105 文化祭編 終
教室の方はずいぶん騒がしかったけれど、朱葉が午後から常駐していた漫研の展示は、閑散とまではいかないけれどのんびりとしたものだった。
他の部活も入っているのだけれど、という下級生に兼部の相談にのったりしながら、朱葉がスケブを描いていると(手が空いているとやってしまう。ただの癖だ)。ぎょっと目を引くような客が現れた。
「キング!?」
と、一緒にいるのは秋尾だろう。顔がわからないが。顔以外も全然わからないが。思わず呆然と言う。
「な、なんですかその格好は」
「お祭り?」
小首を傾げてキングが言うと、朱葉の顔をじっと見つめる。
「な、なんですか……」
ちょっと嫌な予感がした。こういう、時は、大体が。
「メイクが甘い」
ぱちん、とキングが指を鳴らす。(ほらやっぱり!!!!)と朱葉は思った。
「いいんです! いいんですこれコスプレじゃないですし! そんな気合いはいりません!」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ」
展示の奥に連れ込まれ、座らされる。こうなるとキングははやい。
肌をぬりなおし目元をととのえグロスを引いて、髪もあっという間にまとめ直して花までつけられた。どこから出てきた花なのだろう。それこそ魔法使いか。
「変じゃないですか!?」
変じゃない変じゃない、可愛い可愛いとまるめこまれ、二人は満足したようで。。
「じゃ、俺達はこれから少し撮ってから帰るので」
最後に秋尾が言い残す。
「桐生の始末をよろしくね」
ばいば~い、と嵐のように去って行った。
(先生の始末とは!?)
よくわからなかったけれど、楽しそうだったしよかった。あと、今の美少女すごいですねと下級生からめっちゃ聞かれた。うちの部はコスプレ部ではなかったはずだけれど、楽しいのなら、それもありかもしれない。
それから終わりの時間近くに夏美が現れた。男連れで。男連れで!
朱葉はそのことに目を丸くしていたけれど、夏美は夏美で、朱葉の変わりように目を丸くしていた。あと、キング作だとばれていた。なぜだろうか。
「こんにちは」
と夏美の連れてきた男性はやわらかく笑って朱葉に言った。
朱葉は挨拶を返しながら、考える。
(似てる……かなぁ?)
似てるような気もするし、似てないと言えば全然似ていない。部誌をひどく珍しがっていたし、オタク趣味とは遠い人なのだろう。でも、夏美の早口の説明を、にこにこと聞いていた。
いい人だね、と嬉しかった。
「……それでね、朱葉ごめん」
夏美が耳打ちをする。
「今日の打ち上げ、断ってきちゃった」
クラスのみんなで、終わったあとはお好み焼きやに行く予定が立っていたのだけれど(もちろん音頭をとるのは都築だ)
「いーんじゃない、先輩と楽しんで来なよ」
朱葉は快く送り出す。嫌な気持ちにはならないけれど、友達に彼氏が出来るというのは、やっぱりちょっとだけさみしかった。
部誌はすべてはけることはなかったけれど、残ったのは二十ほど。来年の新入生歓迎にも使えるだろうし、達成感は特別だった。
(そう、来年も)
続いていけばいいなと朱葉は思う。
咲も終わり際に顔を出していった。いつもより深々と頭を下げる九堂と連れだって、はやめに帰っていく。
今日は両親と食事をして、部誌も見せるのだと言っていた。
部室の片付けは後日にして、鍵だけをかけて教室に行く。
朱葉が教室に行くと、よほど盛況だったのだろう、メニューにも売り切れがでていたし、店番をしていたクラスメイト達はくたくたのようだった。
「委員長~~」
さすがに疲れたと見えて装いにぼろの出始めている都築が、朱葉の肩につかまってくる。そして背後から覗き込むようにして言った。
「めっちゃ可愛いね」
「メイクが?」
「はいはい今日はよく頑張りましたね」「いやいや打ち上げが本番」という会話を交わしながら追い払っていると、もうひとりの本日功労賞であるところの、桐生がぐったりしながらドアのところに現れた。
ぐったりしているが、こちらは服装にもメイクにも崩れがない。多分仕上げた人間の腕の差だ。
「早乙女くんちょっと」
クラスメイト達はもう桐生の姿に慣れてしまったのか、自分達の仕事で忙しいようだ。呼ばれていけば、少しおさえた声で。
「メイク落とし預かってるだろう?」
と尋ねられる。誰から、とは言わなかったけれど。確かに、朱葉はキングと秋尾から、「これでメイクを落として」とひとセットを預かり受けていた。
「手伝って」
まだ騒々しい教室や廊下を抜けるように、二人歩いていく。どこに行くのかと思えば、あまり人通りのない通路の先に、懐かしい部屋。
「とりあえず入って」
