107「オタクの予定は半年先まですでに決まり続けるからな」
早乙女朱葉は、考える。
授業もどこか上の空で。
先生からこれまでもらったものって、何があったっけ。
最初にもらったのが、お金だった。
そう言うとめちゃくちゃ怪しいな、と朱葉は思う。でも間違いない。お金だったし、それは対価だった。自分の、同人誌の、新刊の。
それから、感想をもらった。
応援してますって言葉を。
それがすべてのはじまりで、それからもらったものは、そんなに多くはない。少なくも、ないけれど。
ドリンクチケットつきのポストカード。
多分決して安くはないボールペン。
ネット課金のためのコード。
部室の備品はノーカンだとして。
──お守りの、指輪。
それから他に、何が欲しい? と聞かれたら、難しいなと思ってしまう。欲しいものはなんだろう。シークレットのグッズ? 作画に使えるもの? キャラクターのケーキ……。
たとえば自分が桐生にあげるプレゼントなら、いくらでも思いつく。結局、自分の描くものを一番好きでいてくれるだろうという、傲慢があるから。
(絵、以外、だったら?)
欲しいもの、あるだろうか。どんなものをあげるだろう。
もらうものだって、オタクもの以外だったら?
(よし、じゃあ推しカプで考えてみよう)
どこまでも朱葉は腐女子だったのでそんなことを思った。
花に貴金属、化粧品なんて大人っぽいし、ロマンチックだ。
もうちょっと、実用的なものだったら? 腕時計をプレゼントするのって、意味深なんだっけ、どうだっけ。
はっと気づいて、思う。
(……合鍵、とか!?)
いやいやいやいやいや。
いやいやいや。
ベタが好きだけど。すぐ同棲、同居パロ描きたがりがち腐女子ですけど!
もらってどうする、と思う。
もらっても困る。嬉しいかと言われたら微妙だ。第一、持っていたら問題だ。そう、恋人でも、ないんだから。
(恋人でもないんだから……)
制服の下の、指輪を指先が無意識になぞる。
(何が、欲しいかなぁ……)
別に何もいらないな、とも思う。
(何もいらないけど、このまま)
このまま学生生活が続いたら、どんなにいいだろう、なんて。
それこそ、ないものねだりだと、朱葉は浅く、ため息をついた。
「早乙女さーん、次だよー」
「あ、はあい」
昼休みになって、面談の次の番がまわってきた。夏美から謎の応援を受けながら、少し緊張もしつつ、生徒指導室に入って行く。
「失礼します……」
そういえば、文化祭からこっち、朝の活動もしていないし、模試や補習続きで全然ゆっくり話していなかったっけ……と思いながら入っていったら。
「ああ、早乙女くん。誕生日おめでとう」
座ったまま顔をあげた桐生が、何の前振りもなくそう言った。
「あ、ありがとうございます」
ちょっとその発想はなかったな、と思いながら、机の向かいに座る。
「で、これが誕生日プレゼントになります」
「わぁ……」
開いた紙を覗きこみ、朱葉が声をあげた。それからちょっとだけかたまって。
「わ、わぁ…………」
「目を背けない」
「わぁ~~……」
「現実を! 直視する!!」
「え、これやばくないです?」
「やばいでーす」
ですよね、と朱葉が言ったのは、他でもない、誕生日プレゼントとして広げられた……先日の模試の結果だった。
「ご、合格圏内から、出ちゃってる……」
これまでの模試では、点数の上下はありながらも、かろうじて志望校の合格ラインにのっていたはずなのに、今回はそのラインを下回ってしまっていた。
これはやばい。
誕生日なんて言ってる場合じゃない。
「え、えーーーーー泣きそうなんですけど! ちょっと! どうしよう!? ってか自己採点こんなに低くなかったはずなんですけど!!!!!!!!」
「泣かない泣かない。俺も気になって見てみたんだけど、なんかこれ英語のリスニング、全然違ってるんだけどこれ、マークシートずれかなんかじゃないか?」
言われて慌てて詳細を確認したら、確かに、自分が答えたと思っていた箇所が、ことごとく間違っている。……単純な、ケアレスミス、だった。
「そういえば……この時めっちゃお腹いたくて……全然集中出来てなかった気がする……」
「またか。だから生活習慣を改めなさいと何度言ったら……」
「痛み止め飲み忘れちゃったんです!!! あーーーでもめっちゃショックーーーー!!!!」
生徒指導室の机に突っ伏しながら朱葉が嘆く。
その落ち込みように、桐生がため息をつきながら言う。
「ここで下手打っておいて、本番じゃなくてよかったって思うところだろう」
