その5<前編>「まだ『先生』なんだ?」
★文庫2巻、発売いたしました! 応援してくださった、すべての方に感謝いたします★
平成最後の夏は、尋常でなく暑かった──。
そんな叙情的な書き出しをしてしまいたくなるほど、ただひたすらに、地獄のように暑かった。
2年後に控えたオリンピックは時期をずらしてもいいのでは? と言えても、自分達には絶対にずらせない夏の祭りがある。
そう、その祭りは、夏のど真ん中、三角屋根の下で、行われる……。
時計の針は9時半を過ぎた。
「それでは本日の分担を確認をしまっす」
お誕生日席と呼ばれる端のスペースの机の前で、そう音頭をとったのは秋尾だった。白い詰め襟と学帽のコスプレ服もまぶしい。
対する桐生と朱葉は「売り子です・撮影お断り」と豪快なデザインでほどこされた専用売り子Tシャツに身をつつみ、背筋を正して聞いている。
「今回初めての朱葉ちゃんはレジ売り子にまわってください。かわりに列整理は2人出ます。ふだせんは俺と一緒にダンボール補充、レジは2人、今回は新刊1種のみ、限数は2、ノベルティカードは1冊につき1枚はさみこみ、サークル主と話したいという人が来たら基本俺のところにまわしてください」
朱葉も若いなりにそれなりな回数イベント参加をしているし、近所のおねーさんの手伝いとして売り子に入ったこともあったが、列整理を必要とするほど強サークルの手伝いははじめてのことだった。
夏のコミケ、キングと秋尾の合体スペースは、開場前、ほどよい緊張感に包まれている。
「なお、基本が立ちっぱなしになるんで、少しでも調子を崩したらすぐに言ってね」
売り子の交代はなしなんだな、と少し意外に思っていると、秋尾が長い指をVサインに立てて言った。
「頒布予定は2時間。午前で片付けます」
搬入限界まで詰んだダンボールを見ながらゴクリと朱葉が喉を鳴らした。
朱葉もオンリーではお誕生日席と呼ばれる端席に配置されたことがあるとはいえ、普通につくった新刊が午前で完売した経験などはない。
小銭も発生しない会計のためレジは容易だろうが、2時間の完売はレジの手早さにかかっていることだろう。
「大丈夫? ぱぴりお先生」
桐生が朱葉の口元にゼリー状のスポーツ飲料を差し出しながら言った。少し面食らったけれど素直に軽く飲んでから言う。
「大丈夫ですけど、2時間で売っちゃうんですね……」
その時間だけしか売らずに持ち帰る、という意味ではないのだろうなと思って聞けば、桐生も頷く。
「キングのとこはいつも大体そうだね。そもそもが本が重くて大きいので、搬入冊数が限られる。もちろん激戦でもあるから列整理が一番重労働だよ」
ぱぴりお先生今日の買い物はよかったの? と聞かれたので。
「あ、はい。取り置きお願いしてあるんで、午後から伺おうと思ってます~。あとは今日は、モモが友人と出ているそうなんで、そこに行けたらいいかなってくらいで」
喋っている間に口の中にぽいぽいと、塩分タブレットが投げ込まれる。
(エサかな?)
