13「わたし、きょうせんせいのことめっちゃきらいなひです」
だいたい、今日は朝から最悪だったのだ。
明け方まで起きていたから寝坊をしてしまった。学校には間に合ったけれど、朝ご飯を食べる暇もなかった。その上出さなきゃいけない課題を忘れていて、なんとかお目こぼしをもらって昼休み中に提出したから、昼食を食べる暇もなかった。
極めつけに。
(最悪……)
女子トイレの個室で朱葉は心の底からため息をついた。
貧血めいていると思ったのだ。用意はあったけれど、だからといって気が滅入るのは仕方がない。
女は生きているだけで血を流す。まったく理不尽だ。
(こんな時は、推しキャラ女体化生理妄想することぐらいしかすることがない)
そう思ってしまう程度には、まだ元気だった。その時までは。
最悪なことに、午後一の授業は生物だった。
「じゃあ今日は、前回の続き。生態系のメカニズムから……」
いつものごとく白衣を着て教室に現れた桐生和人は、涼しい顔をしていた。普段はいけ好かないなあ、と思うだけのその顔が、今日はいやに……かんに障った。
(嫌いかも)
朦朧とする頭で、少し思った。
(わたし、先生のこと)
嫌いかもしれない…………。
そんなことを思いながら、ずるずると頭を落とし、机に突っ伏した。起きてなきゃ、とは思ったんだけれど。
「…………」
あ、意識、落ちる。そう思った時だった。
隣を通っていく桐生が、朱葉の肩に手を置いた。
びくっ、と朱葉の肩が揺れる。見下ろす桐生と、目があった。どこか怒ったような顔をしている。
(何……)
イラッとした。顔にも、出ていたと思う。桐生はそのまま、冷たい声で言った。
「調子悪いなら、保健室に行くように」
ぐっと持っていたペンを握った。自分にもっと力があったら折っていたかもしれない。
(どの口で言うんだろ)
こんなのは八つ当たりだ。もっといえば、寝不足で、あと周期的な問題で、神経もつらくって。貧血で。だから、桐生は悪くない。
悪くないけど、ばーか、と、心だけで朱葉は思った。
生物の授業はなんとか終わり、本日最後の授業は、体育だった。最悪中の最悪だけれど、それでも座学よりはマシといえたかもしれない。少なくとも、冷たい風に吹かれて外を走っている間は、眠気を忘れられる。
(と、思ったんだけど……)
ちょっと、まずいかも、と思ったのは、秋空の中のマラソンが、はじまってすぐだった。
(お腹痛い)
あと、めまいがする。指先が冷たくなる。
「先生」
体育教師の加藤は、生徒に走らせておいて、自分は校舎のそばで見張りをしているだけだから嫌いだ。
「ちょっと、保健室行ってもいいですか」
なんだ? と加藤が言う。
「早乙女、お前、サボりじゃないのか」
こんな時に、女の先生だったら、生理だからとか言えただろうか。いや、きっと言えなかっただろうなと、頭の隅で思った。言い訳するのも、もう、めんどくさい。いっそこのまま、ここで倒れられたら。そう思った時だった。
「加藤先生」
校舎の窓から、声がかかった。体育教師が振り返ると、そこにいたのは。
「桐生先生」
まだ、白衣を着たままの、桐生その人で。
「そいつ、前の授業から調子が悪そうだったんです。保健室行くように勧めたのは俺ですから、連れていきますよ」
桐生の言葉で、ようやく体育教師もサボりの嘘とは思わなくなったらしい。
「じゃあ、桐生先生頼めますか」「はい」という会話を、どこか他人事みたいに朱葉は聞いていた。下駄箱に戻ると、桐生が立っていて。
なんだかほっとしてしまった。
そのことに、また腹が立って、うつむいて。
自分の靴のつま先を見ながら、朱葉が言った。
「せんせい」
「はい」
「わたし、きょうせんせいのことめっちゃきらいなひです」
「はい」
「あとすごいおなかいたい」
「はい」
「くそねむい」
「はい」
桐生はただ、淡々と聞いた。それから。
「わかったから。おいで」
それだけ言って、朱葉の肩をつかんで、保健室まで同行してくれた。
並んで歩く授業中の廊下は静かで、別世界みたいだった。
保健室に着くと、保健医に朱葉を引き渡し、桐生はさっさと出て行ってしまう。保険医から処置をうけて、ベッドに寝ていてもいいと言われ、朱葉は横たわりながら、自分の無力感に、ひたひたと沈んでいた。
カーテンの向こうで、誰かが入ってくる気配。
保険医に対し、何事か伝言を伝えている。「あとは俺が見ていますから」と言っている声は、聞き覚えがある。
保険医が保健室を出て行くと、カーテンの端から、桐生が顔を出す。
「おーい」
にょきっと生えた手が、握っていたのは朱葉の鞄。
「お前のスマホ、持ってきてやったけど」
その言葉に。
「!!!!!!!!!!!!!」
ガバッと音を立てて、朱葉が身体を持ち上げる。必死になってつかんだ鞄を、しっかりと桐生が握っていて。
「早乙女くん」
お互い渾身の力で鞄を取り合いながら、冷たい目をして桐生が言った。
「やっぱりお前、その寝不足、スマホゲーのイベント走ってるせいだな?」
ばれたか。
朱葉は、心の中で、盛大に舌打ちをした。
次回、桐生和人渾身のお説教タイムVS課金兵黙ってろ早乙女朱葉 ファイッ