111「先生として、ファンとして、男として」
前話から連続更新です。最新話とびに来ている方ご注意下さい。
大丈夫かと問われて大丈夫と答えた。でも、本当は大丈夫じゃなかった。全然。
ただ、まだ現実味がなくて、「先生、なんで、ここに?」起き上がって座り直しながら聞いたら、
「これ」
スマホの、メール画面が見せられた。
確かに、文化祭のやりとりなどで、朱葉も桐生の個人アドレスは知っている。……連絡したことは、ないけれど。
差出人は都築水生とあった。
本文には写真が添付されていた。このカラオケボックスの看板。
文章は一言だけ。
>>デート中❤❤❤
「早乙女くんはまだ休みだと思ってたけど、なんか、嫌な予感がして……。改めて家に連絡したら、今日は一度学校に行ったけど早退したって聞いて」
少し距離をあけて、ソファにどさっと座った。
嫌な予感。それは、生徒だからだろうか。サボりが許せないから?
そういうんじゃない、とわかっているはずなのに、聞いてしまいそうな自分がいた。ひねくれていた。
桐生は朱葉の方は見なかった。その横顔だけを、朱葉は眺めていた。
外はすごく寒いのに、コートも着ずに薄着で、それなのにこめかみに汗が滲んでいた。緊張した面持ちのままで、ぽつりと桐生が聞いた。
「何、してたの。……デート?」
「だったら、どうしますか」
朱葉は自分の声が、くぐもっているのを感じた。マスクの中で。
桐生はすごく、すごく苦いものを噛んだような顔になって。
「……俺に、止める、権利はないし」
そんなことを、言うから。
「先生になかったら、誰にあんの!?」
思わず言っていた。投げるものがあったら投げていたと思う。近くにころがったコップを投げなかっただけ理性があった。
鼻の奥が急に痛んだ。目の前がぼやけた。
なのに、癇癪を起こしたみたいに言葉は止まらなかった。
「どうでもいいの!? つきあってなきゃ、何してもいいんだ!? 先生が、マリカさんと会うみたいに、わたしだってデートでもなんでもすればいいって!?」
自分だけがこんなにも苦しいのかと、朱葉は思った。そんなはずもないのに。わかっているのに、言ってしまった。言ってるそばから、後悔が襲ってきた。
(違う、こんな)
こんなことを言いたいんじゃない、
いい子でいたい。
本当は。
好きな人を……大事にしたい。
「よくないよ」
桐生の答えは短かった。理性的だった。ただ、涙を浮かべて震える、朱葉の肩をぐっと掴んで引き寄せた。
その広い胸に、あまりに強く引き寄せられたから、顔は、見えなかったけれど。
「何もよくない」
言葉は低く、強かった。
薄暗いカラオケボックスの個室で。
煙草のにおいがしていた。
桐生は朱葉を抱きしめたまま、その耳元に言う。
「教師として、君の未来を心配する」
カラオケ機体の、うるさいMVに負けないように。
「ファンとして、君に一番幸せでいてほしいし」
低い……どこか、甘い声で。
「男として、君を誰にもやりたくはない」
腕の中で、ぎゅっと目をつむった。
(ああ)
ずっとこう言って欲しかったような気が、朱葉はした。
こんな風に抱きしめられたのははじめてだった。そうか、と思った。
(そうか、こんな)
こんなに気持ちがいいなら、都築くん達が、夢中になるのも、よくわかる。
身体と、身体。フィクションではいくらでも見たし、自分だっていくらでも体感してきたはずなのに。
好きな人とだと、こんなにも違うのだ。
桐生もそう感じただろうか。ゆっくりと、離れがたい身体を離して、気まずく目を細めながら桐生がいう。
「マリカと食事に行ったこと。本当に、天に誓って何もなかったけど。朱葉くんを不安にさせたなら、それはもう何もないとは言えない。……どうやって謝ったらいい?」
朱葉はまだ、耳の先まで、指先まで熱を感じながら答えた。
「いいです」
もう、いいです。もう十分。
欲しいものは、もらったからと。
けれど桐生は、引き下がらなかった。
「ちゃんと謝らせて。そうじゃないと……こんなのはやめてくれって、言いづらい」
こんな? と朱葉がぼんやり尋ねかえせば。桐生は朱葉の肩を、つかんだままで。
「──俺がこんなに我慢してるのに、気安く誰かに触られるのは、頭にくる」
そう、吐き捨てるように、言うから。
「じゃあ、先生」
朱葉はまだ、ぼうっとした頭で、乾ききらない涙の浮かんだ目で、言う。
「……先生のしたいこと、してほしい」
その言葉に、桐生は朱葉がわかるくらい、目に見えてかたまった。
ずいぶんな、沈黙のあと。
「──そういうのは、しちゃいけないから、しない」
意気地なし。
って思ったけれど。
なんだか急に朱葉も恥ずかしくなって、いそいで距離をとってのびをした。
身体をのばしたかったわけじゃなくて、気恥ずかしさを誤魔化せたらなんでもよかった。
「あーあ」
わざと明るい声で言う。
「こんな時期に、遊んじゃった。楽しかったけど、ちゃんと勉強もしますね。デートじゃないけど、デート気分、悪くな……」
かったですよ、なんて。
ふざけまじりに言ったら、いつもの調子が戻ってくると、思ったのに。
「朱葉くん」
ぐっと、強い腕で、肩を再度引かれた。
あ、と思った、次の瞬間にはもう遅かった。
音が、止まった、と思った。そんなわけないのに。全部の音が聞こえなくなった。
「っ」
唇が、押し当てられる。熱を感じる。頬でもない。額でも、鼻でもない。
唇。
直接じゃなかった。薄いマスク一枚隔てて。けれど。
(あつ、い)
触れるだけの、キスじゃない。
溶けそう。食べられる。すごい、いる。ここに、ある。
全部、もって、いかれそう。
都築の時は、あんなにも、反射で、全力で、拒否したのに。その熱を感じたら、身体から、力が抜けてしまう。
どれだけそうしていたのかはわからない。ほんの数秒のことであったかのようにも感じられたし、かと思えば、永遠に、終わらないかもしれないと思った。
終わらなくてもいいって、少しだけ。
「──熱いな」
離れた唇から吐息を間際に感じるのさえ肌が粟立ちそうだった。胸の音が聞こえないように朱葉は自分の胸元をつかんだ。制服の下、そこにある、……お守りを。
どんな顔をして顔を上げたら良いのかわからない、と朱葉は思っていたけれど、桐生はどこか焦ったように、その大きな手で朱葉の前髪をあげて額を包んだ。
そうして見上げる桐生はもう、「先生」の顔で。
「早乙女くん……君、また熱があるよ」
誰のせいだよ、と朱葉は、まだぼんやりした頭の片隅で、なじるように、思った。
結局そのまま天罰があたったのか、風邪をぶりかえし、終業式にも出られず遅れた受験勉強のリカバリでクリスマスも台無しだったのだけれど。
多分、一生忘れないクリスマスだと、朱葉は思った。
長い時間かかってごめんなさい。
ものすごく、キャラクターと、物語と、格闘して。
もーーーー何はともあれ、メリークリスマス。いいクリスマスを!そしてよいお年を!!!!