10「土日はちゃんと10キロ卵孵化させてる」
クラスメイトが声をひそめて言う。
『早乙女さんってもしかして、桐生先生とつきあってるの?』
朱葉は思わず即答していた。
『なにそれウケる』
はは、と笑う。その自分の笑い声で、目をさました。
「…………」
ベッドの上で、身体をおとし、ぼんやりと朱葉は目をこする。
妙な夢を見たな、と思いながら。
桐生のいる生物準備室は、特別教室棟の奥にあり、部活のある音楽室や美術室と違って放課後は人の出入りもほとんどない。
けれどそれでも、準備室の前に来た朱葉は右を見て、左を見て、廊下に人通りのないことを確認し、『ノックすること。不在の可能性あり』と書かれた部屋を、素早く二回、叩いたあと滑り込むように部屋に入る。
ぴしゃん、とドアを閉めてため息をつく。この時点で、ファイル棚が目の前にあるため桐生の姿は見えない。ノックもこの棚の置き方も、生徒や他の先生に前触れなく入室されていることを嫌っているためだろうと、朱葉にはわかっている。
思春期の男子かよ。
いや、やっていることはそうそう変わらない。(サイトの巡回やオンラインゲームなど)
なので、中に入ってしまえば、早々外からは見えないし、放課後通っていてもばれることはない。あとは、話している最中に誰かが入ってきたら奥の棚の裏とかに隠れるって手もあるし。
問題は入る時と出る時だ。
出来るだけ見つからないよう気をつける。そうでなければあの……夢のようなことになってしまうかもしれない。
いや、あんなシチュエーションにはならない方がいいし、びびる気持ちがあるなら、来なければいい。本当はわかっているのだ。
別、に、頼まれて来ているわけではないし。
スマホがどうのとか、原稿がどうのとか、言い訳は、いくらでも出来るけど。
でも意識してこないようにするのもなんだか……違う、とも思うのだった。
だって、つきあってるどころか、好きでもなんでもないのに。
なんでもないのに、今日も朱葉は来てしまった。
「ちーっす……」
いつものようにファイル棚の奥に入っていくと、桐生は珍しく、タブレットではなく冊子を眺めていた。
しかも、漫画雑誌でもなければ同人誌でもない。
どうしたのかな? 病気かな?
と朱葉はちょっと心配をする。
「なぁ……」
薄い冊子(どうやら学校案内のようだった)を顔にはりつかせて、桐生が言う。
「早乙女くん的に一番萌えるスポーツってなんですか」
「なんですかいきなりそれ」
戸惑いを隠さず朱葉が聞けば。
「いやー来年はもしかしたらどこかの部活の担当任されるかもしれなくてさー。でも俺運動部って全然ピンとこないんだよな」
心底だるそうに桐生が言う。確かに、この学校には生物部がないので、桐生が出来そうな文化部の空きはなさそうに見える。
「運動音痴なんですか」
「自慢じゃないけど競歩がめっちゃ速い」
「走らないでくださーい、じゃねえか」
「あとスタミナもある。どれくらいあるかというとコミケに3日間フル参戦したあとにオールナイトライブに参加する」
「ヤバイ」
「土日はちゃんと10キロ卵孵化させてる」
「モンスター目当てかよ」
はぁ、と桐生がため息をつく。
「るかわがいるならバスケでもいい……」
「あ、わたし世代的にクロコなんで」
「テニスは歌って踊る方がいい」
「チャチャチャチャ~チャチャ、チャチャチャチャ~チャチャ」(腰を落として反復跳び)
「野球はだってお前……」
「がんばってんだもん!!」
「俺はフリーしか……」
「泳がない!」
「でも今コーチやりたいっつったら間違いなくあれだろ」
おもむろに顔をあげた桐生が、朱葉と指さし示し合わせて言う。
「「フィギュアスケート」」
あああああ、と二人エア転がりをしながらもだえる。
「なぜだ! なぜ俺の元にはゆうりがいないんだ!!!!」
「お前がヴィクトルじゃねーからだよバーカバーカ!!」
「俺にも愛を教えて」「世界女王になりたい」とひとしきり騒いでから、がくっと力を肩を落として言う。
「でも、部活なぁ……」
「いーじゃないですか。別に顧問だからってその競技出来なきゃいけないってわけじゃないでしょ」
フィギュアスケートは現実的ではないとしても、ぶっちゃけ泳げない水泳部顧問がいたっていいはずなのだ。監督業務と、引率業務。あとはまあ、練習場の確保ぐらいは必要かもしれないけれど。
わっと顔を覆って桐生が言う。
「運動部は休日に試合があるからイベントに行けない!!!!!!」
「ならおとなしく生物部つくっとけよ!!!!!」
しらんわ、というのが正直な感想だった。
「やっぱりそうするか。予算つけてもらうとして、来年は逃げきりたい……。再来年ならいいんだけどね」
「? なんで再来年ならいいんですか」
きょとん、と朱葉が聞くと、しれっと桐生は返答する。
「放課後部活あったら、早乙女くん遊びにきてくれなくなるじゃないですか」
「遊びにきてほしいのかよ」
思わずうわあ、という顔でつっこめば。
「じゃあ俺は昨日見た神アニメの話を誰と答え合わせしろっていうんだ」
ものすごく真剣な顔でそう言われて。
「それな……」
としか返す言葉がなく。
来ることに必然はないし。
来ないことに理由もないけれど。
やっぱりしばらく、見つからないようにするしかないようだった。