20 アフターティータイム
風邪を引いた桐生のことは心配ではあったけれど、それはそれ、DVDイベントは心から楽しんだ。サプライズで主題歌のライブもあり、鞄に光る棒をしのばせてきてよかった。勝ち組だった。(一応桐生の推し色は多めに振っておいた)
満足満足、と会場をあとにしようとした時だった。
「あーげはちゃん!」
唐突に声をかけられ、びっくりして振り返った。
「おねーさん!?」
「やっぱり! 久しぶりだねー」
声をかけてきたのは見覚えのある顔だった。
落ち着いた感じの美人で、一見“そう”とは見えないのだが、肩から提げたハイブランドの鞄にはさりげなく推しキャラのチャームがついている。
梨本縁という名よりも、「おねーさん」と朱葉は呼ぶことが多い。ずいぶん年が離れているけれど、縁の弟と朱葉が年が近く、親同士のつきあいもあり、小さい頃はよく一緒に遊びにいった。それから中学校の時にアニメショップで再会してしまったのが運の尽きで、朱葉は、オタクのイロハを彼女から習ったのだ。
縁は長い黒髪の友達も連れていた。その彼女にも、朱葉は見覚えがあった。カナさんといったはずだ。本名は、知らない(主にイベント会場でよく会っていたので)
「カナ覚えてる? うちの近くのあげはちゃん」
「覚えてるよ。トーンあげた子だよね?」
「その節は! ありがとうございました!」
ぺこりと朱葉が頭を下げる。
「いいんだよ~。うちにあっても捨てるだけだったし。使ってる?」
「ばっちり使ってます!」
「よかった。うちらはもうトーンとかもう何年も使ってないよね。そうだ、あげはちゃんこれから予定ある? うちら、近くでお茶して行こうかって言ってたんだけど、一緒にどう?」
「いいんですか!?」
「いいよ~。ってか、今日のイベント最高じゃなかった?」
「マジそれ!!!!!!」
近況よりも、最近の萌えに華が咲く。三人は近くのドーナツショップに入って行った。
「すみません、おごってもらってしまって……」
ドーナツショップの隅の席で、朱葉は恐縮して小さくなっていた。
「いいっていいって。まだ高校生なんだから。でも、今日のイベント来たってことは、DVD買ったんだ?」
「えっと……今日の……参加券は、ええと……知り合いが、来られなくなってしまって……」
友達が、と言おうとして、いや別に友達ではないよな、と朱葉は思う。
先生、というよりは、オタク友達の方が、近いとしても。
「そっかぁ。私はいろんなイベント行ってるけど今日のはほんと最高に面白かったな~。円盤いれて欲しい~」
「無理じゃないかなぁ。カメラなくなかった?」
そんな玄人の会話をする二人を尻目に。
「あ、すみません」
朱葉がそそくさと鞄から小さなスケッチブックを取り出す。周りを見ながら、おずおずと。
「覚えてる間に……レポ……描いてていいですか……?」
そのいじらしい台詞に「いいよ~!」「えらい~!」と大きく褒めてくれた。二人は朱葉のレポ絵を眺めながら、感想戦に華を咲かせる。ひとしきり語り終わり、朱葉も描き終わったところで「そういえばさ」と縁が言う。
「弟から聞いたんだけど、あげはちゃんの高校、生物教師が桐生和人って、マジ?」
朱葉が飲んでいたカフェオレを吹き出しそうになる。
先に口を開いたのは、テーブルを囲んでいたカナだった。
「桐生和人って、あの?」
「そうそうあの! 桐生センパイよ」
おそるおそる、朱葉が尋ねる。
「そう、ですけど……知り合いですか……?」
「うん。大学サークルでね」
その言葉に、ひっ、と朱葉は思う。思わず言ってしまった。
「せ、狭くないですか!?」
二人はしみじみしながら、「あのね」と朱葉を振り返り言った。
「「オタクは狭いのよ」」
オタクは、狭い。
朱葉の心に刻まれたワードだった。
「あー桐生センパイ格好良かったなー」
「格好よかったよねー」
二人は頬杖をつきながら、異口同音で言った。
「「顔だけは」」
めっちゃわかる、と朱葉が思った。
桐生は二人とは、大学時代の漫研サークルでの先輩後輩にあたるらしい。顔はよかったのだが、取り返しのつかないほどのオタク、だそうだ。
「今もそうなのかなぁ。弟はわからんって言ってたけど」
めっちゃそうですよ、と思ったけれど、隠しているのも知っていたから、朱葉は口を開けないでいた。