「でも本番でもやるかもって思っちゃうよ~!!! 怖すぎる~!!!!!!」
「びびってるとまたやるぞ~」
「先生面白がってるんじゃないですか!?」
あまりのショックに、八つ当たりみたいに言ってしまった。
「どうせ先生、わたしが落ちればいいとか思ってるんじゃないの!? 浪人生になれば、オタク活動する時間あるからって!!!」
「早乙女くん、君ね……」
呆れたように、桐生が言う。
「んなはずないでしょう。そりゃ、受験の逃避から創作ははかどるかもしれんが、常に後ろめたさのつきまとう中、遊びに誘ったり出来ないですよ、俺も」
その言葉に、朱葉はうなだれたままで。
「…………………誘って、くれますか」
ぼそぼそと、小さな声で言う。
「大学生に、なっても。遊んでもらえますかね、わたし」
さすがに、ショックだった。自分の自己管理の甘さにも、この結果にも。それなのに、誕生日だからといって浮かれていた事実が、一番恥ずかしかった。
八つ当たりだって、したかったわけじゃない。まっとうに頑張って、まっとうに楽しみたい。いつだって。
でも、なんだか心がぐちゃぐちゃになってしまって、思わずそんなことを聞いてしまった。
桐生はその言葉に、いよいよ呆れた風にため息をついて。
「早乙女くんが、行くって言えばね」
そんな、人任せにするみたいな、冷たいことを言うので。いよいよ朱葉がどうにもさみしくなって、顔を上げられなくなった、その時だった。
「はい」
ぱすん、と頭を軽く、何かで叩かれる。
思わず顔をあげたら、包装紙で包まれた、シンプルな包みがあった。
「どうぞ」
「……なんですか、これ」
「プレゼント。誕生日」
開けて。と言うので、朱葉はおずおずと、包装紙を開いていく。
薄い本、にしては、ちょっと小さいし。
革のような、キャメルの色合いの材質が見える。財布だろうか、と思ったけれど、購入してから一度封を開いてあるそれの中身をあけて、朱葉がぽつりと言った。
「スケジュール帳……」
「うん。来年の。……春からのもあったけど、とりあえず、年明けからのやつ」
しっとりとした表紙が手になじんだ、白紙のスケジュール帳だった。サイズは財布くらいで、長細い。
どうやら中のリフィルをいれかえられるようで、最後のページには、差し込み式のポケットがつけられていた。
そして、その中に。
「これは……?」
白や、緑や、青やピンクの、いくつものチケット。前売り券。参加券。いずれも日付は、来年のもの、受験が終わったあとのものだけれど。
「早乙女くんさえ、よければ」
頬杖をついたままで、桐生が言う。
「全部、俺が一緒に連れていきたい現場」
受験が終わって。卒業をして。大学生に、なったら。
「で、でも、こんなに、行けるかわかりませんよ。予定が入るかもしれないし……」
イベントとかもあるかもしれないし。
「もちろん日付の変更もリスケも受け付ける。そうじゃなかったら誘えないし」
しみじみと桐生が言う。
「オタクの予定は半年先まですでに決まり続けるからな」
「それな……」
朱葉はそれほどたくさん現場を行くわけではないが、現場を見ているオタ友達を見ているとわかる。
狐につままれたような気持ちで、チケットを見ていた朱葉だったけれど、その一枚を見てハッとする。
「せ、先生、でもこれ、地方のも、ありますよ……?」
うん、と桐生がなんでもないことのように、頷いて言う。
「行こうね。遠征も」
エスコートするよ。どこだって。
そう、改めて言われて、朱葉がなんと答えていいかわからなくなり、ただ、耳と首元が赤く染まるのがわかった。
桐生は改めて真面目な口調になると、淡々と言う。
「ちなみに合格しなかったらナシだから。全部返してもらうから、そのつもりで」
「ううう……」
「合格まではその予定を書き込むこと」
そしてふっと笑うと言った。
「ちゃんと合格して、卒業したら、解禁な」
18歳、おめでとう。と囁く。
朱葉は、なんだか急に照れてしまって、模試の結果でプレゼントを隠すように片付けて、部屋を出て行こうとして。
「……先生、いっこだけ聞いていいですか?」
新しい、スケジュール帳。
その、一番最初の予定として。
桐生の誕生日を、書き込むことにした。
というわけで、「スケジュール帳」が正解でした。
加えて「各種チケット」なわけですが(こちらはかなり近しい予想をくれた片も!)
結局のところは、一番嬉しいプレゼントは、「約束」だったのかもしれないなって思います。
そんなこんなで、ゆるゆると、季節は冬にむかいます。