その1<後編>「マコの負け」
卒業式の日の夜のことを、秋尾誠はまだ鮮明に覚えている。
朱葉の門出を見送り一度は学校をあとにしたものの、秋尾だけ呼び戻されて、朱葉の力作の黒板を一眼レフにおさめさせられた。
桐生は秋尾の前で、うなだれながら、しぼりだすみたいに言った。
「俺は、最低だ」
何を今更と呆れる秋尾に。
「ずっと、これだけは思うまいと思ってきたのに」
見た瞬間に、思ってしまったと桐生は言った。
──卒業なんて、しないでくれ。
「ずっと、俺の、生徒でいて欲しかった」
自分の、神様を、どんな努力をしなくても、特別な位置に置いておけた。信仰の対象から、特別に愛されなくたって、敬われるような立場でいられた。
こんなにも晴れがましい日に。
これからの未来を祝う日に。
惜しむ気持ちを自分で、すごく、浅ましいと思った。
「まー……」
カメラの絞りを調節しながら、適当に秋尾が返事をする。
「そりゃあ、まぁ……最低は最低だけどな……」
説教だけなら、何時間でも出来る。したところで、人間の性根は直らないし、駄目で最低でクソ野郎なところも、矯正なんて出来ないだろう。
それでも。
「最低なりに、お前は頑張ったよ」
桐生のことは、振り返らずに、秋尾は言う。
「お前は、多分、いい先生だったと思うよ」
そうして、お前の神様は、本当に、いい子だったんだと思うよ。
それでいいじゃないか。
「泣いてんなよ。これからだろ」
わざと乱暴に、崩れた友人を足蹴にして。
「神様を幸せにしてやんのは、信者でもなければ、先生の仕事でもねーだろーが」
気合いをいれろ。間違えるな。誠意を尽くして、軽んじることなく、傷つけることなく、絶対に逃がすな。
少なくとも俺は、そうしてきた。
出来なかったかもしれないけれど、そうあろうとはつとめてきたのだから。
「肝に、命じる……」
そう、桐生は答えた。
確かに答えたはず、だったのだが……。
「どうしてこうなった?」
もう時間は夜だった。入社したての社員指導など何かと忙しい秋尾が、会社終わりに駆けつけられる時間に。
『今すぐ来られないか!?』
と焦った声で連絡があった。桐生から。
『出来れば、キングも連れて!』
いきなりなんだ? と秋尾は思った。今日は確か、朱葉と映画に行くと聞いていた。とっととものにしちまえという秋尾の意見も聞かずに、じつに丁寧に四月を待ち、予定を聞き、ようやくこぎつけた初デート、のはずだった。
その夜に呼び出しとはどういうことなのか。先日の涙のあとである。それなりに、最悪の事態を想定して、心配にもなった。だが、どこか釈然としないというか、嫌な予感もあった。
キングを迎えにいって、「ねぇ、キングはどっちに賭ける?」と秋尾が聞いた。
この案件。クソかクソじゃないか。
「クソ」
とゲームをやりながらキングが一言で断じた。ですよね~と思ったし、秋尾も同感だった。だから、多分、クソ案件だとは思ったんだけれど。
「ここまでクソだとは思わなかった……」
PC仕事で疲労した目元をおさえながら秋尾が言う。目の前にはなぜかつやつやてかてかとした顔の桐生と、それから朱葉が座っている。
夜である。夜ではあるが、寿司屋である。
そこまではいいとしよう。そういうデートもあるかもしれない。映画から寿司屋。初デートには難易度が高いが、なくはない。
しかし、回転寿司である。
しかも、めちゃくちゃ安価なファミリー向け回転寿司である。
いや、それが悪いというわけではない。ファミリー向け回転寿司に罪はない。もっといえば食いに行くところなどどこでも構わない。
ただ、そう、ただ。
「なぜ、呼んだ……?」
ボックス席で肘をつき、目元をおさえながら秋尾が言えば。
「そこだ!!! 聞いてくれ!!! 現在この寿司屋ではあの国民的アニメの最新映画コラボキャンペーンが行われているんだ! 方法は簡単だ! 寿司を食う! そしてこのカウンターシステムに投下する!!! 5枚!!! 5枚投下すると!?」
「投下すると……?」
嫌々ながら秋尾が聞けば。キリッと桐生がキメ顔で言った。
「ガチャが引ける」
ボックス席、レーンとは反対側に立っていた秋尾が立ち上がる。
「帰ろう、キング」
「待って!!! 待ってくれ!! 人数が必要なんだ!!! 俺の経験では大体35皿に1回あたりがくるから……!!!!」
