112「力が……力が欲しい……」
治ったはずの風邪をぶり返して、クリスマスはおろか終業式も出られず冬休みになった。
「もー! 心配したんだからね!!」
山ほどプリントを持って夏美がやってきて、色々聞かれたし、色々責められもした。言えたこともあれば、言えなかったこともある。
プリントの束の一番上には、「お大事に」の一言。メモで。そうあったからには、家まで見舞いにくる気はないらしい。
今度は。と朱葉は心の中だけで思った。
けれど、終業式の終わった日の夕方、家の電話が鳴った。セールスでもなければ鳴ることの少ない固定電話だった。
「朱葉~! 電話よ! 学校から!」
学校から? それってつまり……と思いながら、机から顔をあげて、子機を耳に当てた。
『こんにちは』
「……こんにちは」
学校の電話なのだろう。向こうからはまだざわめきが聞こえる。
クリスマスの、つかのまの逃亡騒動、あれからずっと、顔を合わせてはいないし、なんなら会話も、久しぶりだった。
『どうですか、体調』
桐生は事務的に、あくまでも生徒を案ずる口調で言う。
「熱はすぐさがったので……でもぶり返しだったので、一応大事をとって……」
『うん、その方がいいと思います。わかっていると思うけど、大事な時期だし』
「はい……」
『気落ちは、していない? 受験に対して不安とか。……色々』
「そう……そうですねぇ……」
含みのある質問に、ちょっとだけ考える。
電話でよかったなと、心底思ったし、もしかしたら向こうもそう思っているのかもしれない。
面と向かって話すのは、なんだか恥ずかしいし、恥ずかしいということも、ばれたくはない。
だから、こうして、予行練習が出来るのは、ありがたかった。
「あんまり……考えないように、してます。色々。不安とか、ありますけど」
『うん』
「考えたって、仕方ないし」
『そうだよ。早乙女くんは十分これまでやっているので、積み重ねたことが、結果になって出ると思います』
「でも、出ないかもしれないじゃないですか」
『うん。……それでも、最後まで指導をします。責任をもって』
大学受験だけが人生ではない。
でも、ひとつの大きな節目として、頑張っておいたほうが、どんな結果でも後悔は少ない、というようなことを桐生は言った。
『やりたいことのある人間の人生は、それくらいで勝敗が決まったりはしない』
だから、早乙女くんは、安心して頑張って下さい、と、先生らしく、桐生らしく言ってくれた。
『何か他に、心配ごとは? 提出書類のこととか』
「うーん、ないですけど……あー……」
ちょっとだけ考えて、朱葉が聞く。
「すみません、こんなこと、聞いちゃ、いけないって思ってるんですけど……」
ぽつぽつとした言葉に、桐生が耳を澄ますのが、気配でわかった。
少し情けない質問を、朱葉はした。
「先生今、欲しいものって、なんですか……?」
机に広げられた手帳、その一番最初の方に書かれた予定。誰のとは、書いてないけれど。年明けすぐの、BIRTHDAY。
『今……今か……』
桐生はちょっと考えて、言う。
『力が……力が欲しい……』
ん? と朱葉が思っていると、続く。
『著作権違法サイトをすべて撲滅させる……力が……』
「あー」
それはちょっと無理かな? と朱葉は思う。
いや、撲滅はして欲しいけれど。
そういう風の、神様では、ないし。
『っていうのは冗談で』
「いや今全然冗談じゃなかったですよね。結構マジなヘイトたまってましたよね」
『たまってますけどまあ関係ないですね。普通に、今一番欲しいのは、クラス全員の合格通知ですよ』
「ですよねー」
いざ先生にプレゼントをあげようと思っても、決まりきらないのだ。
この時期じゃなかったら、絵を一枚か、まあ、出血大サービスでコピー本の一冊でも描いてあげたら、多分一番喜んでくれるだろう。まず間違いなく神になれる。でも、今それをやるのが流石にまずいと朱葉もわかってはいた。お互いに、幸せなエンドのためには、我慢しなきゃいけないことだって、あるのだ。
じゃあ何かお金を出して買おうかと思っても、「欲しいものは欲しいと思った時に買っている」というのが、桐生の生き方なので。
