16「男の見る目がないってことだろ」
恋人はいないし、結婚もしていない。
でも、好きな人はいる。
その言葉を、朱葉は生物準備室の棚の裏で盗み聞きしていた。
(え、えー……)
動揺した。その動揺が一体なんの感情に起因するものなのか、朱葉自身にもわからなかったけれど。
(ちょっと、わたしここにいるんですけど!?)
めっちゃ気まずい。
盗み聞き、とは言っても、朱葉の存在を認識していないのは、来客である3年生の女生徒の方で、桐生の方は、朱葉の存在を忘れているわけでもないだろう。
聞いてない、と朱葉は思う。
(そりゃ、好きな人はって、わたしも聞いたことないけど!!)
そんな話を、したことがないから。
推しキャラの誕生日は知ってるけどな!!
そういう会話に忙しくて。知らないことの方が、多すぎる。
「──誰ですか」
対する女生徒の声は震えていた。こんな風に対応されるとは思っていなかっただろう。受け流されるか、ほだされるか。ちゃんと、腹を割って、きちんと話してくれるとは思っていなかったのだから、彼女の方だって、桐生のことを一個の人間ではなく、「先生」としか見ていなかったのではないか。
現実逃避をするみたいに、そんなことをぐるぐると考えてしまう。
「言ってもわからないよ」
「じゃあなんで……!」
「理由が聞きたいって言ったのは、君の方だろう」
「ごまかさないで下さい!」
「ごまかしていると決めつけるのはよくない」
「じゃあどんな人なのか教えて下さい!」
「聞いても仕方がないと思うけど」
ため息をひとつ。
朱葉はただ、呼吸の音も立てずに聞いている。
「まだ、出会って日の浅い相手だよ。これまでのことも少ししか知らない。けど、これから知っていきたいとは思っている」
(ん?)
と朱葉は思った。
手元のゲームに目を落とす。
「髪は長めで好きなジュースはトマトジュース、低血圧で女優帽が似合う」
そして画面から出てこない。
(推しキャラじゃねえか!!!!)
思わず突っ込みをいれそうになって、こらえたがためにスマートフォンを割りそうになった。これで割ったら修理代請求してやる。
「なんですか、それ……」
女生徒の方も、いぶかしげに桐生に尋ねた。ほんま。それな。
「そして種族は吸血鬼だ」
「マジでなんですかそれ!!!!」
ほんまやで。殴っていいよ。
と朱葉は思った、けれど。
「なんでもなにもないだろう」
深々とため息をついて桐生が諦めたように言った。
「三年一組の坂本さん。推薦入学が決まって暇だからって、若い先生方をからかうのはやめませんか。先生方は黙ってるけどみんな気づいてるし、これ以上続けるようならつるんでいるメンバー特定して生徒指導室行きだぞ」
言われた瞬間、女生徒の口調が変わった。
「マジで!?」
「マジです」
「やっば! ちょっと~それ先に言ってよ~!」
「声をかけられたら適当にいなして名前を生徒指導課にあげるよう言われてるんですよ。悪いこと言わないからすぐやめなさい。君たちも、せっかくの推薦棒にふりたくないだろう」
「うわ~やっばいセンセー教えてくれてあんがとね! あ、でも桐生センセ超いいなって思ってるのはほんとだから! 結構マジになって言ってみたから、今!」
「はいありがとうね。さっさと帰りなさい」
「生徒指導に言わないでくれる~!?」
「先生から上手いこと言っておいてやるから。でも全員二度とやらないように。次はないぞ」
わかったセンセー大好き~!! と台詞を残して、来たときとはうってかわって騒々しく女生徒は出て行ってしまった。
「……はー……」
残された桐生が今までで一番深々とため息をつく。
「俺の貴重なCHANCEタイムが……」
段ボールから顔をのぞかせた朱葉が、しみじみと言う。
「先生って……大変だね……」
「ほんとそれな」
すみやかにタブレットを起動させながら、桐生が珍しく愚痴っぽく言った。
「だいたい教師をからかって反応を見ようなんてリア充を暇にさせたらろくなことにならないっていい見本だろあいつら全員缶詰にして俺の推しライダー一挙放送してやろうか」
「監禁はよくないと思いまーす」
けれど、さすがに同情をする。桐生が並より顔がいいせいもあるだろうが、あんな相手もしなければいけないなら、教師とはなんという過酷な仕事だろう。
「推しキャラのプレゼンはじめた時はどうなるかと思ったけど……」
「いや、なんかいい加減相手してやるのも馬鹿馬鹿しくなってきて」
「わかりますけど。あれ、マジだったらどうするんですか」
「ティーチング♡ティーチャーのバッドエンド思い出して断ったことならある」
「BLゲーのバッドエンドで振られる女子死ぬほど可哀想!!!!!!!!!!!!」
心の底から叫んでしまった。
「男の見る目がないってことだろ」
「なのかなぁ。ちょっとぐらい、ぐらっときたことないんですか」
顔だけはイケメンなんだし。
軽い気持ちで聞いただけなんだけれど。
「実は一回だけある」
「え、」
思わず朱葉は顔を上げる。桐生はタブレットから顔をあげず、真顔で言った。
「早乙女くんからの提出レポート、最終問題で調べるのが面倒になったからって推しキャラ描いてあった時は正直ぐらっときた」
あ、と思い、朱葉は口をあけたまま、思い出して。
「けど再提出だったじゃねーーーーーーーーーーーーーか!!!」
思わず突っ込んでしまった。
ちなみに花丸はあった。
「コピーもとった」
「だからやめろよ!!!!!」
確かに、こんな男に告白するなんて、まったく見る目がない。
どこかほっとする気持ちを見ないようにして、朱葉はそう思ったのだった。