114「……逃げられた」
コミカライズ第一巻、発売日です!!!どうぞよろしくお願いいたします。
その事件は、センター試験の真っ最中に起こっていた。
「……は~」
ざわつく教室で突っ伏して朱葉が大きくため息をついた。
センター試験明けの教室だった。一応自習ではあるけれども、自己採点を終えて悲喜こもごも騒がしい。
朱葉は、ひやっとしたところもあったけれど、一応、目標のラインは越えていた。問題なく、志望校の二次試験は受けることが出来るだろう。他にも滑り止めの私立をうけるし、油断は出来ないけれど。
自己採点の結果を持って生徒指導室に入る。
「失礼します……」
ぱっと中にいる桐生と目が合って。
「………………」
がくっと、桐生が脱力したようにうなだれた。
「えっ何それ!? わたしなんかしました!?」
「してない。なにもしてないです。早乙女くん悪くない」
ちょっと、心労が出た、と桐生が言う。確かにセンター試験から桐生の顔色はずっとよくなかった気がする。今朝も。
「どうかしたんです?」
「いや……いや。早乙女くんの採点結果から聞く」
座りなおして、教師らしいことをしっかりと終えてから、しみじみと桐生はため息をついた。
どう声をかけようか、と朱葉が思っていると。
「……逃げられた」
絞り出すように、桐生が言う。
「え?」
「都築に」
「へ?」
あっけにとられた顔をしている朱葉に、桐生が、一言。
「センター試験の最中に……脱走しやがった」
うわぁ、と思わず、無感動に朱葉は答えてしまった。
朱葉と同じクラス委員である都築水生は、志望校決定にあたりかなりもめたらしいが、それでもとある大学を志望校として進学を目指すことで納得をした、かのように見えた。
最近は私立の大学でもセンター試験の結果を使うことが多い。問題なく都築も会場に現れはしたようだったけれど。
ほんの2教科ほどうけたあとに、ふらりと教室を出て行って。
そのまま戻ってはこなかったのだという。
「え、それでどうなったんですか?」
「どうもこうも……そこから先、電話もメールも全無視でまったく連絡がとれない……。元々両親も放任主義で……いや、人の家の話はこんな風にするもんじゃないな……」
「別に言いませんけど……うーん……」
連絡、とれる人いないか聞いてきますか? と朱葉が言う。けれど桐生は首をふった。
「いや、早乙女くんは自分の受験に集中してください」
こんなことも、本当は相談するべきじゃなかった、と言うのは、間違いなく本音ではあったのだろう。
「でも、一応、……クラス委員ですし」
一年、色々あったけど、それなりに一緒にやってきたので。
気になるといえば、気になるところだった。それに……朱葉とふたりになるまでは隠していたけれども、こうして憔悴している桐生を見るのも忍びなかった。
(それでも、真面目に学校に来てるって、言ってたのにな自分で……)
さぼりがちだった、ようだけれども。その中でも。
この一年は、クラスの真ん中で、陽気に頑張っていた気がするので。放っておくわけにも……とは思ったけれど。
「俺が」
ぽつりと、机に頬杖をついて、桐生が呟いた。
「俺が上手く、やれなかっただけなのかもしれない」
そんなことないですよ、と朱葉は思ったけれど。慰めみたいに言うのも、違うような気はした。
(そんなことは、ないですよ)
知らないけど。知らないけどね。
上手くやっていたかは知らないけれど、出来ることをやっていた気がするのだ。
「なんか……出来ること、ないんでしょうか」
「あるよ」
少し苦笑をうかべて、桐生が言う。
「このまま、問題なく二次試験を終えてくれたら。それが、早乙女くんに出来る最高のことだよ」
それはそう、きっと、そのとおりなんだろうけど。
わかっていたけれど、先生と、生徒で。
遠いなぁ、と朱葉は思った。
『いや、それは、桐生の言うとおりだよ』
そう音声通話越しで朱葉にいったのは、珍しいことではあったけれど秋尾だった。
センター試験が終わったところを見計らって、新年の挨拶と励ましの連絡をくれたので。
言うべきことじゃないとも思ったけれど、気になってしまって気もそぞろになるのが嫌で、朱葉は秋尾に相談してしまった。
通話がかかってきて、手短に、と言いながら秋尾は言った。
『そもそも朱葉ちゃんに言う弱音じゃないよね。その通りでも、そこは間違ってる』
秋尾は、詳しくはないが、それでも桐生の悩みを少なからず知っているようだった。
『そのクソガキな生徒のことはさ、ずいぶん長く、桐生も色々言ってたけど……。朱葉ちゃんに対する所業はおいといても、もうちょっとで一生ものの、好きなことを見つけられると思うんだ、ってそんな風に言ってて』
一生ものの。
好きなこと。
桐生の言いそうなことだなと、朱葉は思う。朱葉もそれを、とてもよく信じてもいる。
『でも、俺は懐疑的だよ』
と秋尾は言う。
『あいつは好きなことで人生を楽しんで、好きなことに救われたから、そういう宗教なだけだ』
ゆっくりと、優しい言葉を選んで。
『それを、生徒に押しつけるのは、エゴだって、俺は思うね』
厳しいことを、言った。
それも、そうだと、朱葉も思った。
『朱葉ちゃんは生徒だから、桐生のそういう至らなさをフォローする必要は全然ないよね。桐生だって望んじゃいないと思う。でも』
音声の向こうで、苦笑をしているのがわかった。
『俺はあいつの友達なのでね、あんなやつでもね。……だから、俺は、無理と失礼を承知で、力になってやれるなら、なってやってほしいとも思うよ』
その言葉に返事をする前に、あ、キングがかわってって。珍しいね、という声がして。
『アゲハ』
キングの低い声が耳に届いた。
『そんな奴らはみんな放っておいて、はやく合格して一緒に遊ぼう』
その言葉に、笑ってしまう。キングなりの、優しいフォローだと思った。そうして短い音声通話を終えて。
(……うん)
とりあえずは、勉強を進めようと、机に向かった。
波乱と胃痛の入試編、もうちょっと続きます。