ラスト・エピソード「結婚を前提にお付き合いさせていただいています」上
コミカライズ最終刊発売です!
またこのエピソードをもちまして、全シリーズ完結となります。
本当に、本当にありがとう!
『どう思う?』
送られてきた写真は、見慣れた格好のはずだけど、なんだか七五三めいてみえた。
(馬子にも衣装ってわけじゃないけど)
少し笑ってしまった。
【いいと思いますよ】
とメッセージを返す。
休日の午後、流行病もつかの間落ち着き、様々なイベントごとが息を吹き返す、秋の日。それはやってきた。
「あら~いらっしゃい」
朱葉の母親は、いつもと同じにこやかさで桐生を迎えた。桐生は上下のスーツにネクタイまできっちりと締めて、秋らしい焼き菓子の詰め合わせを手土産に朱葉の家に入ってきた。
元々、「恋人が両親に挨拶したいと言っている」と母親には告げてあった。父親にもそれとなく言ってくれと頼んでいたのだが、話を耳にした父親は「そういうのは俺はいい」と休日ゴルフから帰ってこない。
「お休みの日に、すみません」
緊張した面持ちの桐生に、
「いいえぇ、こちらこそ、片付いてなくって」
と機嫌のいい母親が、用意してあったお茶をいれはじめる。(これは気づいてないなぁ)と朱葉が思った。朱葉にしてみれば、今更緊張しても仕方がないことだったが、桐生の緊張が伝染している自覚はあった。
「朱葉から年上の社会人だと聞いていたけど、お仕事は今日お休み?」
お茶を出しながら世間話のように母親が切り出すのを、(ハハハ)と朱葉は内心乾いた笑いで受け止めた。それこそが今回の本題であったので。
「はい。高校の教師をしていますので」
「まぁ、高校の。この近く?」
「はい。娘さんの母校です」
「あら……」
そこで母親は首を傾げた。まじまじと緊張した面持ちの桐生を見つめて。
「先生!?」
半分椅子から腰を上げて、そう言った。(案外面白いな?)と朱葉は心中でちょっと笑った。意図して隠してきたわけではないが(特に卒業からこちら、一応恋人がいることも言っていた)黙っていた甲斐があった、と思わせてくれるような反応だった。
桐生は負けず劣らず、はきはきとした物言いでまくしたてる。
「お久しぶりです! 朱葉さんと出会ったのは高校在学中ですが、その頃にはこういった関係は微塵もなく、卒業してから趣味の現場で再会し、成人してからお付き合いをさせていただいています」
これはちょっと嘘である。ものは言いようなので。
朱葉の母親は、ハトが豆鉄砲をくらったような顔のまま、もう一度着席した。
「そ、そう……」
「そうなの」
と朱葉は余計なことを言わずに頷いた。ここまで、こちらからコメントすべきことはなにもない。多分、どうせ、まあ、桐生が帰ってから、二人のなれそめについては根掘り葉掘り聞かれることだろう。事前に適当に話はつくってあった。
幸いなことに、「ない」ラブストーリーをつくることにかけては、桐生も朱葉も十二分に才能があるのだった。
「本来なら最初にご挨拶に伺うべきだったかと思います。驚かせてしまって申し訳ありません」
「まあそれは……びっくりはしたけれど……」
実際のところはどうであったかはともかくとして、一応二人、節度あるお付き合いをしてきたつもりだった。そして、大学四年間という時間を経て、こうして両親に挨拶をしようという話になったのには、やはり、理由があるのだった。
桐生が切りだした。
「朱葉さんとは、結婚を前提にお付き合いさせていただいています。まだ具体的に結婚に向けて動いているわけではありませんが、朱葉さんも春からの就職先が決まったと聞きました。春から、僕のマンションで娘さんと一緒に棲みたいと考えています。そのために、今日はご挨拶に伺いました」
朱葉の母親が「まぁ」と言って頬に手をあてたまま、まだ話についていけず、ぼんやりとした顔をしている。
朱葉の就職が決まったのはこの夏のことだった。
とある企業の事務職だ。
『わたしに向いてる仕事ってなんだと思います?』
ぼんやりそんなことを尋ねた朱葉に、桐生は新作のゲームから顔を上げずに『休みがとれる仕事』と即答した。『そこ!?』『そこ以外あるか!?』とぎゅんっと桐生が振り返って言う。
『職場環境というものは人的環境が9割! 言ってみれば人的環境ガチャだ! もちろん環境というのは鏡であるから基本的に穏やかで社交力もある朱葉くんのことは心配していないが、そのガチャの結果以外ではやはり、休みがとれるかとれないか、この一点、まあこれは人的環境にももちろん相関関係が深いが……』
『ちなみに先生は?』
『うっっっっっ、休みが……とれやすいとは言いがたい……。が、だからこそ、朱葉くんにはそうなって欲しいという強い気持ちがある……。特に創作者は俺達読者にくらべて時間的負荷が圧倒的にかかる。今は二十代若い盛りで大丈夫だと思っているかもしれないが、先人から声を大にして伝えたい! 三十路を越えて!!!!!! 徹夜をすると!!!!!! 人は死ぬ!!!!!!!』
そう、とっくに三十路の桐生は声を大にしたものだった。まだまだ二十代前半の朱葉は、『またまた~』と言ったものだったが、『忘れるな! 徹夜は死! 栄養ドリンクも死! 萌えの過剰摂取さえあやうく感じる時がある!! 推しさえいれば元気になれるというのは二十代までに使えるドラッグだ! 健康な身体は!!! 換えのきかない資産!!!!!!』と言い、その流れで突然うやうやしく三つ指をついて言った。
『というわけで、双方の健やかな未来のために、一緒に暮らしてはもらえないだろうか』
と。
朱葉はきょとんと瞬きをして、『あ、はい』と言った。
元々、「就職をしたら一人暮らししたら?」と言っていたのは朱葉の母親の方だった。というのも理由があり、単身赴任をしていた父親がこの夏から戻ってきたのだった。このままだと娘が一人暮らしの経験ないまま大人になってしまうことを危惧した両親が、そう言い出したのは当然のことだと朱葉も思ったし、けれど一人暮らしなんて金がかかることを、より金のかかる推し活と天秤にかけて……。いや、もちろんその方が絶対に楽しい、一緒にいたいという気持ちも込みで、そういうことになったのだった。
その後も、面食らった母親との面談(完全に面談だった)はつつがなく済み、「お父さんにはそれとなく言っておくわよ」とまで言ってもらえて、ガチガチに緊張したままの桐生は深々と頭を下げて朱葉の家をあとにした。
残された朱葉はいくつかの質問攻めをうけた。そして手土産の焼き菓子をつまみながら母は言ったものだった。
「それにしても、やっとわかったわ」
「何が?」
「たまに部屋から電話の会話が聞こえるでしょう? 『先生』ってよく聞こえていたから、そういうあだ名なんだと思ってたけど、本当に『先生』だったのね」
「あだ名って……」
「だって」
きょとんとした顔で母は言った。
「あんたもたまにお友達から先生って呼ばれてるじゃない」
ちょっと笑ってしまった。
オタクには先生が多い。
なにはともあれこれで一段落ですね、と夜に通話しながら言う朱葉に、『いや』と桐生は、少しばかり深刻そうに言った。
「こっちの方が、ちょっと大変なんだよな……」
え、一体何が? と朱葉は首を傾げつつ。
クリスマスに向けて世の中が活気づいていく中。
来週は、桐生の両親へのご挨拶、だった。
次回、最終エピソードは、コミカライズのオマケ更新と同時に行います。