その10 ※この作品にはシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレが含まれています(なお、ネタバレをまったく踏みたくない方は読み飛ばしても一切構いません)
※この作品にはシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレが含まれています(なお、ネタバレをまったく踏みたくない方は読み飛ばしても一切構いません)
お久しぶりですこんにちは。わたしは腐女子の早乙女朱葉!
こっちは、
8年ぶりに新作公開となったの某シン・エヴァンゲリオン劇場版の映画を見てダメになってるわたしの元担任で現恋人の桐生和人氏。
「大丈夫です……?」
『だいじょばない……』
ディスプレイの向こうで桐生が打ちひしがれている。朱葉と桐生は公開日当日である本日、朝一で映画館に居た。感染対策は万全で、直近の映画館のチケットは桐生がとった。(なお仕事は時間休をいれたらしい。一限がないから大丈夫と言っていたがその大丈夫もそもそも怪しい)
「朱葉くん朝食はちゃんととってきたか? 上映中は食事をとる余裕なんてないだろうからな」
当日朝、桐生はウキウキで朱葉のことを車で迎えにきたものだった。朱葉は車に設置されていた消毒液で手をにぎにぎしながら、「まあそれなりに。飲み物も控えた方がいい感じです?」と聞いた。
朱葉は某映画を映画館で見るのは初めてだった。
テレビシリーズのはじまりは朱葉の生まれる前だし、前作もまだ十代そこそこであったはずだ。もちろんその名作についてはひととおり履修はしている。そしてこの、待ちに待った新作であり完結作を見られることを、ステイホームの中でも充分に楽しみにしていた。
桐生はといえば、朱葉よりも強烈な気持ちでそのシリーズを追いかけているらしかった。
まだ朝も早い時間、車を走らせ映画館に向かいながら早口で言った。
「前情報の限り上映時間は二時間半を越える。できうる限り、途中を邪魔されるようなことは取り除きたい。とはいえことと次第によっては号泣の展開もあるかもしれないから一応の水分は飲んでからの方がいいだろう。なんにしても今日は歴史的瞬間だからな。本当に公開されるということが素晴らしいんだ。もちろん完結という事象にあたっては一抹のさみしさがあるが……いやまだ自分の目で見るまでは何も信じない! すべてはネタバレではなく自分の目で確かめないことには……これは俺達エヴァによって青春の一角をつくられた人間の義務だ。どのような作品であったとしても、俺達には受け止められる用意がある」
なんていったって、ここまで待てたんだからな。
その時の桐生はまだワクワクとしていたというか、鷹揚に構えていた。
見終わった今となって言えるが、完全な舐めプだった。
映画は面白かった。少なくとも朱葉は最高に贅沢なエンタメだと思って大興奮した。ちょっと説明が長いところもあったが、からまった糸のほどかれるような感覚は、見てよかった! 待っててよかった! と思うに足るものであった。最後にはとんでもないサプライズもあり、これは絶対ネタバレなしで見られてよかった。先生ありがとう! と心の中で喝采をした。作品自体の出来もそうだったが、何よりこの状況下で完成と公開にたどりついてくれたこと。現在のこの国を支えるエンタメ業界の精鋭達がならぶスタッフロールには涙をこらえきれなかった。
終わった。ついに終わったのだ。
直撃世代ではない朱葉でさえ、その感慨に包まれるのだから、先生もかくや──。
「ハンカチ持ってきてよかった~。おもしろかったですね、かずとs……」
食い入るように見ていたスクリーンから目を離し、隣を見た朱葉は、「ひっ」と小さな悲鳴を飲み込んだ。
(し、死んでるーーーー!!!!)
