15「恋人いないなら、好きな人はいるんですか、先生」
ソーシャルゲームのイベントが終わる頃には、朱葉の失調もすっかり回復していた。週末満足に眠ればすぐに治ったと言ったら、「若いっていいよな」とすっかりしみじみした調子で桐生は言った。
そんなわけで、今日も元気に放課後に生物準備室に通っている朱葉だった。
「いやしかし、ほんとダークホース……けなげ……まさか過去がこんなにアツイなんて……このけなげキャラが過去を越えてとか……尊い……」
ゲームをしながら、万感をこめて朱葉が言う。
唐突に「キた」スマホゲームのキャラクターについてだった。
「わかる。俺が支えたい。守りたいこの笑顔。あと泣き顔も見てみたい。具体的にはカード画像をすべて埋めたい」
タブレットでゲームをしながら、桐生も同意する。
「早乙女くん今度のイベントで突発本あったら買ってきてくんない? 俺の予感だと絶対きてると思うんだよね。ペーパーでもいい」
「生徒を使いパシリにする先生がいます?」
「どうせ探すだろ」
「探しますけど。どんな本がいいんですか」
「でてるの全部」
「ローラーかよ」
「先に早乙女くんが全部読んでいいよ」
「くっそこのくっそありがとうございます」
「はいこれお金。お釣りはちゃんと返すこと」
「千円札輪ゴムでまとめないでくださいます?」
別にお金、買ったあとでもいいのに、と朱葉が言えば、「いくらか覚えてられないだろ」といわれて「それな」と同意した。
なにを買ったかはわかるのに、いくらつかったかはわからない。即売会のミステリーだ。
「あ、でも、年齢制限かかってる本は買えませんからね。今度のイベントチェック厳しいんで」
「サークルメモってきて下さい」
「必死だな」
いいけど、と朱葉は思う。いいけど。別にいいけど、なんで教師がエロ本を買う手伝いをしなければならないのだろう……。
思いながら、18の誕生日がきたら読ませてもらおう、とも思う朱葉だった。
鞄から財布をとりだし輪ゴムでまとめた千円札をしまっていると、コンコン、とドアが叩かれる音がした。
(あ、やべ)
朱葉はすでに手慣れた俊敏さで、鞄をつかむと桐生の椅子の脇、資料棚の裏に隠れる。手前に段ボールも積んであるので、入室者からは見えないはずだった。踏み台の上に腰をかけると、「失礼します」と女生徒の声。
「どうぞ」
桐生もすぐさま声のトーンを一段落として、女生徒に答える。
「すみません、桐生先生。センター試験の問題のことで、聞きたいんですけど」
そんな言葉が棚の裏から聞こえた。(3年生かぁ)となんだかしみじみした気持ちで、朱葉は音を立てずにポケットからイヤホンを探した。
年が明けたら3年生はセンターに入試、それが済んだら、いよいよ朱葉達も受験生の仲間入りだ。
考えると憂鬱になってしまう。もちろん将来の不安はあるし、多分、きっと、同人活動だって遅からず休まなくてはいけないだろう。
(なんか、やだな)
せっかく、読んでくれる人も、待ってくれる人も出来て。
イベントも、ネットも、楽しくなってきたのにな。
だからといって、受験勉強を無視できるほど、進路に対して楽天的にはなれないし。
(イベントでなくなったら、みんな忘れちゃうんだろうな、わたしのことなんて)
なんかもう、それは、しょうがない。わたし達は、流れていくものだ、と朱葉にはもうわかっていた。今、覚えていてもらえることだって。ただの幻想なのかもしれないし。
感傷的な気持ちになりながら、イヤホンを耳に押し込もうとして。
「……ありがとうございます。あの、先生、聞いてもいいですか」
棚の向こうで交わされていた会話、の、女生徒の声のトーンが変わった、気がした。
(ん?)
なんだかすごく、切実な声に聞こえた。
「まだ、なにか?」
答える桐生の声は涼しく簡潔だった。意を決したように、女生徒が告げる。
「先生、恋人がいないって、聞いたんですけど」
思わず吹き出しそうになった。おいおい、と朱葉は思う。
「そういう話、誰がしてるんだ?」
答える桐生の声は、心底呆れたようだ。
(残念! みんなしてます!)
心の中で朱葉は思う。
女生徒はその問いには答えずに続けた。
「恋人いないなら、好きな人はいるんですか、先生」
「それは勉学に必要な質問ですか?」
朱葉は思わず耳を資料棚にあててしまう。ドキドキする。他人事なのに。
「……わたしの、人生に必要な質問です」
(おっとーーーー大きく出たぞ!)
心の中で朱葉が野次を飛ばす。
「でも、答えてもらえなくても構いません」
答えを待たず、攻める女生徒。
「大学に合格したら、デートして、もらえませんか」
(きたーーー!!!!!)
どう返す桐生和人。
朱葉は盛り上がったけれど、桐生の返事には動揺したそぶりがなかった。
「無理だよ」
「なんでですか! 今すぐつきあってっていうわけじゃないです。電話番号教えてとか、つきまとったりもしません。一回デートしてもらって、ダメだなって思ったら、振ってもらっても構いません。あたし、大学まで待ちます。先生に迷惑はかけません。約束します。あたしのこと、生徒じゃなくて、女子として見て欲しいんです」
(いや、そりゃ結局つまりつきあってってことでしょ)
心の中でつっこみをいれる。やめといた方がいいよ、と思う。いやいや、ひとの趣味にどうこうは言わないけどさぁ。
あなたの推してるイケメンが、オフまでイケメンとは限らなくない?
でも、上手いもっていき方かもしれないなとも思うのだ。教師と生徒じゃつきあえないから、大学行ったらお友達から。それなら一応、ギリギリ、セーフ、なのか?
まあ、少なくとも、それで学習意欲はめちゃくちゃ上がるのかもしれないし。
朱葉にはわからないけれど、桐生がなんと返すのかは興味があった。
ホモじゃないって言ってたけど。二次元で忙しいって言ってたけど。
息をつめて耳をすませていたら、桐生が答えた。
「出来ない」
「理由を下さい!」
「理由を言ったらいいんだな」
反論の隙を与えずに、桐生は告げる。
迷いのない口調で、はっきりと。
「君も聞いたとおり、好きな人がいるからだ」
思わずスマートフォンを取り落としそうになって、朱葉は、ぐっと手に力をこめた。