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腐男子先生!!!!!  作者: 瀧ことは
ある日島の中先生に出会った
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1「逃げるは一時の恥、逃すは一生の後悔」

「それでねアタシとしては最近の三次元推しメンがダントツ桐生先生なわけよ」

 と、河野夏美こうのなつみが早口で言った。

 即売会の売り子業務でノベルティのポストカードを透明フィルムに詰めながら。

「ね、マジにかっこよくない? あげはもそう思わない? 奇跡じゃない? 若いし細いし背高いしイケボだし清潔感あるし何より顔面プロ級だし28って年齢がまた美味しい。ぺろぺろいける」

 はぁ、と答えたのは早乙女さおとめ朱葉あげは。そのスペースの、主だった。

「しかも独身彼女なし」

「え、その情報いる? 推しメンの話だよね? 関係なくない?」

 思わず聞いてしまったら、すごい早口がかえってきた。

「え、めっちゃいるし。なんなら最優先事項だし。アイドルだって夢見せてくれてなんぼだし。スキャンダル絶許派だし。豚にも矜恃があるし」

「そもそも桐生先生はただの生物教師でアイドルじゃなくね?」

「だから~アタシの中で今一番アツイ三次元だって言ったじゃん」

 きけよー! と夏美が言う。いやあたしの話を聞けよ、と朱葉は思った。

 朱葉と夏美はサークルの主人と売り子という関係だったが、同級生で小学校からの幼なじみだった。つきあいは長いが、ジャンルはかぶったことがない。

「はーい、これである分終わりっ」

 透明フィルムが尽きたのを見て、夏美がいそいそと手鏡をとりだし前髪を整えた。元々美人だが、今日は爪の先まで気合いが入っている。

「今から出れば物販も余裕だと思うし、先あがってもいい?」

「いいよ。ありがとね。そっちもイベントの日にすまんね」

 夏美は現在、典型的な声優オタクだった。今日はこれから、ライブイベントがあるらしい。アイドルも好きだし、コスプレイヤーをカメラで撮ることも好きなので、週末はいつも忙しい。オタクに暇なし。

「アタシも買い物あったしいいってことよ! そいじゃ、明日また学校で~!」

「うん。健闘を祈る」

 はねた足取りでホールの向こうに消えていく背中を見送り、朱葉は書きかけだったスケブに目を落とした。すでに挨拶回りは終わらせたし、既刊と新刊の在庫も問題ない。スケブも今日はあとはこの一冊だけだ。お菓子や飲み物はあるしトイレもまだ余裕がある。何も問題がない、と思っていた。

 そう、その時までは。


「すみません」


 声をかけられて、びっくりして顔をあげた、のは。それが男の人の声だったからだ。

「あ、はい!」

 朱葉は慌てて接客のためにパイプ椅子から立ち上がった。

(珍しいな……)

 今日はオールジャンルの中規模イベントだったけれど、女性向けが強いはずだった。ホールのトイレも、男性用がところどころ女性用として使われている。

 男性は、眼鏡で猫背でぼさっとした髪型で、変哲もないシャツとズボンでいやに頑丈そうな肩掛け鞄を提げていた。

 年の頃はわからない。けれど、高校生である朱葉よりも年上だろうとは思った。


「既刊と、新刊、全部一冊ずつ」


 ください、とぼそぼそと言われて、朱葉の手が、止まる。

「えーと……」

 ほんの少しだけ、考えて。ためらった末に、おそるおそる聞いた。


「カップリング本ですけど、いいですか……?」


 しかも、BL《男同士》の。

 とは言わなかったけれど。すぐに意図は伝わったようだ。男性客は、両手の親指を立てて言った。


「そのために来ました」 


 潔いほどきっぱりとした言い方は、人に頼まれたという「買い子」のそれではなかったので。


 ふ、腐男子だーーーーー!!!


