110「俺じゃだめ?」
どこに行くの? と朱葉が聞いたら。
とりあえずパンダ! と都築は答えた。
怪しまれないようにそれぞれ学校を出て駅で待ち合わせ。ペットボトルのお茶を飲みながら、パンダが生まれたばかりだという動物園には行ってみたけれど、当然パンダは見られなかった。
見られなかったパンダのかわりではないけれど、街はパンダグッズであふれかえっていて、テーマパークみたいだった。街を見るだけでも楽しかった。
インスタにでも上げるのだろうか、都築はパシャパシャと写真をとりまくっていた。
都築と違って、朱葉は学校をサボるようなことははじめてだった。一応、養護教員を通じて、「病院に寄って帰る」ということにしてある。罪悪感は、なくはない。でも、少しだけ、優等生でいることに、飽き飽きしていたのかもしれない。
それからゲームセンターに二人で行って、朱葉は結構自慢のUFOキャッチャーテクを披露した。
いやに古ぼけたカラオケルームに入った。
煙草のにおいがしみついて、薄暗かった。フリータイムもなくて、時間制だった。
「穴場なんだよ」
と都築は言った。
「値段?」
「んーん。補導とかの見回りがねーの」
呆れた、と朱葉はため息をついた。
相変わらず都築は歌が上手かった。朱葉もちょっとだけ調子にのってアイドル曲を歌ったら、都築にはうけたけれど喉を痛めてしまった。慌てて都築がホットのゆず茶を頼んでくれた。
そういうところも普通の、高校生の、デートみたいだった。
お茶をのみながら休憩ついでに朱葉が言う。
「いつもこんな風にサボってるの?」
「んー。最近そうでもないよ。知ってるっしょ」
遅刻や一時の不在はよくあるが、確かに都築はサボりが多いわけではない。
「俺、三年になってから、わりと真面目に行ってるもん」
「二年の時はそうじゃなかったんだ?」
「うふ。若気の至り」
と、なめた返事。
「委員長こそ」
あっけらかんと都築が聞く。
「俺の誘いにのってくれるなんて。ねぇ、落ち込んでた?」
都築のその言葉に、朱葉は飲み干してもまだあたたかなコップで指先を温めながら、マスクをつけなおして、言う。
「…………別に、落ち込んでや、しないけど」
「うん」
真面目に都築は頷いた。
ここまで、都築はただ、朱葉を楽しませてくれた。気を遣ってもらっていたんだろうと、朱葉にもわかった。
だから、指先のあたたまるままに、ぽつりぽつりと言った。
「身体も、調子が悪いし」
「うん」
「受験も不安だし」
「うん」
「……………男の人って、よくわからないし」
「おお」
ばきゅん、とするみたいに、指先を朱葉の鼻に押しつけて、器用に片目をつむって言った。
「俺と、オトコの話、してくれる気に、なったんだ」
嬉しいね、と笑った。
「嬉しい?」
「うん。俺、ずっと、朱葉ちゃんとそういう話、したかったもん」
都築はそういえば、ずっとそんな風だった。
朱葉だけ対してでもないだろうけれど、いつも恋の話をしたがった。かといって、朱葉に思いを寄せるという風でもなく、相変わらず浮名を流しては、たくさんもめ事を起こしているようだった。
「でも、ちょっと残念かな」
「なにが?」
ふふ、と笑いながら都築が言う。
「朱葉ちゃんの方からそういう話、俺にしてくれるってことはさ、もう俺にほだされちゃくれないんだろうなって」
「どういうこと?」
うーん、つまりね、と隣から朱葉を覗き込むようにして、言う。
「俺にそういう話をするってことは、俺が安全圏に入ったか、朱葉ちゃんが安全圏に入ったか、どっちかってこと」
安全圏、という言葉を都築はつかった。
朱葉にはよく、わからなかった。どこも安全のような気がしたし、かと思えばどこも不安定なような気もした。
何もわからない。
普通の恋愛なんかじゃ、なかったから。
