を叩くように桐生が言う。
「ん?」
「レイトショーは、ダメ。高校生」
「え、そうですっけ。行ったことあるような……」
時間によっては、同行者によっては、映画館によっては……。
そんな言い訳じみたことを言おうとしたけれど。
真顔で桐生が言う。
「もしも行ったら今度から英語で出す同人誌のタイトル全部表紙のスペル間違える呪いをかける」
「え、何それ突然の死」
よくわかんないし。そんなこと出来ないし。
子供か。それか魔王かよ。
思いながら、「朝もだるいし昼ですかね」と相手は不在で朱葉が決めていく。そんな様子を見ながら、なんてことのないような調子で、桐生が言った。
「それで、どんな、奴なの」
朱葉は相変わらず、世間話の延長線上に答える。
「太一ですか? 理系クラスの方だから、先生はもったことないかもですね。まー幼なじみですよ。家が近所で。でも私は腐女子のおねーさんとばっかり遊んでいた気がするし、馬があった覚えもないんですよねぇ。とにかく運動出来る奴でしたよ。小学校とか、運動出来る奴がとにかくモテる時期ってあったじゃないですか。そういう意味では、モテてたかもしれませんね」
そういえば、彼女はいるのだろうか、と朱葉は考える。
いや、いないだろう。いたら自分を誘ってないだろうし。
そして、ふと、姉である縁の言葉を思い出す。朱葉に好きな人がいると思った縁は、「弟もうかうかしていられない」と言ったのだ。その時はわからなかったけれど、そんなことを言うってことは、
(きっと、好きな人はいるんだろうな……)
いやいや、と思う。
「普通、好きな女の子いたら、クリスマスに他の女子、映画に誘ったりしないよな」
「それはしないだろ」
独り言だったのに、豪速で返事がかえってきてびっくりした。聞いてたのか、と振り返って朱葉が言う。
「好きな子誘いますよねぇ。普通は」
「……さぁ」
その割には煮えきれない返事だった。
朱葉はちょっと考えて、加えて聞いてみる。
「先生は、誘ったりしました?」
「……誘いませんよ」
椅子を回して体勢ごとそっぽを向いたのに、朱葉はちょっと身を乗り出して追撃する。
「彼女、いたんじゃないですか?」
たとえば漫研の、まりかさんとやら。
とは、思ったけれど言わなかった。
そのままぐるっと椅子を回して、桐生は背中を向けて。
「…………ノーコメント」
黙秘権を行使された。
「え、ひどい!!!!!!!!!! わたしだって男子の話したのに!!!!」
「早乙女くんのはデートじゃないでしょ。じゃあ、俺だって話はしませんよ」
ほら、もう時間でしょ、雪になるって言ってるからさっさと帰りなさい、と帰りまでうながされた。
「ちぇー。いいもーん」
せんせーさよーなら、と子供めいた口をとがらせ、朱葉は生物準備室を出て行く。
誰もいなくなった準備室で、ずるずると椅子からずりおちながら、ぽつりと桐生は言った。
「……そりゃ、誘えるなら、誘ってるだろうよ」
別に誰に、言うわけでもなくて。ただあとは、深々とため息が出るだけだった。
それから、ぽん、とメールが着信する音がして。
なんとはなしに開いた内容に、桐生は眉を寄せる。
古くから使っている、フリーメールに、どこか見覚えのある、けれどもうずいぶんと長い間使ってはいないメールアドレスから。
内容は、二行。久しぶりねの挨拶もなしに。
>久しぶりに、会えない?
> MARICA