と思いながらもつっこまず、ふと思ったことを尋ねた。
「キングは何かするんですか?」
すでに列も形成がはじまり、ばたばたと最後の確認などが行われている中で、ひとり椅子に座ってゲームをしているキングは、今日は珍しくセーラー服のロングヘアだった。暗い色のマフラーが暑そうだが、きちんと中には氷嚢が仕込まれているらしい。
桐生の返事は簡潔だった。
「キングは可愛いと美しいをする」
なるほど……なるほど……。
答えにはなってないが、ものすごく納得してしまった。
「お、そろそろだ」
時計を見た桐生が両手を朱葉の前に差し出して。
「頑張って行こう」
ぱちん、とあわせたら、拍手とともに、お祭りがはじまる。
2時間という時間が、長かったのか短かったのか。正直なところ、あまりに目まぐるしすぎて朱葉はほとんど記憶がなかった。途中何度か、補充にきた桐生が先ほどと同じようにゼリーを飲ませていったことだけはぼんやり覚えているが。
きっかり1時間と45分をもって、「本日新刊完売です!」という秋尾の声が響く。
一縷の望みをかけていた購入列からは落胆と一緒に拍手があがり、秋尾は手早く、並んでいた人達に特典のカードを配っていった。通販情報などもそこに書いてあるらしい。
「おつかれさま」
「おつかれさまですー!」
同じくレジ業務にあたっていた女性と頭を下げ合う。桐生は最後のダンボールを開いた段階で、列整理スタッフと一緒に昼食を買いにスペースの外に出て行っていた。
「いや~すごかったですね」
「無事終わってなによりねぇ」
そうおっとりと返事をした売り子女性は、朝に挨拶をしたところによるとキングのところでの売り子歴の長い友人らしい。「レイヤーさんなんですか?」と聞けば、「わたしはハンクラ。ハンドクラフトで色々つくってるから……たまに、キングの小道具もお手伝いをしているの」とのこと。
「あ、買い出し組にも完売伝えておこ」
朱葉がスマホを取り出しそう言うと、にこにこと売り子さんが言った。
「彼氏さん、優しいのねぇ」
え、と朱葉が顔をあげる。彼氏さん、というのは、桐生のことだろう。咄嗟に違いますよと言おうとして、いや、別に、違わなかったかも、と思う。
彼氏と、彼女の時間より、先生と、生徒の時間の方が、まだ長いので。
色々と、慣れないでいる。
「ずっと、後ろであなたのこと、大丈夫かはらはら見てたよ」
それでたまに、マコトさんに蹴られてた、とくすくす笑いながら言われて、知らなかった……と朱葉が思う。恥ずかしさよりも複雑な気分だった。
「そ、そんな……頼りなかったですかねわたし……」
けっこう、手早く、会計もできたと思うんだけど……。
そう思っていると、後ろで片付けをしていた秋尾が会話に入ってきた。
「そうじゃないでしょ。あいつが過保護なだけ」
ありがとね、と二人に対していたわりの言葉。キングは完売を待って話しかけてきた友人らしき人らと話をしており、過保護という秋尾は甲斐甲斐しく頒布とは別によけてあった新刊を彼女らに渡して行って戻ってきた。
「買い出しまだかかるかな」
「あ、先生ならもうすぐ戻るそうです」
思わず答えたら、秋尾が苦笑する。
「まだ『先生』なんだ?」
あ、と朱葉が口元をおさえる。
「アイツも君のこと先生って呼んでるけどね~」
その言葉に気まずげに頬をかく。
「やーなんか……あだ名? みたいに定着しちゃって……」
もう、先生でも、生徒でもないんだけれど。かわるところもあれば、かわらない、ところもあって。特に、オタクをやっている時は。いや、オタクをやっていない時がほぼないと言ってもいいのだけど。
秋尾は明るく笑って、軽い調子で言う。
「呼んでみたら? ぱぴりお先生が呼ぶならどんなでも喜ぶと思うよ。クズとかでも」
「いや、それは──」
さすがにひどいのでは? と思ったけれど。
「おい、椅子」
遠くから聞こえたキングの声に。
「は~いただいま~!!」
尻尾でも振る勢いで秋尾が駆けていく。
「椅子……」
久々に聞いたな……と思いながらそちらを見ていると、「ふふ」と含み笑いをして、売り子の女性が耳打ちしてきた。
「言っていいかわからないから内緒ですけど、聞いたことありますよ」
小さな声で。
「キングもマコトさんも、二人の時は名前で呼んでます」
それは、ちょっと驚いたけれど、それでも、全然、意外ではない言葉だった。あの二人は、というか秋尾は言わずもがなだけれど、キングだって、十分に、秋尾のことを、大切に思っているのがわかるので。
(名前、名前なぁ……)
考えたけれど、どうにもしっくりこない。「先生」と呼ぶか、「おいこらふだせん」と呼ぶか、ぐらいで。
そのうち両手いっぱいに食べ物をさげた桐生達が戻ってきて。
「完売おめでとーーー!!!!」
ひとまずなにより、祭りの午前のつとめを無事に終えたことに、安堵した。
どこよりも暑い夏の祭りはまだまだ中日の、戦いの真っ最中だった。
多忙により少し時間がずれてしまいましたが、今年の夏祭り編、前編です。
後編は懐かしいキャラがまだ出る予定!
文庫2巻は明日9/15発売、コミカライズ2巻とあわせて、オーディオドラマも聞けちゃいます!