「ま、安全圏から打ち込むことだって、得意なんだけどね」
そして都築は、自分の膝に頬杖をついて、言った。
「朱葉ちゃん、今日、楽しかった?」
「楽しかったよ」
素直に、朱葉は言った。これまで少し、落ち込んでいたし、なんなら少し、自棄になっていた。けれど、気分がだいぶ晴れた。
都築が、これまでと同じ、軽い調子で言った。
「俺じゃだめ?」
「うん」
朱葉も、自然な調子で頷いた。「だめかー」と都築は言った。笑ってはいなかったけれど、悲しんでいる様子でもなかった。
朱葉はゆっくりと、伝わるように言った。
「わたしじゃなくてもいいんでしょう、都築くん」
「うん」
朱葉みたいに素直に都築は頷いた。お互い素直でいられることは、楽なことだと思った。
隠さなくていい。周りにも。自分にも。
──でも、都築じゃないし。
都築だって、朱葉じゃない。それを、誤魔化したってしかたない。
「なんか、ずっとうらやましいんだよね」
ため息をつきながら、都築が言う。
「朱葉ちゃんは、好きになったことも、好きになった相手も、大事にしてる感じがする。俺も、そういう風に、好きな子に大事にされてみたい」
そこでようやく朱葉は、都築がずっと、朱葉を執拗に追いかけてきた理由を知れた気がした。
そんなことないと思った。別に、全然大事になんて出来ていない。すぐ怒るし。憤るし、諦めるし。でも。
大事に出来てるかわからないけれど、大事にはされている、と思った。
そして。
「出来るよ。都築くん、出来るよ」
都築がそういうことを、出来ない人だとも思わなかった。
「いつか、そういう人、会えたら、いいね」
大事にする、だけじゃなくて。大事にしてもらえる、ように。でもそれは同じことのような気も、朱葉はするのだ。
「うん」
ありがと、と都築は言った。そしてそれから、隣にあった朱葉の手を握って、言った。
「大事にするのが得意な朱葉ちゃんに、俺からもアドバイス。大事にするだけじゃなくて、たまには、欲望丸出しにしないとダメだよ。そうしないから、そんなに不安なんじゃない?」
そう言われて、朱葉は苦笑する。
「欲望って、どんな?」
油断を、していなかったといえば、嘘にある。手を握られても、振り払おうとしなかったのは、なんとも思っていなかったからだ。でも、そんなのは多分理由にはならなかった、と、あとになってみれば思う。
都築はちょっと笑った。少しだけ、悪い笑顔だった。
「たとえば、こんな」
そうして顔が、近づいてきた。
(え?)
ふりはらおうと思った。でも、手が、動かなくて。握られていたから。
(ええ?)
のけぞったらソファに倒れた。
倒されるような格好になって、よけいに、まずい、と思った。混乱して、ぎゅっと強く、目を閉じた。その時だった。
「ちぇ」
鼻先で、小さな呟き。
「思ったより、早かったな」
騒がしい音楽の中でもわかるような大きな足音の次に、ドアの開く、音がして。
「朱葉くん!!!!!」
コートも着ずに、駆け込んできたのは、桐生その人で。
「おー先生~あのメールでよくわかったね?」
すでに飛び退いていた都築が、ひらひらと手を振る。
「都築、お前……っ」
「朱葉ちゃんちょっと調子悪いから休んでるよ。先生にパスすんね~」
「お前、何を」
とん、と都築の指が、桐生の胸をつく。
「なんもしてねーけど、先生がなんもする気ないなら、俺がするよ」
じゃあね、朱葉ちゃん、お大事に、と都築が笑う。
俺のサボりに付き合わせてごめんね。言いながらドアの向こうに出て行ったけれど、もう一度ドアを開け直して。
「ちなみに、ここ、補導もこないし、カメラもついてねーから」
どうぞ、ごゆっくり。
そんな言葉を最後に、ドアの向こうで響くクリスマスソングが、扉がしまると、遠ざかっていった。
メリークリスマス。連続更新です。