2「先生だって好きで社会人コスしてるわけじゃない」
イベントがあった、翌日のこと。週明けの学校、生物準備室に呼び出しをくらった。
むしろ、呼び出したかったのは朱葉の方だ。朱葉はおくさず、生物準備室をノックし、入り組んだ棚の奥、生物教師である桐生の前に立った。
「あのさ、桐生先生」
「なんですか、早乙女くん」
朱葉はまじまじと生物教師である桐生を見つめた。どこからどうみても、非の打ち所のないイケメン教師っぷりだった。
まだ、夢だったんじゃないだろうかと朱葉は思っている。どちらかというと、悪夢の方だ。
信じられないので、確かめることにした。
「昨日、会いましたよね」
「なんのことだ?」
しれっと桐生は答えた。誤魔化した。いたってスマートに、クールに、バックレた。
朱葉はファイルから一冊の冊子を取り出した。
「前のイベントで完売したコピー本持ってきたんですけど」
「神かよ」
真顔で両肘をデスクについて、カッと目を見開くと桐生が一声そう言った。
いやどこの世界に教え子神扱いする教師がいるんだよ。
おかしいだろ。
朱葉はため息をつきながらコピー本を渡して近くの丸椅子に腰掛ける。こうなったら、遠慮はいらない。
「ねぇ先生聞いていい? なんでそんな残念なことになっちゃってるの? やばくない? あと仕事用のファイルにコピー本挟んで読むのやめてくれませんか?」
「やばいにやける」
「どう考えても返事の優先順位間違えてるんだけど」
「待って今ちょっといいところなんで」
「だから聞けよ」
結論からいえば、桐生は全然聞いてはくれなかった。なんだかんだあって読み終えた後。深くため息をついて(多分半分くらい萌え逃しのため息だった。朱葉にはわかった)桐生は言った。
「先生だって好きで社会人コスしてるわけじゃない」
社会人コスって言うなし。
心の中で朱葉が突っ込む。
「TPOをわきまえてかつ双方での身バレを避けるためには極端と極端に振り分けるしかなかったんだ。──まぁ、オフのあれは素だが」
「素なのかよ」
「生きづらくなるのでひとには言わないで下さい」
「だから、生徒にお願いしないでくれる!?」
「あと昨日アップしたイベントおつかれさまでした絵サイコーでした」
「…………どうも」
朱葉は頭痛を感じて空を仰ぎ見た。信じられないし、信じたくないし、ひとりで抱え込むには大きな秘密だった。けれどまだ、誰にも言わないでいる自分がいた。友人である、夏美にもだ。夢を守れと言っていた、夏美の言葉を尊重する、わけではないけれど。
もしも、もしもだ。
今、朱葉が他人にバラして、噂になったら。
桐生がオタクを辞めてしまうのかもしれないと思った。
そうしたら、ひとり、自分の本と絵を好きだといってくれる人がいなくなるのかな、と思ったら。
なんだか、広める気にはなれなかったのだ。
我ながら、おかしな話だとは思うのだけれど。
──同ジャンル同じカプ仲間は、守ってやりたいじゃ、ないか。
そういうお情けが出た、のは確かだ。
「……呼び出したのって、それだけですか」
ため息まじりに朱葉が聞いたら、桐生は紙のファイル(コピー本挟みこみ)でびしっと朱葉のことを指して言った。
「早乙女くん、俺の オタク活動、人に言ったら、お前がSNSでR18アカウントフォローしてるのバラすから」
鬼か。貴様は下衆か。
今すぐ全校生徒に伝えてやろうか、と朱葉は思ったけれど。
その後すぐに、桐生が鞄から、分厚い雑誌を出してきて。
「それはそれとして、今週の雑誌にマジ神コマがあるので審議したい」
「それな」
と思わず言ってしまったから、もう、このままやっていくしかないんだなと、朱葉は諦めまじりに思ったのだった。