その2<後編>「帰したくない」
土曜日の夜だった。
高校の時の友達と食事に行くと、嘘をついた。
「いいけど、ちゃんと戸締まりしておいてよね」
母親はそんな風に苦言を呈したけれど、疑う様子もなかった。
二回三回クローゼットをひっくり返して、着ていく服を決めた。悩みはしたけれど、服を決めながら借りたディスクを流していたので、わりと、段々、まあいっかなという気分にもなった。
桐生は待ち合わせ場所まで迎えにきてくれた。いつものよりいくぶん小綺麗なオフの姿で、眼鏡だった。ちょっとだけ安心をして、若者みたいにファストフード店で二人、口数少ない夕食をとった。
「ごめん、俺」
目をそらしながら桐生が言う。
「余裕がなくて……」
見ればわかる、と朱葉は思う。別に、余裕がなくても、よかった。自分に余裕があるのかどうかは、自己判断だしあてにならない、と朱葉は思った。
「はやく家にいきたい」
店を出る瞬間、そんな風に囁かれた。そういう意味じゃないの、わかっているのに、朱葉はちょっとだけ熱が上がった。
そういう意味じゃないってわかってるのに!
桐生の住んでいるマンションは、ひとりぐらしのアパートという風ではなくて、ちゃんとした分譲のものだった。
「先生、家賃は?」
冗談めかして朱葉が聞けば、「実は親の持ち物」とばつが悪そうに教えてくれた。
(坊ちゃんなのか?)
あんまりそうは、見えなかったけれど。鍵をあけて、玄関先に入る時が一番緊張した。
(靴、あんまない)
太一の家とか、そういうのとは全然違う。男の人の家に入るのは、これがはじめてだった。
「一応片付けたけど、ごちゃついてて」
それはそれ、男女ではなく、オタクの部屋だから。
「おおー……」
ずらっと並んだディスクと本、カレンダー、ポスター、多くはないがフィギュアを飾る台もあった。
ポスターのたぐいは几帳面にゆがむことなく貼ってある。天井まで、ではないけれど、壁の一部分が不自然に何も貼られていなかった。
「ここは何か貼る予定ですか?」
「ああ、そこは」
さらりと桐生が答える。
「逆立ちする用」
謎の答えに朱葉が(筋トレか?)と首を傾げる。
なお、部屋の一角は白い布がかけられていた。
(なんだ?)
それが祭壇なことは、朱葉は知らないし、知らない方がいいこともあるのだろう。リビング兼寝室だろうに、なんだか広いなと思ったのは、ベッドが折りたたんであるからのようだった。
それなりに、気を遣われてるのかもと、朱葉は思う。
上着を置いて、来客用のお茶を出すこともそこそこに、桐生が耐えきれなくなったように叫んだ。
「ああーーーーーーー!!!!」
びくっと朱葉が振り返れば、ばん、と両手を広げて桐生が言った。
「最終回どうなると思う!??!」
そう、これがまさに。
『はやく家にいきたい』理由である。
この話をしたかったのだ。
「わたしはくっつくと思います!!!!!!!」
きりっと眉を上げて朱葉が負けずに叫んだ。
「だって二人ともお似合いなんだもん!! 運命の恋だと思います! ああやって思わせぶりな感じで終わったのも! みんな伏線じゃないですか!? わたしが脚本家でも演出家でも! ここまで気持ちが盛り上がったらハッピーエンド以外にあり得なくないですか!?」
「全面的に同意! 全面的に同意だが!」
がくっと膝をついて桐生が言う。
「俺はまだ民放を信じきれないんだ……!!!!」
説明をしよう!(以下段落読み流してもかまいません)
現在桐生がぶち上がっているのは民放で放映中の素敵なおじさん達がくっついたりくっつかなかったりやっぱりくっついたりするドラマであり、絶対にくっつくはずだと思っていた二人が最終話直前に別れ話をしてしまい、病がどん底まで深まっているのだった。
これがBL漫画であったら。これが同人誌だったら。ほぼ十中八九推しカプのハッピーエンドしかあり得ないというのに、一般向けという概念の壁、加えて推しカプという願望が邪魔をする。
そして本日これから日付もかわろうとする23時すぎ、最終話リアタイにひとりで挑むことが出来ないため、朱葉がここへ呼ばれたのだった。もちろんこれまでの話もDVDで渡し済みだった。
朱葉も見たけれどすごかった。かなりすごかった。
確かにこれは、ひとりで見るよりひとと見た方がいい。
家族よりも、仲間と見た方がいい。
それはみんなわかるのだが……初めての夜のお部屋訪問にふさわしいのかどうかは、置いておく。
そうこうしているうちに、時間になり、無常にも最終回はやってくる。
二人でテレビの前で正座待機からのリアタイがはじまる。
「あーーーーーっっっ」
「無理無理無理無理やっぱり無理無理無理無理絶対無理」