生物準備室、の文字を見ながら、桐生が部屋に入る。「失礼します」とちょっとだけ、緊張した。
どうしようかな、と思ったけれど。
「鍵、閉めて」
と言われたので、後ろ手に鍵をおろす。相変わらず雑多な生物準備室は、相変わらず薬品くさくて、それなのにどこか懐かしかった。
カーテンをも閉めると、桐生はまずウィッグをはずして、ちょいちょいと朱葉を指でまねいて背中を見せる。
どうやらホックを外せ、という意味らしかった。
「わけわからんのだこの服。着にくいし脱ぎにくい。これから閉会式に出るのに流石にこれじゃまずい」
なるほど、と思いながら、朱葉が背面のホックとファスナーを外す。
「女子の方がわかるかと思って」
「わたしだって、そんなに詳しくないですよ」
朱葉がちょっと呆れながら言えば。
「まあ、口実」
と呟いた、それにつっこむ間もなく、日焼けの少ない背中があらわれてぎょっとした。
「下も脱ぐの、どうぞ!」
本棚の後ろに隠れるようにして、朱葉が言う。衣擦れの音がなんとなく落ち着かなくて、早口で朱葉が尋ねた。
「すごいですよねその服! 洗って返すんですか? どうやって洗濯するんですか?」
「さあ……」
クリーニングかな、けど変な疑いをかけられそう、と疲れた口調で言う桐生に。
「うちで洗ってきましょうか。お母さんならなんとかしてくれると思うし」
朱葉が普通に、お人好しな好意で言った。文化祭で使った服だといえば、親も怪しむことはあるまい。
「ああ、じゃあ、悪い」
助かる、とため息交じりの言葉。
「っと、じゃあ、あとは、化粧か……」
ちらりと振り返ったら、白衣なしの普段の姿に戻っていたので朱葉はほっと息をつく。まだ、顔はすごかったけれど。
「最初にこの拭き取りのメイク落としで落とすみたいですよ」
「ここにある水道じゃだめなのか?」
「だめですー、あーーそんな、ティッシュで拭くみたいにしちゃだめですって!」
「わからない」
どさ、と椅子に座りなおすと、投げ出すみたいに言った。
「やって」
子供みたいな言い方だった。疲れてるのは、わかったけれど。
「もー……」
朱葉はなんだか、居心地の悪いような、おさまりのつかないような、あとちょっと頭に血が上るような、なんともいいがたい気持ちで、桐生の顔からメイクを拭き取っていく。
気持ちがいいのか、どこかまどろむみたいな顔をしながら、薄く目をあけて桐生が言う。
「早乙女くん、可愛いね」
「はいはい、キングのメイクが?」
「ううん」
君が、と桐生が言うので。
その目にそのままメイク落としをぶちまけてやろうか、と朱葉は思ったけれど、額を強めに叩くだけで、誤魔化した。
「はあ」
それから洗顔をして、言われるままに雑に化粧水をつけながら、桐生が思わずと言ったように言う。
「疲れた」
「……疲れましたねぇ」
朱葉も答える。
「おつかれさま」
「おつかれさまです」
二人、並べた椅子に座って、どちらともなく頭を預け、つかのまの休憩を取る。
普通の、生徒と教師じゃない、二人。
密室で、久々に、二人きりで、とお膳立ては揃っていたけれど。
なんだか、こうしているのが一番幸福だなと思った。
そして、朱葉はなにとはなしに尋ねる。
「楽しかったですか?」
桐生は、これから、何度でもある文化祭だけれど。
朱葉は、これが、最後の文化祭だ。
少なくとも、教師である、桐生と過ごすのは。夏美の話とか、それこそマリカの話とか。色々したいところでもあったけれど。
出た言葉は、そんなもので。
桐生もぼんやりと答える。
「どうだかねぇ……まあ、でも」
桐生が羽織ったジャケットの、内側、ちょうど胸元のあたりを見せる。
なんだ? と朱葉が思えば、そこには見覚えのあるシール。
……朱葉の胸元にあるものと、同じ、ハートの8の文字。
「校内回った甲斐はあったかな」
と桐生が言うので。「ちょっと! 誰かの盗ったりしたんじゃないですか!?」と朱葉が言う。
「さてねぇ。運命も交渉次第、ってね」
久しぶりに、狡い大人の、狡い顔で、桐生が笑う。
そんなこんなで、騒々しいままに、文化祭は終わりに向かう。
用意から、当日まで、なんだかあまりにバタバタした文化祭だったけれど。
自分だって、楽しくなかったわけじゃないと、朱葉は思った。
長らくのお付き合いありがとうございました!!!!文化祭編終でございます!
ちょっと一週間ほどお休みをいただくかもしれないしいただかないかもしれない…でもとにかく一週間ほどばたばたしますが、また今後とも、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします!
いっぱいいろんなひとをかけて、たのしかったです!