隣の座席では桐生が燃え尽きていた。真っ白に。
しまった、と朱葉は思った。
一応形だけのソーシャルディスタンスとはいえ(二人は相変わらず仲の良いカップルだったし)上映中手を握り合うようなことはしなかったのだが、さてはこれは握っておくべきだったか。脈をはかってやる必要があったかもしれない。(多分はかっていても打つ手なしだっただろうが)
とりあえず漁業のごとく桐生の抜け殻を引き上げると、自販機で買ったポカリを飲ませて車に乗り込み、関係のないアニソンをかけて職場に向かわせた。余計な寄り道はさせない方がいいなと思ったので、朱葉は見送るのみにつとめた。(これから大学も四回生になる朱葉は授業もすっかり少なくなっていた)
せっかく出掛けたのだからと色々買い物をして食事もひとりでおとなしく食べながら、雨後のたけのこのごとくあがってくるインターネット上の感想の悲喜こもごもを楽しんだ。実に愉悦だった。
で、珍しく残業もなく定時で帰宅した桐生は、ずっとオンラインの向こう側でつっぷしている。
「ええっと……あの…………」
つま先をプールにつけるがごとく、おそるおそる朱葉が切り出す。
「ダメだったんですか……???」
『ダメとはなんだ!!!???? 監督の傑作じゃないか!!!!!!』
ディスプレイにかじりつかん様子(カメラの位置的に頭頂部だけが見えた)に「うお」と朱葉がのけぞる。
『最高だった! もちろん方向性、というよりも指向性としてもっと別の展開、解釈、あるいは結末を望んでいた人間もいたことだろう、それもまた気持ちはわかる!! しかしだがしかし、今この令和にもたらされる俺達のエヴァンゲリオン、それが祝福めいたそれであったことを俺達は真剣に穿つことなく受け取るべきではないのか!?』
「はー」
言いながら朱葉がポットについできたお茶をいれはじめる。
ベストな蒸らし時間だ。
『しかし、しかしだ!!!!!!!』
「はいはい」
『俺の推しカプはどうなる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!??』
「あ?」
お茶を飲む手を止めて朱葉が聞き返す。
確かに、桐生の推しカプはわかる。カプがかぶりがちな朱葉であるから、もちろん朱葉もたまらなく好きなカップリングである。ちなみに主人公受けだ。
そのカップリングについての嘆きだったのか、とようやく朱葉は合点した。合点はした、が。
「あー……あーー……あー? うーん……ああ……うん?? えっ? なくは、なく、ないですか??」
そりゃあ、前作ほどは、なかったけれど、ないことは、ないのでは?
てかふたりは存在するだけでカップリングなので……という朱葉の主張は、真っ向から退けられる。
『なくはなかった!!!! 確実にあった!!!!』
どこかで見たエヴァンゲリオンのごとくディスプレイにかじりついて桐生。
『でも、他のフラグもあったじゃないか!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「あー…………………」
朱葉が天井を見ながら思い返す。心あたりは、ないことは、ない。
確かに他の女子連中とフラグ立てまくりな主人公(受け)とは違って、超絶イケの攻め様はずっと主人公ひとすじ……他のキャラクターなんて眼中に入っておりません、そういう風に朱葉も認識していた。それが……まあ、それが。確かに。
『こんなのってないよ!!!!!!!!』
思わず少年のような口調になる、桐生和人、いよいよの三十路である。
「いやー? あれ? あそこですよね? あの二人……いきなり親密な呼び方をしたあの二人……。あれは? 恋愛では? ないのでは??」
『バカを言え!!!!!! あれが恋愛であるわけないだろう!?』
目を血走らせて桐生が言う。情緒がヤバい、と朱葉は素直に思った。
『恋愛ではない! 恋愛ではないが!!!!!!』
頭をかきむしりながら桐生が絞りだすように言った。
『声優が国宝級なんだ……』
「わ か る」
思わず深く頷いてしまって『だろ~~!!』と今度は桐生が転げ回るのを見るはめになった。
わかるよ~~!!! 上手すぎなんだよな~~!!!! 全員上手すぎなんだけど~!!! あの二人マジで上手すぎて情緒のっかっちゃうんだよね~~!!!
ひとしきり二人でそう騒いだあとで頬杖をつき、くちもとをおさえながら朱葉が言った。
「……確かにちょっと萌えた」
ぴたっと動きを止めると桐生がまた突進してきて叫んだ。
『裏切りモノーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!』
いや、裏切ってはないが……とぽりぽりぽり朱葉が頬をかきながらお茶を飲む。
『うっうっうっ』
すっかりいじけモードになった桐生がディスプレイの向こうで膝をかかえている。「まぁまぁ」と朱葉が雑に慰める。
「でも、面白かったじゃないですか」
『…………………』
「見られてよかったですよねぇ。公開されてよかった」
『……………………………』
「また行きましょうね。この映画も、次のあの映画も、それから夏はまた別の映画も」
『……うん』
と桐生が、ディスプレイの向こうで頷く。
見られて、よかった。公開されてよかった。
まだまだつらいことの方が多い世の中だけど。好きなものがあるだけで、オタクは、こんなにも楽しい。
後日、満を持しての二度目の鑑賞(キャスト舞台挨拶つき/リアル会場一枚しかとれなかったのでソロ参加)から帰った桐生が神妙な顔で言った。
『やっぱり推しカプ映画だったと思うんだが、聞いてくれるか?』
「あ、わたしちょっと、モンハンデビューしたんでキングと狩りに行ってきまーす!」
『うわーーーーーん!!! 朱葉くん!! 俺を置いていかないでくれ!!!!!』
それなりに、ジェネレーションギャップを感じながらも仲良くやってる二人です。