「はっはじま……ああっ別れ話、夢オチじゃ……ない!!!!!」
「だめだ!!!! こんなのだめだ!!!!」
「先生しっかり!!!! しっかりして!!!!!!!」
「ああああああ」「フラッシュ……」「モブ……」「気持ちが追いつかない」「あっ切ない」「マジむりかも!!」「どうして!!」「どうしてそこで!!!!!!」「おい!!!!!」「鈍いなんてもんじゃねえぞ!!!!!!」「泣かないで!!!!!!!」
応援上映なんてものではない。
実況ナイト。いや、絶叫ナイトだ。
散々翻弄されたあとに、ついにラストシーンがやってくる。
「「○×※※××▽~~!!!!!!!!!!!」」
燃え尽きた。
最終的に朱葉はうずくまっていたし桐生はなぜか壁のそばで逆立ちをしていた。
「も……」
「もう一回…………」
当たり前のように録画していたので、ラストシーンだけ5回見た。この際もうなんでもいい。受けとか攻めとかそんなちゃちなものではない。ハッピーハッピーウェディング。
もう一度一話から見たいという欲求をなんとかおさえ(見始めたら控えめに言って完全に朝帰りになる)日付もとっくに変わっていてしまったので、車で送っていくことになった。なお、車の中では朱葉が「二人にぴったりなラブソング」をみつくろっては流して二人でもだえた。
「今日はありがとう」
別れ際、いつものように近くの公園の脇に車を停めて、桐生が言った。
「一緒に見られてよかった」
改めてそう言われると、照れくささが先に立つが、「わたしもです」と朱葉は答えた。嘘じゃなかったから、素直に言葉になった。
ふっと桐生が息をついて、車内に沈黙がおりた。「本当は」と、かすれた、低い声でぽつりと桐生が言った。
「帰したくない」
ドキリとした。
それから、熱っぽい目で、真剣な口調で続けた。
「でもこれから新着でめちゃくちゃあがるであろう二次創作も集中して見たい」
台無しだった。台無しだったが。
「わかる」
心の底から思って言ってしまった。
めっちゃわかる。
結局お互い最高な二次創作があがったらURLを送り合う約束をした。オタクは仲間といても楽しいし、ひとりでも楽しい。
「じゃあ、また」
その約束を交わしてしまったら、あとはもう、さよならをするだけ。そこで、一度開けかけた助手席のドアを、朱葉がしめた。
「?」
眉を上げた桐生に、朱葉は向き直る。
「あの、」
ためらった。少しだけ。
「……わたしたち、って」
言葉を探した。エンジンも停めた、静かな夜だった。
「彼氏と、彼女、ですよね」
答えは聞いてはいなかった。そうじゃないと言われたら、それはそれで殴るだけのことなので。
桐生はちょっとだけ、虚を突かれた顔をした。返事をすることも忘れてしまったみたいだった。眼鏡の奥の視線が、一点で止まっていた。
「…………」
少しだけ息苦しい車内で、朱葉が、自分の首元のボタンをひとつ外した。わずかに白い肌が浮かびあがった。丸みを帯びた、鎖骨の形も。
「朱葉、く……」
焦って身を乗り出した、桐生が皆まで言う前に。
「これ、つけても、いいですか」
朱葉が差し出したのは、首から提げていた、銀のチェーンだった。そこに、さがっているのは、銀の、指輪で。
制服の下にも、受験の時にも、ずっとつけていた。まだ、このままでもいいような気もしたのだけれど。
今日はいい夜だったから。
いい、恋を見たから。
桐生は視線を少し、彷徨わせた。多分、彼なりに、なんらかの段階を踏もうと思っていたのかもしれない。
それか、もしかしたら忘れていたのかも。それでも別にいいのだ。オタクは色々、忙しい。自分よりも優先されるものがあったって、別にいいと朱葉は思う。朱葉だってあるし。たくさんあるし。
大事なものがたくさんある人生って、大変だけど、幸せだ。十分に。
桐生はそれから、手を伸ばすと、朱葉の手ごと、そのリングを握って。
「つけさせて」
と囁いた。
今度は朱葉が返事が出来なくて、ただうつむくばかりで。
指輪の交換みたいに、右手の薬指。
「俺も帰ったらつけよう」
「あるんですか!?」
「ないと思った?」
もちろん、揃いで。
「……いえ」
その、重さも、今は……嫌では、ないから。
サイズの心配があったけれど、特別窮屈な様子もなく、指輪が入った。慣れない圧迫が、ちょっとだけ喉の奥をつんとさせた。
「神様の前で……なんだっけ」
「嘘はつけない、じゃないですか?」
さっき見た、ドラマの台詞を、照れ隠しに笑いながら交わして。
夜の車内。
ドラマみたいに、唇をあわせた。
めちゃくちゃだけど、自分達らしくて、似合いだと、二人は思った。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました!!!