あげられるものが、思いつかないし、正直なところ買いに行く暇もなかった。
『というかまあ……先日も、十分、もらいましたので』
「………………」
ずるずるずる、と座っている椅子から滑りおちながら、朱葉は誰にともなく顔を隠して言う。
「もうないよ」
『うん。十分』
今はね、と続く。朱葉は奥歯を噛みしめる。言葉にならない気持ちで。
照れを誤魔化すように言う。
「そういうこと言うと、勉強がですね! 手につかなくなったらどうするんですか!?」
『困るよ。それが一番困ります』
桐生もマジレスだった。まあ、そうだろうと朱葉は思う。
『だから本当、そういうことは考えなくてもいいです。その間に法則のひとつでも覚え直してください』
「はい……」
その方がいいのだろう。朱葉にもわかる。
でも、ずっと色々、もらっているから、返したいのだ。
何も出来ない自分がはがゆい。そんな風に、落ち込んでいたら。
『じゃあ、年賀状ですかね。コンビニで売ってるような、既製品で、いいので。そこに、受験勉強の現状報告もちゃんと書くように。俺も今年は合格祈願で全員に送りますので』
既製品? 手書きじゃなくていいの? と朱葉は思うけれど。
あれ、そういえば……と朱葉が思い出す。
去年も、出さなかったっけ? これに書けって住所いりを渡されて……。ちょうど、その年賀状も、年明けしてしばらくあとに、ついた、はずだ。
「先生去年自分でプレゼントプロデュースしなかった?」
『最高の誕生日でしたね』
このやろう、と朱葉は思う。その気持ちは風のように流して。
今年は一言でいいので、その分は是非、勉強を頑張って。それが一番です、と桐生。
『まあ、欲を言うなら……』
そこでぽつりと、付け加えた。その言葉に、朱葉はまた赤くなってしまって。
子機をリビングに戻すのに、しばらく時間を要した。
年が、明けた。
今年も例年のごとく年越しはオタク友達とのボードゲーム大会で、色々根堀葉堀と聞かれながら、教師の苦労というやつもいたわられた。
桐生は年明けすぐの誕生日なので、これといった誕生日の思い出がない。クリスマスとお年玉のあとでプレゼントもちょっとおざなりだったし。
だから、元旦よりも数日遅れて届いた、朱葉の年賀状を少し寒くなった一人暮らしの部屋で眺めた。
言ったとおり、既製品の可愛い犬の年賀状に、手書きのペン書きで、桐生も好きなキャラクターが「調子にのんなヨ!」と喋っていた。
「はは」
その微笑ましい台詞に、笑ってしまう。思わず呟く。
「乗ってましたね。本当にね」
誕生日、去年と同じように、ハガキをもらえたら、嬉しいけど。
『早乙女くんの気持ちを聞いてみたいかな』
そう、受験の話にかこつけて、言ってみたのは。ちょっとだけ、桐生も気にしていたのだ。
じりじりと、距離をつめては離れ、たまに、してはいけないことをして。
多くのものを与えて、多くの時間をもらって。多分、心も。そのうえで。
だめなら、だめでも、仕方が無い。
桐生にとっては、神様だから。好きは、当たり前のことだけれど。もちろん、それが過ぎたことだともわかっていたので。
調子にのんなヨ、というのも、うなずける。
その、キャラクターのすぐ横に。
『新年おみくじガチャ』
と手書きの文字と。なつかしいような、コインで削る銀隠しのシールが貼ってあった。
(……?)
近くにあったダブルクリップの角で、銀シールを削ると。
大、と朱葉の手書きの文字が見えて。
「大吉かな」
そう思いながら、続きを削って。桐生は机につっぷす。
『早乙女くんの、気持ちを』
聞いてみたい、と言った。朱葉からの、新年のおみくじガチャは。
銀シールの下、小さな文字で。
【大好き】
たった、一言。
「………乗るでしょ、これは」
調子にも。
乗らない方がおかしいというもので。
どうにか、絶対、どうしても。
大学に、受かってくれよと、気合いをいれて、神頼みにいかねばならないと桐生は思った。
あけましておめでとーございます!!!
今月は! お年玉! コミカライズが発売になります!
どうぞ、よろしくお願いいたします!!