 と、心の中だけで朱葉は叫んだ。別に、それが悪いとは思ってはいなかった。流行ってるともいうし、萌えというのは事故みたいなものだから、男も女も落ちる時は一瞬、同じ穴の狢だろう。ただ純粋に、珍しいから驚いたのだ。そして少しだけ嬉しくもあった。

 明日学校に行ったら夏美に自慢しよう。うちに腐男子の客が来たって。

「あわせて1800円になります」

「すみません、2000円から」

 取り出した財布は実用的なマジックテープ型だった。千円札ばかり入っているところを見るに、イベント用なのだろう。

 玄人だな……、と朱葉は思った。

 おつりを先に渡し、本を渡すと、相手は会釈をしながら、


「SNSでいつも楽しみにしてます。頑張ってください」


 とぼそぼそ早口で呟いた。ぱっと、朱葉の顔がはなやぐ。

「ありがとうございます!」

 純粋に、嬉しかった。インターネットでのオタク環境が整った現在、作品はネットでいくらでも見てもらえるけれど、生でこうして感想が聞けるのは、即売会での、一番の醍醐味ともいってよかった。

 男性客はそのままくるりと後ろを向いて、振り返らずに歩いていってしまう。

 朱葉はどこか照れくさいような充足感とともに再びパイプ椅子に座り、書きかけのスケブを取り出した。それから、いや、やっぱりこの話はすぐに夏美に伝えようと、机の上に出してあった携帯をとろうとして──。

「あっ」

 重大なことに気づく。

(ノベルティ、渡し忘れた!!!!!!)

 たいした物ではなかった。たかだか、自宅のプリンタで刷ったポストカード一枚だ。実用性があるものでもないし、本人はもらい忘れたことを気づくこともないだろう。頒布が終わっていただけだと思うかもしれない。でも。

 言われた言葉を、思い出す。

(SNSでいつも楽しみにしています)

 いや、だめだ、と朱葉は思う。これは、ノベルティだ。相手がいるとかいらないとかじゃなくて、自分がもらって欲しいのだ。褒めてくれた人なら、なおさらのこと。渡したい。そう思って立ち上がって、頒布物の上に布を置き、財布とお釣り袋だけは握って。

(確か、こっちに……!)

 足早にホールを出ると、男性の背が高かったのが幸いした。少し距離はあったけれど、出口に向かう背中を見つけることが出来た。

 人混みをかきわけ、その背を追う。イベントは午後から自由入場になっていた。なかなか前に進めず、少しずつ距離を詰める。

 開けたホールに出て、男性が何かに気づいたのか、人混みからわきにそれた。テラスへの出口近くに歩いていくと、着信でもあったのだろうか。立ち止まって携帯を取り出す。

 今なら追いつける、と朱羽も人の波を離れ、近くに走る。

 すみません、と言おうとした。

「──っ、んっ、」

 男性が、喉の調子を整えるような、軽い咳払いを何度かして。それから、背筋を伸ばして、改めたようなはっきりとした声で。


「もしもし、今ほどお電話いただきました、鈴川高校の桐生です」


 そう、言ったから。

 え、と朱葉が足を止める。

 知っている高校名だった。鈴川。知っているもなにも、朱葉が通っている高校だ。生徒? そうは見えない。というか、名前が。

 今、ほんのさっき、夏美と話していた


「きりゅう、先生……!?」


 そして、呼んでしまった。呼んでしまってから、気づかないふりをすればよかったのにと思った。理由があるわけではないけれど、まずいことを言ったんじゃないかと思ったのだ。

 呼ばれた男は、ぱっと手早く電話を切ると、そのまま人混みに向かって立ち去ろうとする。

「あ、あの!!!」

 その背に朱葉は、慌てて叫ぶ。


「ノベルティ、渡し忘れたんですけど!!!」


 ピタリと、男の足が止まった。そして素早く振り返り、迷いなく戻ってくると、手を出して。


「下さい」


 と言った。

 そうだと思って見てみれば、見間違えようがなかった。まだ、半信半疑の心が、現実を拒絶していたけれど。


「……逃げなくていいんですか、桐生先生」


 そう、尋ねたら。男は真顔で答えた。


「逃げるは一時の恥、逃すは一生の後悔」


 うまいこと言った顔してんじゃねーよ、と朱葉は思った。


 それが、ごく普通の腐女子とごく普通の腐男子先生の、残念な残念な出会いだった。

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