「誰がそんな頭数あわせに……!!!!」
一蹴する気満々だったが、ふと隣を見れば、キングはすでにメニューを見て、朱葉とわきあいあい喋っている。
「ケーキでもいいの?」
「いいですよ~! あ、でも、百円で一皿みたいなんで、百円単位じゃない商品は除外されるみたいなんです。あ、このミルクレープ、二百円だから二枚お皿がついてくることになってて~~」
説明する朱葉も楽しそうだった。
「~~~~っ」
秋尾は観念して座り直す。
「俺が間違っているのか……?」
だんだん秋尾の方が自分に自信がなくなっていく。甘味ばかりを注文していくキングに「ごはんもたべて」と釘をさしながら、やけくそになって聞いた。
「ガチャが、なんだって……?」
「いや、だからこの映画を見た後の強いパッションを消化しようと思ったんだけど俺も最近じゃずいぶんソシャゲの悪い文化に毒されてしまって一番最初に強く思ったのが『ガチャを引きたい』ということだったんだよ。このあふれるパッションを! まさに今! ガチャを引くということで消化させたい! その時天啓のように思い出したんだ。ここで、そうここでまさにリアルに!!! ガチャがひけるのだと!!!!」
自分から振っておいて早々に秋尾は切り捨て朱葉に話しかける。
「朱葉ちゃんオススメある?」
「あ、これ美味しかったですよ~!」
「聞いてくれ!!!!!!!!! あ!!!!! 秋尾! シャリの量を半分にするのを忘れるな!」
「じゃかしい!!! てめぇは黙ってガチャでも回してろ!!!!!!」
結局四人で、いっぱい食べて、いっぱい回した。
会計は桐生のおごりだった。当たり前だ。ふざけんな。いい加減にしろ、というのが秋尾の気持ちだった。先に店の外にると、めっきり夜も更けてしまっていた。まさかこれからホテル……なんてことにはならないんだろうなと秋尾はもう諦めてしまっている。
楽しげにガチャで出てきたフィギュアを眺めている朱葉に、秋尾がため息まじりに聞く。
「こんなんで、いいの?」
「え、これめっちゃ可愛くないですか?」
「それじゃねえよ」
その皿にのっているフィギュアではない。思わずつっこんでしまった。そうじゃなくて。可愛いですけど。
「こんなんでいいのかってこと。初デートでしょ」
問われた朱葉はちょっと笑って、頷いた。
「めちゃくちゃ楽しかったですよ」
どこか、ふっきれたような様子でもあった。
「色々、不安もあったけど。どうなるのかなって。でも……卒業しても、一緒にいて楽しいの、よかったなって、思います」
あと、と続けた。
「秋尾さんと、キングと、念願のご飯が出来て、嬉しかったです」
そんな風に、嬉しそうに笑われたら、説教の気持ちも失せてしまうというものだった。隣で黙っていたキングが、とん、と秋尾の背中を叩いて言った。
「マコの負け」
はーい、負けでいいですよ……と秋尾が両手をあげる。キングの判定は、絶対だ。常に。
焼肉でも、回転寿司でも、本人達が、いいならいいのだ。
……ただちょっと、腹が立つので、桐生のことは最後に蹴りをいれたけれど。
朱葉と桐生、これから二人にどうするのかと聞いたならば、「サントラをかけて湾岸ドライブ」らしい。それはそれで、楽しいことだろう。もしかしたら、そのあとチャンスらしいチャンスが……ないだろうけども。
「俺達は、どうしますかね……」
車に乗り込みながら秋尾が言うと、助手席で膝をかかえるキングが、ガチャで出てきたマグネットを見ながら、ぽつりと言った。
「ちょっと、映画、興味ある」
その言葉に、思わず秋尾は眉を上げる。基本キングはインドア派なので、映画館などには出向かない。そのキングが、映画が見たいと言うのだから。
「よろこんで」
俺にとってもいい映画だし、素敵な夜だと、秋尾は手のひらを返して、桐生に感謝した。
結局一部始終を聞かされた夏美も、「一回見て!!」と言われ映画を見に行く羽目になり、夢女としてヤバイ落ち方をして、うやむやになっていくのだが、『アフター焼肉事件』に並ぶ『初デートファミリー寿司事件』は長らく二人の周りで語り継がれることになるのだった。
二人の道のりは、まだまだ長い。
番外編はこれまでの縛りをゆるやかに解いていくので、色々な視点が入り交じりますよん。
ではではまた、お会いしましょう。