二人は朱葉に聞かせると言うよりも、思い出話に華を咲かせる様子だった。当時の桐生は今ほどオンとオフを使い分けていたようではなく、顔のいい残念なオタクだったようだ。
「ねー覚えてる? 桐生センパイ改造計画! あの超美人の先輩が、プロデュースしてさ」
唐突にそんな、個人的な話が出て朱葉の手が止まる。これは聞いてはいけないのでは、と思うけれど、止めるのも不自然な気がして、沈黙を守る。
「覚えてる覚えてる。まりか先輩のやつでしょ。まりか先輩に出会って桐生センパイ本当に格好気にするようになってたよね」
「そう、はたから見てても二人って仲良しだったから、絶対つきあってるんだろうって思ったけど、桐生センパイ断ったんだよねぇ」
その台詞が。
「「女性として見ていませんでした、すみません」」
だったということで。
「ありゃだめだわ」
「ありゃー無理だね」
朱葉も思わず、
「それはアカン……」
と呟いていた。
「でも桐生センパイ、結局まりかセンパイのごり押しで、そのあとちょっとつきあったらしいよ」
「え、マジで」
「マジマジ。わたし、まりかセンパイから聞いたもん」
「あー、カナ、仲良かったもんね」
つきあった、のか、と朱葉が思う。いや、他人のことだし、過去のことだ。どうでもいい、というのも、変だけれど、別につっこむことじゃない。聞くのもなんか……性格が悪い、気がする。けれど、聞いてしまった。
「……それ、どうなったんですか?」
「うーん、くわしいことは知らないけど、『和人は絵を描いてない私じゃ意味がなかったのよね』って、センパイ言ってたかな……」
絵を描いてない、私じゃ意味がない……。
(ひどいな……)
それを、女に言わせる、先生は馬鹿でひどいと、朱葉も思う。
馬鹿で。ひどい。どうしようもない。でも。
朱葉は自分の手元、レポートイラストを描いたスケッチブックを見る。この絵は誰のためだろう、と朱葉は思う。楽しかった。好きだから、描いた。でも、受け取ってくれる人がいる、こともわかっている。別にその人のためだけに描いたわけじゃない。でも、喜んでくれる人がいる、ことは、とても嬉しい。
嬉しくて、嫌じゃない。それなら。
「描いてれば、よかったじゃないですか」
思わず、言ってしまった。
「好きなら描いてでも、つなぎとめたらよかったじゃないですか!」
言ってから、朱葉は、はっと気づく。
「す、すみません。なにいってるんだろう……」
変なことを言ってしまった、と思った。その恥ずかしさに消え入ってしまいそうになったけれど。
縁はふっと笑って、言った。
「あげはちゃん、好きな人いるんだ」
え、と思った。
「いや、そんな、えっ、なんで!?」
「あれ、違うの? てっきり……」
「そんなこと言いました!? 言ってませんよ!!!!」
「はいはい、そういうことにしておこうかしらね」
「おねーさん!!」
いやあ、弟もうかうかしてらんないわ、と縁は朱葉には意味不明なことを言って、その会はお開きになった。二人はそのまま夕飯を食べにいくそうで、それも誘われたけれど、原稿があるから、と朱葉は断った。
家に帰り、原稿を仕上げる前に、スケッチブックの絵をスキャナで取り込みSNSにアップロードする。
速攻でつく、イイネとともに。
取引アカウントから、一通のリプライ。
>最高です。ありがとう。寝込んでいたんですが、元気になりました。
「……どういたしまして」
と朱葉はひとりで、呟いた。胸に浮かんだあたたかさが、照れくさくて、居心地が悪くて、そしてどこか、嬉しくて。
(あげはちゃん、好きな人、いるんだ)
縁の言葉が、なぜか、忘れられないでいた。
週が明け、学校に行くと、廊下で桐生とすれ違った。思わず足をとめたのは、マスクをしていなかったから、というのもあるけれど、他にも気になることがあったからだ。生物の教科書を開いて、質問をするふりをして、朱葉が言う。
「治ったんですか」
「治った」
短い答えに、ほっとする。
けれど、朱葉が自分の目の下をなぞって、言った。
「でも、目の下、クマありますよ」
まだ、何かしんどいんじゃないのか。ちょっと心配しながら、言ったなら。
いたって深刻な顔で、桐生は言った。
「冷却シートをラミネート出来るか調べてたら眠れなかった……」
その言葉に、心の底から、朱葉は言っていた。
「馬鹿か?」
百年の恋もさめそうな、冷たい台詞だった。




